5

牧場にいたポケモンたちは、今どうしているのか。
恐る恐る、あったかいココアが入ったマグカップを両手で握りながらオーナーさんに尋ねてみた。俺の問いかけにオーナーさんは一度視線を下げてから、向かい側の椅子に座る。

「壊れた柵からほとんどが逃げてしまったよ。ただ、その中でも戻ってきてくれている子たちもいる。……大丈夫、また必ず再開させるさ」
「そう、ですか」

なんとなく、それ以上は何も聞けなかった。
俺が世話をしていた、まだ生まれたばかりのポケモンたちはどうなったのか。メリープ姉さんたちも無事逃げられたのか、……気になることは山ほどあるが、オーナーさんもひどく疲れているようだったから結局聞けず仕舞いで、ココアを飲みほした。

『アヤト』

お礼を言って小屋を出て、ロロと一緒に牧場を少し歩いて見ていたところ。ハーさんが、ハーデリアの姿のまま駆けてきた。こんなに走れるんだ、あの時怪我をしていた足も、もう大丈夫そうだ。
足元までやってきたハーデリアの前にしゃがみ、目線を合わせる。

「どうしたんすか、ハーさん」
『先ほどのオーナーとの会話が気になってな。アヤトもこちらの状況を心配してくれているのだろう。私でよければ聞いてくれ。答えられるものは答えよう』
「……!あ、ありがとうございますっ!」

ハーデリアに抱き着くと、ばふ!と一声鳴いてから下の方でひっそりゆらりと尻尾を揺らしていた。
それから牧場が一望できる場所まで移動して、芝生の上に座る。……いい天気だ。日差しもちょうどよく、風も心地いい。

まず、小さいメリープたちはどうなったのか。聞けば、近くにいた親のメリープたちがすぐに助けに入ったらしい。だから襲撃された場所から近くても、子どもたちは全員無事だったという。

「その、……親のメリープたちは、」
『……残念ながら、亡くなった者もいる。だから余計、オーナーも気に病んでいるのだ』
「……。……っそ、そうだ、メリープ姉さんたちは!?」
『安心したまえ、彼女たちは無事だ。今はまだポケモンセンターで様子を見てもらっているところだが、あと数日でまたここに戻ってくるだろう』

よかった。そうつぶやきそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。犠牲が出ているんだ、よかったわけがない。俺はメリープ姉さんたちだけしか深く関わっていなかったから良かっただなんて言えるけど、ハーさんたちは違う。
なんと言おうか迷っているうちに時間はどんどん進んでしまい、結局何も言えなかった。

『アヤト、君は随分と成長したのだな。……いや、進まざるを得ないのか』
「……自分で、進むと決めたんです。あ、背は順調に伸びてますよ」
『はは、そうか。それは素晴らしいことだな。ハーくんにも教えておこう』
「あ、あの、……」

ハーくん先輩は。俺が聞くよりも早く、ハーさんが『大丈夫だ』と一言。……ハーさんがそういうなら、大丈夫なんだろう。俺も一度頷いて、立ち上がる。少し距離を開けたところに座っていたロロも、俺を見てから立ち上がると森の方を指差した。分かってる。俺たちの目的は、サンギ牧場だけじゃない。

『……リヒトの母親なら、もうここにはいないぞ』

森を見ていた俺に、ハーさんがそう言った。思わずびっくりしてロロと顔を見合わせる。
俺は、リヒトの母親にも事の次第をちゃんと伝えるべきだと思っていた。だからそう、とりあえずリヒトの自宅へ闇雲にでも向かってみようかと思っていたところだったのだが。

「く、……詳しく、聞いてもいいですか」
『……ハーフが襲撃してきた翌日、森の最奥の方で火事があったのだ。一軒だけポツンとあった家が燃えていたらしい。あのようなところに家を建てる町民はいない。それゆえ、きっとそれが、いつか町で見たハーフの家だったのだろうとみな口々に言っている』

