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ヒウンシティからサンギ牧場までの道のりは空からも海からも、もう何度も行き来している。それでも今は、今までとは違った感情を持って乗っていたからなのか。いつもは長く感じた船旅がものすごく早かった。到着の汽笛が鳴り終え、一番最後に船を降りる。タチワキシティも久しぶりだ。
ここから道路を歩いていく。祈とたくさん特訓した場所だ。すごく昔のことのように思う。

「懐かしいね」
「ああ」
「大丈夫?」
「……なんとか」

サンギ牧場へ近づくにつれて、鉛のように重くなる足。いざとなったらロロに引っ張って行ってもらうが、そうならないようになるべく平常心を保つ。今もまだ想像できない。自分がどんな表情をしながらハーくん先輩たちに話すのか。また、その話を聞くロロもどういう顔をするのか全然想像できなかった。

イオナ曰く、サンギタウンの復興はほぼ全て終わっているらしい。ヒウンシティよりも被害が少なかったからだろう。しかし、一番被害の大きかったサンギ牧場は小屋自建て直したものの、牧場の運営となると被害額が大きすぎて再運営できるのはまだ未定だという。

「──……、」

サンギ牧場の入り口。以前あった立て看板がどこにも見当たらない。新品の柵を手で押して牧場の中に入る。まだ成長途中ではあるが、一面に緑が見える。しかし、どこにもポケモンは見当たらない。ミルタンクやメリープの姿もなかった。メリープ姉さんたちも、やはりいない。
三角屋根の小屋の後ろは、すっかりきれいになっていた。つまり、森がごっそり無くなっていると言ってもいい。川は水量が減ったように思うが、前のように綺麗な水に戻っている。

「──……アヤト、……?」

声がした。ハッとして、顔をあげる。広い牧場の中、彼は一人立っていた。目を大きく見開きながら俺の方を真っ直ぐに見て、少しだけ唇を震わせながらゆっくりと両腕を広げた。
重たい足を動かして歩き、だんだんと速めていく。近づいたときにはもう駆け足になっていて、その胸元に向かって身体を投げた。そのままその場に座り込みながら思いっきり抱きしめて、思いっきり抱きしめられる。

「っハーくんせんぱい……っ!!」
「アヤト、アヤト!よかった、本当に、無事で、よかった……っ!!」

涙声で何度も呼ばれる自分の名前に嬉しくもあり、少し恥ずかしくもあり。思わずもらい泣きしそうになりながら、グッと抑えて背中に回した腕に力を入れる。
もうハーくん先輩から薬品の匂いはしなかった。それだけでこんなにも嬉しいなんて。日常が戻ってきたような、……でもその中には戻ってこないものもあって、。

しばらく抱き合ってから、心臓の音を大きくしながら顔をゆっくりとあげる。目があって、軽く噛んでいた唇から歯を離すと少し震えていた。乾いた唇を開け、口を動かす。……言わなくちゃ。言わなくちゃ、いけないのに。
声が出ない。
さっきまで我慢できていたのに、今になってひどく泣きたくなってきた。守れなかった後悔と、期待に応えられなかった申し訳なさ、そして今ここできちんと言葉にできない情けなさ。色んな感情がごちゃ混ぜのまま重くのしかかる。

「…………あ、の」

やっと、言葉を出せた。しかし同時にぽろりと涙がこぼれてしまい、慌てて唇を噛む。
心配してくれていた、俺たちのことを大切に想ってくれていた彼に。他でもないこの俺が、言わなくちゃいけないのに。リヒトが、──……リヒトが。

「……ニュース、見たよ。……今ここにリヒトが、アヤトと一緒にいない、ってことは、つまり、……つまり、そういうこと、なんだろう……?」

彼の声も、震えていた。見なくても分かる。ハーくん先輩が今、どういう顔をしているのか。
俯いたままゆっくり頷いてみせると、そっと片手が伸びてきた。俺の肩に優しく乗っかり、きつく握られる。

「アヤト、」

ぎこちなく顔をあげると、目元にぐっと力を入れながらボロボロ泣いている彼がいた。唇を震わせて、頬を流れ落ちる涙を飲みながら声を絞り出す。そうして俺を、真っ直ぐに見て。

「すごく、辛いだろう。きっとすごく、辛いはずなのに。……また、ここに帰ってきてくれて、本当にありがとう」
「──……、っ、」
「僕に、伝えてくれて。ありがとう、アヤト」

泣きながら浮かべられたその笑顔に、俺は、涙をぼたぼた落としながら首を左右に振って俯いた。
期待に応えられずのこのこ戻ってきた俺に、ありがとうだなんて。
──……なんて、勿体無い言葉なんだ。なんて、優しすぎる言葉なんだ。

「……アヤト、君に、これを」

芝生を握りしめていた手を掬い上げられ、その上にそっと乗せられたのは。
──……俺が、リヒトにあげた、俺の携帯だった。
ストラップは泥まみれで、画面にはヒビが入っていた。ヒビの間には、赤い結晶が未だこびりついている。
思わず顔をあげてハーくん先輩を見ると、俺の手の上に乗っている携帯画面のヒビ割れを、指先で愛おしそうにゆっくりなぞりはじめる。

「牧場に、落ちていたんだ。あんなに荒らされたのに、これはひび割れだけで済んでいる。それってさ。……きっとリヒトが、最後まで大切に持っていたからだと思うんだ」

リヒトが、たいせつに、……。
震える両手で握りしめ、ゆっくり持ち上げてから額に当てた。冷たくて、あたたかい。
どうしようもなくそのまま泣いていると、ハーくん先輩がそっと体を寄せて俺の背をあやすように撫でる。

今は強がっているけれど、きっと俺がヒウンシティに戻る頃にはこの人もまた悲しみに暮れるんだろう。後輩である俺には決して見せない、弱弱しい姿で泣くんだろう。分かってはいるけれど、やっぱり想像はできないから、先輩は先輩なんだと改めて思う。

……やっぱ俺、ハーくん先輩が先輩で、本当によかった。


しばらくそのままでうずくまっていると、小屋の扉が開く音がした。ゆっくり顔をあげてハーくん先輩と一緒に音のしたほうに目を向けると、辺りを見回していたハーさんが少し遠くから見ても分かるぐらいに驚いた顔を見せていて。
こちらに向かって駆けてくる。その姿に立ち上がり、腕を広げて走り出す。そうしてまた、抱きしめて。……また、泣いてしまった。

「おかえり、アヤト。よく、ここまで来てくれた」

そう言って俺を思い切り抱きしめてくれた。……サンギ牧場は、俺とリヒトの思い出の場所は、故郷は。やっぱり、あたたかくて幸せだ。

ハーくん先輩とハーさんに会って、今、ようやく思ったことがある。

「ここまで来て、……ほんっとうによかったです……っ!」

リヒトに言われたからここまで進んできた。例えそうだとしても、自分の足で進んできたことには変わりない。
進むことで、初めて見えることもある。それを今、思い知った。立ち止まったままではなく、こうして進んできたことを。今、改めて良かったと心の底から思った瞬間だった。




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