2

翌朝早朝。汗が乾く前にベッドを抜け出し、浴室を目指す。
ポケモンセンターは全室冷暖房完備という素晴らしすぎる建物のおかげで、いくらセッカシティが寒いところといってもここにいれば何時でも丁度いい気温なのだ。それでも気分は最悪なまま、お腹を意味もなく抑えながらリビングに来た。腹ではなく胃でもない。どこに違和感を感じているのか未だに分からないが、とにかく寝起きはいつも内臓の調子が最悪だ。……ここ最近は少しだけ良くなってきたと思っていたんだけどなあ。

「アヤト」
「っぅおあっ!?」

薄暗い部屋、電気を点けずに歩いていたのが間違いだった。というか、こんな時間だしまだ誰も起きていないと思い込んでいた俺がバカだったんだ。
背後から突然名前を呼ばれて飛び上がってしまった。咄嗟に後ろを振り向くと、部屋に溶け込むようにシュヴェルツェが立っていた。赤い目がやたら目立って見える。

「な、なんだよ。お前も起きてたのかよ」
「いや、寝ていたがアヤトが動く気配がしたから起動した」
「それ寝てたって言わないぞ」

まあいいや。一度息を吐き出してからシュヴェルツェに背を向ける。どこへ行くのか。聞かれたが答えなかった。だってそんなの見りゃ分かる。俺が向かう先には浴室しかないんだから。

「夢とは、不思議なものだ」

突然何だ、と思ったが、その言葉に今一度足を止めて振り返る。

「お前も、何か夢を見たのか?」
「そうだな。朧げにしか覚えていないが」

シュヴェルツェはどんな夢を見たのだろう。この顔に似合わず、お花畑で追いかけっことか美味しいものをたくさん食べたとか、幼稚で馬鹿げた夢なら面白いなと思いながら取っ手に手を伸ばす。

「夢を見ているとき、人間は記憶の整理をしているらしい。何度も同じ夢を見るというのは、きちんと整理ができていないからではないだろうか」
「…………」

扉を開いて、扉を閉めた。シュヴェルツェと一緒に行動をし始めてから、まだ日は全然経っていない。なのにもう気付かれていたのか。
服を手早く脱いで、ふと、鏡に映っていた自分を見た。あれから背はまだ伸び続けている。筋トレも続けているから、だいぶ筋肉も付いてきた。あの時の傷跡も、少しだけ薄くなってきた。目に見えて成長が分かることと、分からないこと。……記憶の、整理。

「……んなの、どうすりゃいいのか分かんねーからこうなってんだろアホ」

ばたん。思っていたよりも音が響いて聞こえて、少しだけ肩をすぼめた。今ので他の奴らが目を覚ましてしまいませんように。





イオナを先頭に俺、ロロの順でひたすら獣道を歩いていく。セッカシティからどれほど離れたのか分からないが、寒さが若干和らいできたような気もする。歩いているから身体があったかくなってきただけかも知れないけど。

「なあイオナ。なんでサブウェイ使わなかったんだよ?カンナワタウンの近くなんだろ?」

俺たちが目指しているのは、リヒトの両親がいるであろうハーフの村。事前にイオナが裏ルートで調べ、場所の特定までしていたのだ。……何が恐ろしいって、イオナの情報網だ。今まで何人もの人間がハーフの村を探し回っても全く見つからなかったから都市伝説にまでなりかけているというのに、それをたった数か月で見つけてしまったのだ。イオナを敵に回したりなんかしたら、どこへ逃げてもあっという間に見つかってしまいそうだ。

「アヤトの言う通り、カンナワタウンへ行くにはサブウェイを使用するのが一般的です。土日のみの運行ですが、それでもカンナワタウンへ行く人間は皆、ライモンシティからのサブウェイを利用します。なぜなら、他にあの町へ行く手段がないからです」
「じゃあなんで今こんっっなクソみたいな道歩いてんだよ。つーかこれもはや道じゃない」
「ここまで言っても分からないのですか?アホですね」
「へいへい俺はアホですよー」
「あは。アヤくん、疲れてきてるねえ」

そりゃそうだ。もうどれだけ歩いてると思ってんだよ。いくら体力をつけたといっても、限界というものもある。それに聞いてほしい。なんとセッカシティからカンナワタウン付近へ行くまで、最低でも3日野宿をしないと着かないほどの距離だとか。ああ、ポケモンセンターのふかふかベッドが恋しいぜ……。

「つまり、サブウェイを利用する人間は先回りされてどうやってもハーフの村へはたどり着けないのですよ」
「イオナ先生ー、アホな俺にも分かりやすく説明してくだせぇー」

歩きながらイオナの服の裾を掴んで体重をかけると、即座に手を掴まれて放り投げられた。仕方なく思いつきでロロに背中を押してもらいながら歩いてみたら、なんとまあ楽なこと!試しに一度だけロロと場所を入れ替えて、俺が背を押しながら歩かせるとやっぱりロロも「楽だ!」なんて言ってた。それはまあ、置いておいて。

