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船の中。
ベッドの上で画面が割れた腕時計のボタンを押した。隣にはエネがいて、若干震える指先で時計を操作している俺を何も言わずに見ている。
そうして時間をたっぷりかけながら、未読メッセージのお知らせをタッチして画面を開く。
タイトルは、無題。……一度、目をゆっくり閉じて、深呼吸をした。エネがそっと俺の手を上から握る。目を開けて、俺を見て頷くエネを見てから。メッセージに指先を合わせて、触れる。

「…………、」

メッセージ欄は、真っ白だった。どくんと一度大きく心臓がなり、ため息を吐く。
……なんだ。何も、なかったのか。まだ震えている冷たい片手を目元に当てて俯くと、エネが俺の名前を呼ぶ。目元を手で覆ったまま返事をすると、エネが時計を俺の腕を無理やり揺さぶり目元から離れさせてきた。渋々目を開けてみると、エネの細く白い指先が画面に触れてゆっくり上方向に滑らせる。

「あるよ。リヒトくんがアヤトくんに伝えたかった言葉が、……ここにある」
「──……、あ、る」

沢山の改行の先。リヒトが綴った言葉があった。決して長くはないけれど、真っ先に目に入ってきた言葉に目を見開いてからちょっと笑って。ゆっくり手を持ち上げて、口元に運ぶ。震える手と震える唇。
どんなものだってリヒトが俺に向けて遺したものは、深く心に刻まれる。

「……ぼくが読んでもいいかな」

優しい声色で聞かれ、こくこくと頷いて見せる。そうすればエネが俺に寄り添いながら、口を開く。リヒトの言葉を、想いを。エネが俺に向けて読み上げる。


"アヤト。おれはきみを、愛しています。

びっくりした?友だちなのに愛しているって、なんだかおかしいよね?
それでもやっぱり、どんな他の言葉よりも、愛しているという言葉以外ぴったりくるものがなかったんだ。あ、笑ってもいいよ!

だってさ、おれ、何をしていてもアヤトのことを真っ先に考えてしまうんだ。アヤトと一緒に食べたらもっと美味しいだろうなあとか、アヤトと一緒にできたらもっと楽しいだろうなあとか。
アヤトはそうじゃないかも知れないけれど、おれはやっぱり、一番アヤトと一緒にいる時間が大好きだったよ。"


やっぱりエネもここにいてくれてよかった。でないと俺は、もしかしたら一生全文を読めずにいたかもしれない。なぜって。一文字見ただけで、何かが急に外れたようにボロボロと涙が溢れ出て止まらないからだ。文字が滲むどころじゃない。情けないぐらいに止めどなく涙が出てきてしまっていた。
進むと決めたけど、まだまだ心に開いてしまった穴は塞がってくれる気配はない。リヒトの代わりなんて、この世界にもどの世界にも、誰一人としていないから。


"初めておれに手を差し伸べてくれて、友だちになってくれて、色々なことを教えてくれたアヤト。
きみはいつでも、おれのヒーローであり、憧れであり、ライバルであり。一番の、友だちです。
短い間だったけれど、本当に、本当に、アヤトと過ごした時間は楽しかった。幸せだった。"


「今まで本当にありがとう。最後にもう一度だけ言わせてください。
 おれはきみを、愛しています。
 願わくば、どうかアヤトが笑って旅を終えられますように。
 
 おれの希望の光 親愛なるアヤトへ」

エネの声が止まり、自身の咽ぶ声だけが聞こえる。ベッドの上で両手でシーツを握りしめ、顔面は声を抑えるようにベッドに埋め続けていた。
どうして俺はこのメッセージをすぐに読まなかったのか。もしもすぐに読んでリヒトを探しに行っていたら、リヒトは死なずに済んだかもしれないのに。
後悔の念が押し寄せる。それと同時に、言いようもない悲しさがどっと覆いかぶさってきて、もはや何かにしがみついていないといけない気さえしていた。

「──……"生まれ変わっても、またアヤトと出会えますように"」

終わったはずのエネの言葉の続きに、ふっと顔をあげてしまった。滲む視界にエネを映すと、ピンク色の髪を揺らして俺の頬をそっと撫でる。親指で涙を優しく拭いながら、エネまで泣きそうな顔で俺を見ていた。紫色の瞳を細めてから、もう一度だけ画面に視線を向ける。

「"そしたら今度こそ、きみの相棒になって一緒に旅をしたいな"」
「……っ、……、!」
「……これで、本当に終わり」

時計のボタンをそっと押して、宙に移していた画面を消すエネ。それからシーツをきつく握りしめていた俺の両手を掬い上げたと思えば、そのまま自分の背に俺の両手を持って行った。うずくまっていた俺の前、エネが膝を合わせて両脇に足を置き、自身の膝を俺の上半身の下に滑り込ませてから、俺の頭をゆっくり撫でる。

「我慢しないで、アヤトくん。……思いっきり、泣いていいんだよ」

うつ伏せのままエネにしがみつきながら言葉を聞いて、背に回っている手に力が入る。
エネは俺よりも年下なのに、変なところで大人びている。今だってそうだ。柔らかく包み込むような声と言葉、安心感を与える距離感に優しい手付き。俺の涙や鼻水で膝が濡れても、少しも気にする様子はない。ただひたすらに、俺の頭や背中を擦るように撫でていた。

慰め方を知っている。
……そんなエネに、つい、甘えてしまう俺もどうかと思うけど。

船の中。とある一室。部屋が反響するぐらい、声をあげて泣いてしまった。どうしようもない思いを全部吐き出すように、涙と一緒に散らばした。

"アヤトって、泣き虫だよね"

