10

──……ピ、ピ。
電子音で目が覚めた。自分の心臓の拍動と一緒に鳴る音が、どこか不思議に思った。
真っ白な天井、シーツ、カーテン……。ああ、そうか。俺は、。

「──……ロ、ロ、」

窓の方へ傾けていた首を反対側へ動かすと、俺を見ながら茫然としているアヤくんがいた。握りしめていたシーツからゆっくり指を動かして解き、たっぷり時間をかけて立ち上がる。それからまた俺を見下ろして、信じられないものを見るような目をして。

「やあ、アヤくん。どうし、」

言葉の途中、ベッドの上に駆け上がると真正面から俺に向かって崩れるように覆いかぶさってきた。慌てて管のついている腕を横に動かすと、俺の首元に腕を回して苦しいぐらいに締め付ける。誰かさんに似た、外に向かって跳ねている髪が頬に当たってくすぐったい。

「なに、どうしたの」
「………………」
「えーっと……俺に抱き着いてて、楽しい?」
「………………」

一切、何も答えず。ただずっと抱き着いたまま一向に離れようとしない。
……困ったな。まさか俺がこちら側の立場になるなんて思ってなかった。だから余計になんと言ったらいいのか分からず、とりあえずいつものように話しかけてはいるものの、アヤくんの反応を見る限り、どうやらこれは違うらしい。
片手で頬を引っ掻いて、小さく息を吐く。あの時、グレちゃんが目覚めたときは真っ先にひよりちゃんのことを心配する言葉を発していた。俺もそうするべきだったのか。……いや、なんか違う気がする。

「…………ロロ」
「ん?」
「俺、言ったよな。"俺のことはどうでもいいから、絶対無茶すんなよ"って」
「無茶はしてないさ。大丈夫だと思ったから動いただけだよ」

素直に答えると、後頭部を思いきり叩かれた。叩いたくせに、まだ抱き着いている。さらに、余計俺の首元に顔を押し付けて片側の肩に負担をかけ続けていた。ぐずぐず鼻を啜る音がする。泣きながら怒るなんて器用なこともできるらしい。
……とりあえず。一度、部屋の扉を見てから誰も近くにいないことを確認してから。
横に退かしていた腕を、ゆっくりアヤくんの頭に添えてみる。一度、はっとしたように動きを止めたアヤくんだったが、またすぐ俺の肩に顔を押し付けて声を抑える。

「やっぱり、少し無茶したかも。でもさ、身体が勝手に動いていたんだ、仕方ないでしょ」
「……、……」
「──……ごめん。……俺が悪かったよ」

アヤくんが首元で何度も頷く。それから今度は左右に首を振り始めた。なんなんだ、どういうことなんだ。
頭を掻きむしる手前、やっとアヤくんが俺から離れて手の甲で目元を乱暴に拭う。それでも涙がシーツに滑り落ちていて、やっぱりどこまでも泣き虫だなあと思うと、ついクスリと笑みが零れた。もちろんそれをアヤくんが聞き逃すわけがなく、赤い目のまま睨まれる。

「俺がこんっっなに心配してたのに何笑ってんだよクソ猫……」
「だからごめんってば」
「ぜってー許さねえ!……許す、もんか、」

そっと。不意に片手を俺の胸元に当てると、ゆっくり指を曲げていく。白いシャツに皺が生まれ、アヤくんの手元に皺が集まる。それから両肩を丸めて片手を口元に当てがい、震える声で言葉を紡ぐ。

「……っロロまで、死んじゃったら、。どうしようって、思ったんだよ……っ!すごく、怖かったんだよ……っ!」
「……、」
「──……頼むから、……もう、こういうのはやめてくれよ、……お願いだから、」

俯いたまま頭を俺の胸元に垂直に押し当てて、やはり心臓の部分に触れている手は強くシャツを握りしめていた。
懇願。まさに、その言葉がぴったりだった。……この子にこんなことを言わせてしまう、なんて。
この世界に喰われないようアヤトくんを護るのが俺の役目だというのに。今回は俺が原因で、喰われかけているじゃないか。

「……今度こそ、ちゃんと約束しよう。俺が君の前で倒れるのは、これが最初で最後だよ」

俯いたままのアヤくんが、俺の目の前まで片腕を持ち上げてみせる。その先、弱弱しく持ち上げられた手は軽く握られているが、小指だけ微かに上を向いていた。……そっと、小指に小指を絡ませて数回揺らす。

「……約束、だからな」
「うん、約束」

目元を擦りながら顔をあげるアヤくんを見る。……出会った頃に比べると、背も伸びてきているし顔つきもだんだんと変わってきているのだろう。そうはいっても、まだまだ子ども。そう、まだ、子どもなんだ。

「君が無事に旅を終えるその日まで、俺がちゃんと見ていてあげないとなあ」
「……そーだよ。だから勝手に死ぬなよな」
「あはは、大丈夫だよ。こうみえて俺、結構しぶといからさ」
「知ってる。……しぶとくてよかった」
「こ、これは、また、……とっても、素直なことで」

ゆっくり顔を上げたアヤくんの頬を両手で挟んでぐにぐに動かしてみても、なんの抵抗もしないでただ俺をじっと睨んでいる。……うーん。調子が狂う。
特にやることもなく、かといってこの子はまだベッドの上から動く気配はないし、からかっても意味がないのならどうしようもない。手持無沙汰のまま、頬をつねったり伸ばしたりしてみたりしていたところ。

