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「あり得ない話ではありませんが、可能性はかなり低いでしょう」
「そもそも表舞台に出たがらないハーフが、人と接触するリスクを負ってまでリヒトくんの遺体に執着するとは思えない」
「……で、アヤトはどこへ?」
「個室のベッドで寝てるよお。なんか知らないけど凹んでるみたい」
「あはは、アヤくんてすぐベッドに逃げるよね」

祈の姿が見当たらないけれど、きっとアヤトに寄り添っているのでしょう。わたしが行く前にエネが動き出し、真っ直ぐ別の部屋へ向かって行った。祈も進化して大分成長をしたし、エネは元から中身は大人びている。頑張りすぎてしまう二人を心配することも多々あるけれど、今の二人ならきっと大丈夫だとわたしは思う。
エネも別室に行ったことを確認してから、未だベッドにいるおじさまを見る。

「ロロおじさま。……おじさまは、いつまでアヤトに隠しているおつもりなのですか」
「薄々本人も気づいてくるかなとは思っていたけれど、……どうも特殊体質ぐらいにしか思っていないらしい」
「ですからわたしは心配しているのです。アヤトが自分のことをハーフだと知る前に、ハーフの村へ向かうのですか?」

わたしの問いに、困ったように目を細めるおじさまと表情を変えないイオナさんを見る。
……アヤトがハーフだということは、初めて会う前からお母様に聞いていたから知っている。もちろんハーフがどういった存在なのかも知っていたしお母様にも決してわたしから言ってはいけないと聞いていたから、あえて今まで口にはしてこなかったけれど。

「もうそろそろ、伝えてもいいのではないでしょうか」
「…………」

今のアヤトならば、自分自身を受け止めることができるのではないのか。ハーフである親友を亡くした今、ハーフと向き合わねばならない今だからこそ。
ちゃんと、知るべきではないのか。

「詩ちゃん、俺はね。できればアヤくんは、自分自身のことを知らないまま旅を終えてほしいと思っているんだ」
「……言わないおつもりですか」
「少なくとも、今は言うべきときではないと思っているよ」

相変わらず、ロロおじさまは口が上手い。ふっとイオナさんの方へ視線を向けると、空かさず口を開いてこう言う。

「私も、今は伝えるべきではないかと」
「……なぜ?」
「詩、貴女には今のアヤトはどう見えていますか。挫けそうになりながらも前へゆっくり進んでいる。そう見えていますか」

否定はしない。でも肯定もしない。……だってそんなの、わたしにだってよく分からないから。アヤトがどう見えているかなんて分からない。確かにイオナさんの言う通り表面上はそうだとしても、同じ経験をしたことがないわたしにはアヤトの中身なんて想像すらできない。
無言のまま彼に視線を向けたままでいると、フッと笑って言葉を繋ぐ。

「私には、アヤトは呪いにかかったまま、今もなおもがき苦しんでいるように見えています」
「呪い……?」
「言葉の呪いです。それによって無理やり歩かされている。そう見えていますよ。まあ、本人は"自分の意思で進んでいる"と思っているのでしょうが、あんな不安定な様子を何度も見せられてはどうもそうは思えません」

全ては憶測でしかない。それでもイオナさんの言い分も否定は決してできなかった。……不安な要素を残したまま、アヤトに伝えるのは危険だと考えているのだろう。分からなくはない。それならいつ、だれが、アヤトに本当のことを伝えるのだろう?

「私は……そうですね。村へ行ってから、言うべきか言わないべきか考えても遅くはないと思います」
「イオナさんは、ハーフの村がどんなところなのかご存じなの?」
「情報は集めておりますよ。ただ、……行ってみないと真実かどうか分からないので何とも言えませんね」

言葉を濁すイオナさんに首を傾げる。何か意味ありげな言い方はとても気になるけれど。……アヤトのことを分かっている二人がそういうのなら。

「詩ちゃんもさ、なんだかんだ言いつつアヤくんのこと気にかけてくれているよね」
「な、!?わ、わたしはただ、アヤトが馬鹿みたいに元気ではないと祈とエネにも影響が出てくるから気にしているだけです!!」
「うんうん、そうだよね。詩ちゃんはみんなのお姉さんだもんねえ」
「そうです!……そうです、だから、わたしも、……」

首を傾げるおじさまに背を向けて、ベッドの端にゆっくり座る。
アヤトのことも心配だけれど、他にも心配なことはある。……たとえば、わたしのこととか。

「……わたしは、いつになったら進化できるのでしょう」
「祈ちゃんが先に進化したから焦ってるのかな」
「分かりません。でももやもやしているのは、焦りというものなのでしょうか。こんな感情なんて初めてでよく分からないんです」

焦り。わたしよりも小さかった祈が進化した。もちろん祈が進化したのはとても嬉しいことだけれど。……けれど。

「……大丈夫。詩ちゃんは詩ちゃんのペースでゆっくり進めばいいんだよ」

おじさまの手が頭に乗る。優しく撫でてくれるけれど、本当にそれでいいのかしら。
進化して大人びた祈と変わらないわたし。……それで、いいのかしら。

「進化したからといって中身まですぐに変わることはありません。祈はまだ、詩よりもだいぶ幼いですよ」
「……そう、でしょうか」
「それに祈ならきっと、……祈が進化しても、詩より大きくなっても、ずっと詩には自分のお姉さんでいて欲しいと言うはずです」

なんとなく、イオナさんが嬉しそうにそう言ったのはすごく意外だった。思わずおじさまにゆっくり視線を移すと、やっぱり少し驚いたような表情をしていて、ああ、わたしだけではなかったんだと思う。

わたしに目線を合わせていたイオナさんが曲げた腰をもとに戻す頃、扉からノック音がした。ベッドから立ち上がって扉の前まで行くと、静かに開いた隙間からピンク色の髪が見える。長く美しい髪。水色の綺麗な瞳。

「──……詩、」

扉が完全に開く前、祈が腕を伸ばしてきて私の手をぎゅっと握る。視線は下を向いていて、どこかそわそわしている感じがしていた。今までは目線が下だったけれど、もう今の祈はわたしと同じ目線の高さにいる。

「どうしたの?」
「あの、ね。……わたし、行きたいところがあるの。でも、一人では入りにくくて、……その、詩にどうすればいいのか聞きたくて、」
「──……、」

イオナさんがさっき言ってくれた言葉。あれは、本当にそうだと信じてもいいかな。
伏しがちの長いまつ毛を見て、大人びた容姿を見て。……それでもわたしを一番に頼ってくれる祈を見て。
握られた手を、ぎゅっと力強く握り返した。
なぜかちょっぴり泣きたくなって、でもすごく嬉しくて、思いっきり笑顔を見せて答える。

「大丈夫よ、祈。わたしに任せなさい」

顔を上げてほっとしたように笑みを浮かべる祈の姿が、あっという間に心の靄を消してゆく。
握った手を引いて引かれて、……わたしが、引いて。

「"ロロおじさま、イオナさん。どうもありがとう"」

祈がゆっくり閉める扉の隙間から二人に向かって手を振ると、それぞれひらりと手を振り返してくれた。
口パクで言っただけだけれど、ちゃんと二人に伝わったかしら。

わたしはわたしのペースで。ゆっくり、確実に、進んでいこう。
さらに高く、遠くへ飛べるその時へ向かって。




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