リヒトの家へ行ったとき。場所は不確かだが、確かにこの牧場からもかなり距離はあった。そして誰も寄せ付けないようにひっそりと佇む一軒家……。ハーさんの話からすると、燃えた家は多分、リヒトの家で間違いないだろう。

「なぜ、燃えてしまったんだろうね。明らかにタイミングがおかしい」
『町ではもっぱら、罪人の母親がハーフを産んだ罪に問われる前に焼身自殺したのではないかと噂になっているぞ』
「まさか」
『もちろん、私だって信じてはいない』

顎に手を添えて遠く森の奧を眺めるロロに答えたあと、ハーさんも森へ視線を向ける。その視線の先は、きっと煙がいつか空高く昇っていたのだろう。
……俺は一人、リヒトの家で過ごしたあの日を思い出していた。あの場所も、もうなくなってしまったのか。ひっそりと胸を締め付けられる思いに耐え、下唇を軽く噛む。
何もかも、なくなってしまうんだな。

「さっき、"ここにはいない"と言い切っていたということは、焼け跡から死体は見つかっていないんだね。さらに燃えた家がリヒトくんちだと断定できる証拠も燃え尽きてしまって何も無い。……そうでしょう」
『流石、元国際警察とでもいうべきですかな。その通りだ。先ほど私が言ったのは、あくまでも噂なのだ。アヤト、あまり気にするな』
「……はい」

ハーさんに苦笑いを浮かべる。淡々と並べられてゆく事実を受け止めきれない俺なんか、お見通しだということだ。少し、情けなく思ってしまった。
俺も大人になれば、今のロロのように何事もなかったかのような立ち振る舞いができるようになるのだろうか。そんな自分なんて、これっぽっちも想像できない。

『これは……オーナーの奥方がちらりと話していたことだが、』

切り出したハーさんが一度言葉を途切って、辺りを見回した。耳も動かして、誰もいないことを用心深く確認する様子を見せる。それから視線を戻して、小声でそっと言葉を紡ぐ。

『リヒトの母親は、遠くの地にいるというリヒトの父親の元へ向かったのではないかと』
「……そういやリヒト、言ってた。父親は、セッカシティの方で働いてるって」

リヒトの父親。以前、リヒトんちのお母さんに写真を見せてもらったときに少しだけ見たことがある。若い頃の姿だったが、リヒトの父親はルカリオだ。ポケモンと人間では歳のとり方も若干違うとリヒトが言っていた。とすれば、今でもあまり容姿は変わっていないかもしれない。
リヒトよりも釣り目で、写真の中では青く長い髪を結んでいた気がする。……会えば、きっと分かると思う。

『ふむ、ならば辻褄も合うぞ。どうやらセッカシティ付近のどこかに、ハーフが住む村があるらしい。そこを仕切っているのが、リヒトの父親だという話も聞いたことがある』
「ハーフが、住む村……」
『今まではハーフの存在すらあやふやだったゆえ、そんな村は都市伝説だとも言われていたが……今回の事件でみな確信しただろう。村はどこかに存在していると。……今頃、血眼になって探している奴らもいるのではないだろうか』
「…………」

──ハーフ襲撃事件は、連日ニュースで大きく取り上げられていた。平和なニュースばかり流していたマスコミが突然刺激が強すぎる事件を引っ張ってきて放送したのだ。イッシュ地方全体に大きな衝撃が走ったことだろう。
これを機に、以前以上にハーフに対する世間の目が厳しくなったのは言われなくとも分かる。不正規な研究所が乱立し、ハーフ撲滅を大きく掲げる団体まで出てきた。そんな中、さらに増えているのが金目的でハーフを探し回る者たちだ。ハーフを研究所に渡すことで一攫千金を夢見ているらしい。

つまりあの事件は。……男の目論見とおり、ハーフを破滅への道に向かわせていた。
今まで一部の者だけが敵だったハーフたちにとって、あの日から、全生物が敵になってしまったのだ。
あるひとつを悪として、その他を善として見せかける世界。……まるで、歴史の授業で教わった昔あったというどこかの全体主義国家のような。