「……ロロさん、!」
「げっ」

開いた扉から、俺の顔を見るなり表情を崩して駆け寄ってくる彼。……言わずもがな、イオナくんに決まっている。アヤくんと同様、腕を伸ばして真横から抱きしめてくるが、さっさと腕で追い払う。アヤくんは仕方ないとして、どうしてイオナくんにまで抱きしめられなければいけないのか。

「なんだよロロ、イオナだってめちゃくちゃお前のこと心配してたんだぞ」
「ええ、だって、」
「祈も詩もエネも、みんな、……っそうだ、俺みんなのこと呼んでくる!」

まさか、イオナくんとここに二人きりにする気なのか?正気じゃない。慌ててアヤくんの襟首をつかもうとしたがするりと抜けてしまった。代わりに何故かイオナくんがアヤくんの襟首を捕まえて、その場に無理やり留まらせる。

「お待ちを。……二人に、会わせたい人がおります」
「会わせたい人……?」
「ええ。ロロさんは目覚めたばかりのところ申し訳ありませんが、……どうしても、早急に会わせなければいけない気がしまして。心の準備はよろしいですか」

アヤくんと顔を見合わせてからイオナくんを見る。表情はいつも以上に堅く、またどこか緊張感があった。
誰だ。心当たりが全くない。様子を伺う限り、どうやらアヤくんも全く思い当たらないようだ。
一度息を吸ってから、ゆっくり吐き出して。……イオナくんに、目線を向ける。

「……どうぞ、入ってください」

扉の向こう、ぼんやりと影が見えた。そうしてゆっくり開いて、一歩、大きく踏み出して。
……青い髪を揺らしながら、赤い両目でこちらを見る。
どくん、と。心臓が、大きく鳴った。目を見開きながらその姿を捉えて、それから一度、前のめりになるアヤくんの姿を捉える。
イオナくんの後ろまでやってきて立ち止まり、佇む彼のその外見は。──……ひどく、リヒトくんに似ていた。いいや、似ているというレベルじゃない。リヒトくん本人がそっくりそのまま成長したかのような容姿だ。あえて違うところを述べるならば、片腕、片足がポケモンのそれではないというところぐらいか。

「…………、」

無言でこちらを見る。……正確に言えば、彼はただ真っ直ぐにアヤくんを見つめていた。そんなアヤくんの視線も今は彼にだけ注がれている。
一歩、アヤくんが踏み出して。よろけながらもう一歩は踏みとどまる。微かに伸ばした両手を力づくに戻しながら、腿の辺りで拳を握る。

「──……お前は、……だれだ、?」

苦しそうに絞り出された小さな第一声に。……俺は、ひどく驚いた。
アヤくんはすでに、ちゃんとリヒトくんの死を受け止めていた。だからこそ、酷似した人物に会ったとしても決して間違えたりなんかしない。思わず駆け寄り、抱きしめたりなんかしなかったのだ。

「お前は、誰なんだ」

もう一度、問う。力強くはっきりとした声に、やっと彼が口を開いた。アヤくんに向けて、真っ直ぐに打ち返す。

「俺の名前は、シュヴェルツェ。……以前はリヒトとも呼ばれていたが、もうそう呼ぶ者はいない」
「……シュヴェルツェ、……闇、」

以前アヤくんから聞いたことがある、リヒトブリックという名前は、どこかの国の言葉で「光」という意味を持つらしい。そして今、呟かれた言葉から察すると、シュヴェルツェという名前には「闇」という意味があるのだろう。……同じ容姿に正反対の名前。

「彼が、あの場を治めてくださいました。覚えていますか」
「…………、」

アヤくんがゆっくり首を振る。もちろん俺も全く覚えがない。そんな俺たちを見てから、イオナくんがふと病室の端へ向かい、とある書類板を持ってきた。開き、挟んでる紙を数枚めくりながら彼を見る。

「彼に協力してもらい、こちらで検査いたしました。……結論から言いましょう。彼は、リヒトブリックの完全なるコピー体。つまり、クローンポケモンです」
「クローン……、!?」
「はい。遺伝子情報は一致しておりました。ただ性格や細部については異なる点が多いようです」

……人間は、とうとう禁忌まで犯してしまっていたのか。
どこまでも欲深く、また恐ろしく賢い彼らにはいつも恐れおののく。
そもそも何が目的でクローンなんてものを造ったのか。到底理解はできないだろうが、今後嫌でも関わることになってしまうだろう。……アヤくんが、ハーフである限り。決して逃れられはしないだろう。

「それで、シュヴェルツェくん、だっけ?……君は、どうしてここに?」

細かいことはまた後で聞くなり調べるなりすればいい。すでにいっぱいいっぱいなアヤくんから一旦彼を離さねば。
にこり。笑顔を作って訊ねたが、彼は無表情のままに答える。

「リヒトと約束をした。"おれの代わりにアヤトと一緒に旅をしてほしい。護ってあげてほしい"と言われたんだ。だから、先日もアヤトを護った。だから、ここにいる」
「……っそん、なの、……っ!」

アヤくんが言葉を飲み込み、背中を丸めながらまた拳をきつく握る姿を見た。

きっと、彼は分かっていない。そしてリヒトくんも、全然分かっていなかった。

──……誰だって、誰かの代わりになんて、絶対なれやしないのに。

"意味がない"、そう、アヤくんが叫ばずに抑え込めたのは。
やっぱり彼が、ただリヒトくんに似ているだけの、全くの別人だったからなんだろうか。

一人、彼の前で俯きながら肩を小刻みに震わせているアヤくんの背を、俺とイオナくんはただ見つめることしかできなかった。




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