「カンナワタウンからハーフの村へ行くルートも限られているのです。その道に間違えて、もしくは村を探して足を踏み入れた人間には皆等しく幻術がかけられるのですよ。偽りの景色を眺めながら同じ道をぐるぐる歩く。……だから誰も見つけることができないのです」
「なら、空を飛んでやってきたヤツにも?」
「その通りです。ですからこうして遠回りをして、少しずつ近づいて行っているのです」

もちろん、私たちと同じくセッカシティから村を目指した人間もたくさんいましたよ。、そう付け加えたイオナのあと、後ろからロロが小声で言う。「失敗した先人たちのルートも踏まえての、今の道だからね」と。……俺が知らない間に、相当念入りに調べてくれていたらしい。

「……イオナ、ありがとな」
「ええ、……いや、私ではなく部下たちに言ってあげなさい。泣いて喜ぶでしょう」
「素直じゃないねえ」
「なー」

キッ!とイオナが俺とロロを睨む。それも今は怖いよりも面白いというか。ロロと顔を見合わせてこっそり笑いを堪えていたが、振り返ったイオナには真顔を浮かべて平然を装う。
……さてさて、イオナが頑張って調べて見つけてくれた道だ。文句は辞めて歩くとしよう。

歩いて、
歩いて、
日が暮れて。

一回目の野宿である。まだまだ村から離れているとはいえ、こんなところで野宿をする旅人は滅多にいないらしい。仕方なく、持ってきた電池式の鉄板の上に野菜やら肉やらいろいろ乗せて焼いていた。これなら煙はあまりでないが、なんとなく野宿感は薄れるし何よりあったかくない。暖をとるため、ポケモン姿のエネを膝に乗せて鉄板の上にあるウインナーを転がす。

「野宿、楽しいね」
「……ならよかった」

隣の小さな組み立て式の椅子に座っている祈が俺の手元を見ながら言っていた。
以前、祈とした「今度は祈も一緒に野宿をする」なんていう小さな約束がこんなところで叶ってしまうなんて。……いや、リヒトがいないから半分だけ叶ったというべきか。祈は覚えているのかいないのか分からないが、俺の顔を見ながら言ったということは、つまりそういうことなんだろう。

「今度は焚き木でやろうぜ。あのな、木の棒にマシュマロを刺して火で炙るとめちゃくちゃ美味いんだぜ」
『んー!聞いてるだけで美味しそうぉ!』
「それをクッキーで挟んで、」
「それなら詩の作ってくれるクッキーがいいな」
「あら、祈ったら褒め上手ね」

……なぜ、女というのは同性同士だとスキンシップが多いのか。相変わらず仲良しな詩と祈をぼんやり眺めながらそう思う。手を繋ぐのは当たり前、座る距離も近いし、よくもまあ何度も抱き着けること。女ってやっぱりよく分からん。

「アヤトくぅん」
「お前もよく分からん。エネコに戻れ」
「えぇー。ぼくもアヤトくんとぎゅぅってしたいんだけどなぁ」

もう既に俺に抱き着いているだろーが。後ろから俺の首元に腕を回して引っ付いているエネの顎を片手で掴んで左右に揺らすと、変な声を出しながら渋々エネコに戻り、俺の膝の上に乗っかった。その間に焼いていたウインナーとその他諸々を二つの紙皿に移して詩と祈に渡すと立ち上がって歩いていく。見張りをしているイオナとロロに持っていってくれたのだ。

『アヤトくん、シュヴェルツェくんは本当にご飯食べないのぉ?』
「ボールに入っていれば腹も減らないんだと」

エネの言葉に頷いて、ベルトについているボールを見た。
シュヴェルツェが自分から申し出たのだ。ハーフの村へ行って帰るまで、自分はボールから絶対出ないと。どう説得しようかと考えていた時間が無駄になったが、何はともあれ本人がそう言ってくれるのはありがたい限りだった。
……リヒトと瓜二つのシュヴェルツェが村人に見つかったら大変なことになるのは目に見えている。何があっても出ないと約束をした以上、俺が死にかけてもシュヴェルツェは出て来ないだろう。だからボールに引きこもる前に、みんなにあんなことを言ったのだ。
"オレが出られない間、アヤトのことを命をかけて護ってほしい"
だと。アホか!って殴ってみたけど、顔色一つ変えやしなかった。そういうヤツだってもう分かってるけど。

そっと、ボールをベルトから外して眺めてみる。ちっとも動かない。……少しぐらい反応してくれてもいいと思うんだけど。
小さく舌打ちして戻そうとしたとき、エネがボールに小さな前足を乗せて話しかける。

『シュヴェルツェくん、村から帰ったら、みんなで一緒にマシュマロ焼こうねぇ』

カタ。一瞬揺れたボールに、俺は心底驚いた。驚いたのは俺だけじゃない。話しかけた本人も驚いたように俺の顔を見ているではないか。……アイツ、案外食べ物に興味あるからマシュマロに反応したのかもしれない。それはそれで、なんというか。

「こりゃ、帰ってもまた野宿だな」
『そうだねぇ』

二人して小さく笑いながら残りの食材を焼いていた。きっとこの場にシュヴェルツェがいたのなら、不思議そうに俺とエネを見ていただろう。

……暗い森の中。ここだけは、たしかに穏やかな時間が流れていた。




- ナノ -