また、リヒトがそう言われた気がした。気がした、だけだって。わかって、またエネにきつくしがみつく。
──……俺がいる限り死ねないって言ってたくせに。それなのに。

馬鹿。バカヤロー。





「……エネ、」
「しー。静かにね」

ベッドの上で座りながら人差し指を鼻先に当ててこっちを見るエネのひざ下、アヤトが丸くなりながら眠っていた。起こさないようにゆっくり部屋に入って、とびらも静かに閉める。足音をなるべく立てないようにベッドに近づいてアヤトを見ると、まつ毛がしっとりとぬれていた。

「やっぱりアヤト、泣いてたの……?」
「祈ちゃんにも聞こえてたってことは、みんなに聞こえてたかなあ。でも、いいよね。だってアヤトくん、今までずっと我慢してたみたいだったし」
「……わたし、アヤトはもう大丈夫って、思ってた。……でも、ちがうんだね」

わたしの言葉を聞いてから、エネが少し困ったような顔をした。それから視線をわたしからアヤトに移して、そっと撫でる。まるで今だけ、エネのほうがアヤトよりもお兄ちゃんのように見えるのはどうしてだろう。

「アヤトくん、ぼくや祈ちゃんの前だと強がってるし大丈夫なように見せてるけどさ。でも、やっぱりアヤトくんもぼくたちと一緒で、まだ子どもなんだよ」
「アヤトも、わたしたちといっしょ、」
「うん。いっしょ。簡単には割り切れないし、平然としていられない。……それでも。ぼくたちを心配させないように、リヒトくんの言葉のために。ボロボロのまま進んでいる最中なんじゃないかなあ」

エネに寄りそいながら眠るアヤトは、たしかにとても幼くみえる。

わたしの中のアヤトは。
いつもかっこよく前に進む大人だ。だれかのために戦って、自分のことのように考えてくれて、言葉をくれて。いつもわたしをほめてくれる。抱きしめてくれる。"ありがとう"って、頭をなでてくれる。──……いつもたくさんのものを、わたしにくれていた。
こうして思えば、わたしはアヤトにもらってばかりだ。

「ぼくは祈ちゃんや詩ちゃんみたいに強くないからさ。何もできない代わりに少しでもアヤトくんの気持ちに寄り添えたらいいなって、思うんだ」

エネが小さく笑ってみせる。それを見て、なぜかのどの当たりがきゅっとしまる感じがした。
わたしは、エネが思っているよりも弱いよ。、心の中でそっとつぶやく。
わたしがアヤトのためにできることと言えば、バトルで戦って勝つことしかできないのに。……今はそれすら、ちゃんとできていない。

そもそも、わたしはどうして戦っているんだろう。
──……アヤトがそう望んでいたから。
あのときはそう確かに望んでいた。……でも今は。今は、アヤトは何を望んでいる?わたしが強くなればアヤトは喜んでくれる?ううん、今はちがう。わたしがいくら練習をしても強くなっても。アヤトはこうして泣いていた。

「わたしは、……ほんとうに、強くなるだけで。戦うだけで、……いいのかな」

ぽつり。言葉に出すとエネがわたしを見る。
……今までこんなこと、考えたこともなかった。ただひたすらにアヤトのためにとバトル練習をしてきたけれど。わたしは、……わたしは、ほんとうにそれでいいの……?

「祈ちゃんは、何を望んでいるの?どう、なりたいの?」
「……わたし、?」
「そう。アヤトくんの望みじゃなくて、祈ちゃんの望みは?」
「わたし、……わたしは、……」

……アヤトのために、何かがしたい。アヤトには泣かないでほしい。いつもみたいに楽しそうに笑っていてほしい。
そうするには、どうすればいいのか。
戦うだけではだめだって分かったの。なら、……なら、?

「──……わたしは、アヤトの気持ちが知りたい。エネのように、アヤトに寄りそえるようになりたい」

わたしの言葉を聞いたエネが、一度目を大きく見開いてからすぐに細くして笑みを浮かべる。

「ぼくのように、だなんて。……ぼくだってまだまだだよ。でも、それが祈ちゃんの望みなんだね」
「……たぶん、そう。わたしも、よく分からないけど、……」
「大丈夫。ぼんやりでも、祈ちゃん自身の望みがあるなら、それでいいんだよ」

こっちにおいで。エネがベッドの上で手招きをする。それに端まで歩いていくと、アヤトのとなり、空いてるところを手のひらでぽんぽんとたたく。

「ヒウンシティに着くまでまだ時間はたっぷりあるし、アヤトくんと一緒にお昼寝しなよお」
「もしかして、いっしょにねればアヤトと同じ夢が見れる?」
「あはは、そうかもしれない」

すぐにイーブイに戻ってベッドの上に飛び乗った。それからアヤトのとなり、ゆっくり座ってから丸くなる。そうすればすぐにエネが優しくわたしのことも撫でてくれた。あんまり眠くなかったけれど、エネに撫でられているとふしぎと眠くなってくる。

「おやすみ、祈ちゃん」

目を閉じる。アヤトもあったかくて、すごく心地がよかった。

……今はまだ、何にもアヤトに返せていないけれど。
アヤトの気持ちが分かれば、わたしでも何かあげることができるかな。寄りそうことが、できるかな。

もしもそう、できるなら。
その日こそ、わたしの望みが叶うときなんだろう。




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