「……こんなの、おかしい……」
『だが、我々にはどうにもできない。そうだろう』
「……っ、」
『アヤト、君が背負うものではない。あまり考えすぎないほうがいいだろう』

ハーさんの、言う通りだった。俺にも、どうにもできないことで、だからこそ余計腹立たしかった。この世界と、何もできない自分が腹立たしい。
一度握った拳に爪を立ててから、ハーさんに向かって深くお辞儀をする。

「ハーさん。沢山教えてくれて、ありがとうございました。……俺、もう行きます」
『セッカシティを、目指すのか』
「……はい」
『まだ主犯格の男は捕まっていないらしいな。……道中、気を付けて行くのだぞ』

もう一度頷き、背を向ける。
色々なことが頭の中を駆け巡る。牧場のこと、ハーくん先輩のこと。消えたリヒトの母親、ハーフの村を仕切っているというリヒトの父親……。色々考えてはみるが、どれもうまく纏まらない。思わず頭を掻きむしりたくなるほどにぐちゃぐちゃだ。

「アヤト!」

呼び声に振り返る。人間の姿でハーさんが立っていた。さっきまでハーデリアだったのは、表情を隠すためだったんだろうか。今はハーさんがどんな表情をしているのかが、よく分かる。不安げな表情を残したまま俺を見て、一度目を閉じてから再び開けると緩やかなカーブを描く。

「いつでも、ここへ帰ってきてもいいのだぞ」
「──……、」
「私もハーくんも、オーナーもメリープたちも。みんな、アヤトが好きなのだ。以前と同じように、……たまには、顔を見せにきてくれないか」

笑顔を見せるハーさんを見て、思わず潤む視界を腕で素早く拭った。それから空気を吸い込んで、腹から思いっきり声を出す。ハーさんだけじゃなくて、願わくば、ハーくん先輩やオーナーさんにも届くように。

「俺もみんなが、大好きです!!サンギ牧場が、大好きなんです!!だから、っだから!またぜったいに、来ます!!」

叫び終えるとハーさんが驚いたような顔をしてから、目元をきゅっと寄せて泣きそうな顔をしながら笑っていた。大きく手を振ると、大きく振り返られる。

行ってらっしゃい。
行ってきます。

今度また俺がここに来るときには、どうかメリープたちが昼寝をしていますように。ハーくん先輩たちが、笑って迎えてくれますように。

「……ほんと、アヤくんは泣き虫だねえ」
「う……うれし泣きはノーカンだ」

隣で歩きながら俺の頭を撫でようとしてくるロロの腕を叩き落とす。
鼻水を啜りながら腕で拭って、振り返る。後ろ、遠くに見えるサンギ牧場を見て。
……また、歩き出した。






ぱきん。黒く灰になった柱を踏む。
……ここは、リヒトの家で間違いない。

確かに何も残ってはいないが、オレの記憶がピタリとこの場所と合う。これでまたひとつ、リヒトの記憶と合わせることができたというわけだ。
これをすることで何の意味があるのかは分からないが、博士がそうしろとオレをプログラムしているからやるしかない。

"きみは、おれじゃない。だからいいんだよ。好きに生きれば、いいんだよ"

リヒトはオレを見るたびに、繰り返しそう言っていた。つい昨日まではお互いに"リヒト"と呼び合っていたのに、オレの存在意義を聞いた途端に"きみ"と呼ばれるようになってしまった。何度考えても理由が分からず、今に至る。

「──……好きに生きるとは、。どうすればいいんだろうか」

分からない。が、とりあえず今はリヒトと交わした約束に従おう。それだけを考えていればいいのだ。

「……ヒウンシティに戻るんだな」

はるか遠く、アヤトの匂いが動いた。後を追わねば。
灰を蹴り上げ、走り出す。リヒト亡き今、オレが第一にするのは、。




- ナノ -