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ビル内。バトルフィールドの端にあるレベル検査器を見て、驚いた。
いつのまにかレベル8だったエネが、気付けばなんと30近くになっていたのだ。一気にこんなにあがるものなのか。俺の見間違いではないか。一度目を閉じて擦ってからまた見てみる。……やっぱり数字は変わらない。マジか。
「あ〜、信じられないって顔してるう。でもこれ、本当だからあ」
エネが下から俺を見上げて、面白そうにニヤニヤしていた。じわりと腕に腕を絡ませてくるのを無理やり離すと「アヤトくん冷たあい」とか嘘泣き混じりに声を漏らす。それはともかく、確かイオナが言っていた。俺が塞ぎこんでいたとき、エネはずっとバトルフィールドにいて詩とバトル練習をしていたと。実際には見ていないからよく分からないが、このレベルの上がり具合をみればどれほど練習していたかおおよそ見当はつく。
毎度のことながら可愛さアピールのためなのか、意識して出している猫耳を横に垂れて分かりやすくしょんぼりしているエネを見て、仕方なく腰を屈めて視線を合わせた。そうすれば、すぐに耳をピン!と真上に向けて上目遣いで俺を見る。……いや、わざわざ目線合わせてやってんのにどうして首を傾けるんだ。
「なになに、アヤトくん?どうしたのお?」
「あのさ、……エネは、どうして急にバトル練習なんて始めたんだ?」
すかさず俺の首に自分の腕を絡めていたエネが動きを止めて、視線を合わせる。それからふっと、一度だけ視線を逸らしてまたこちらへ向けて。
「何でも真っ直ぐに聞いてきちゃうアヤトくんも嫌いじゃないよお」
「……別に、話したくなければ話さなくてもいいけどさ」
「アヤトくんがぼくを気にかけてくれているんだもん、嬉しいから話しちゃう」
本当は察してほしかったんだけど。、そりゃ言われなくてもわかった。それでも直接聞いてみたかったんだ。エネの口から、直接。
腕を離して足取り軽く一歩踏み出し、両腕を後ろで組んでから振り返る。
「単純な理由だよ。……大好きなマスターの、仲間の、力になりたい。ただ、それだけ」
あのとき。ぼくだけ、何もできなかった。祈ちゃんたちは必死になって戦っていたのに、ぼくはそれを見ていることしかできなかった。戦うのは嫌いだよ。痛いし、苦しいし、他の誰かを傷つける。……けどさ、それって。ぼくだけが思っていることじゃないんだよね。祈ちゃんだって詩ちゃんだって。戦うのはあまり好きじゃないって言っていたんだ。それでも、戦っているんだ。練習もして、すごく頑張っている。
「それなのにぼくは、アヤトくんの言葉に甘えて逃げてたんだよね。……何もできなかったあの時。自分の無力さを痛いほど分からされた」
「……でもエネ、戦うだけが全てじゃない。お前だって分かってるだろ。お前がいるだけで、嬉しいと思うやつもいるんだ。別に無理して強くならなくても、」
「──……きみって、本当に優しいね。優しすぎて、怖いぐらい」
きみが、ぼくらポケモンを対等に見てくれているからこそ、そういう言葉が出てくるんだよね。、エネが言う。……果たして本当にそうなのか。俺はちゃんと、そう見えているんだろうか。表面上だけじゃないのか。
自信を持って頷くこともできず、何も言わずにエネを見る。
「アヤトくん。ぼくはもう、何もできずに見ているだけなんて絶対にいやなんだ」
「エネ、それは、」
「もしもまた。同じようなことが起こったら、今のままのぼくでは絶対にまた同じ後悔をする。……ぼくは大好きなきみや仲間を、自分の力で守れるようになりたいんだ。同じ男ならぼくの気持ち、分かるでしょう?」
「……ああ」
大きく頷いてみせると、エネは満足げに笑みを浮かべて一度背伸びをした。それから遠く、反対側のフィールドにいる祈とイオナがいる方向を見る。バトル練習だというのに、どこかいつもより緊張感がある気がする。練習というよりも、疑似戦と言った方が正しいような。
「祈ちゃんもあれからイオナさんと特訓して前以上に強くなってる。……ぼく、勝てるかな」
俺にお願いをした手前、勝ちたいという気持ちが強いんだろうがその分不安も大きいように思う。ぽつりとつぶやいたエネの後ろ、手を腰に当てて口を開く。
「大丈夫だろ。だって、」
「だって、わたしが特訓したんですもの。絶対、引けは取らないわ」
俺の言葉に言葉を被せてきやがった。横目で見ると、詩が腕を組みながらエネの横に立って俺を見てから祈たちへ視線を向ける。いつも祈のそばにいる詩がここにいるというのは、なんとなく不思議な感じだ。やっと祈離れできたのかあ?、からかい混じりに聞いてみれば、すかさず頬を抓られる。ゴリラ女は相変わらずかよ。
「祈も大事だけど、今はエネ!」
「詩ちゃん……」
「大丈夫よエネ。だってあんなに頑張っていたじゃない!わたしもびっくりしちゃうぐらい、……本当に、すごく頑張っていたもの」
「詩ちゃん、ありがとう。……ぼく、全力で戦うから」
「うん。応援しているわ」
バトルフィールドへ向かってイーブイが歩いてくる。それに続き、エネもポケモンの姿に戻って歩きはじめる。審判は詩がやるようだ。長椅子の横に置いてあった旗を二本、手に取り所定の位置へと向かう。
「アヤトもエネに指示するのは当たり前なんだけど、……これからのバトル。祈とエネ、どちらもしっかり見てあげて。二人ともあんたのために、すごく頑張っているんだから」
「言われずとも。ああ、もちろん、詩のこともちゃんと見てるからさ」
「はあ?いいわよ、わたしのことは別に、」
「なんだよ〜照れんなよ〜やっぱお前、俺のこと好、」
両頬を掴まれて抓られるまでわずか数秒。その上思いっきり両方に引っ張られて口が裂けるかと思った。クソ痛くて仕返ししてやろうと思ったがもう遅い。とっとと審判の位置まで早足で行く詩の背を、頬を擦りながら見送って。
「……ちゃんと、見てるから」
頭の中で、今までの祈の動きを何度も繰り返し思い浮かべて歩き出す。
俺がひとり立ち止まっている間にどんどん前に進んでいった仲間たちの姿は、一体どのように俺の目に映るのか。楽しみと、少しの不安を抱えて。
今、バトルフィールドに立つ。
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祈に指示を出す者はいない。全て祈の判断で動くというわけだ。それも踏まえて、エネに指示を出さなければいけない。エネの向こう、祈はすでに前のめりに構えている。いつでも飛び出せる準備はできているというわけだ。
旗を持っている詩が立ち。
「それではバトル──……はじめ!」
勢いよく上にあがる。瞬間、祈が駆け出し真っ直ぐにエネに向かってくる。祈はスピードスター以外、ほぼ接近戦の技が多い。となると何としても距離を詰めてくるのが当たり前だが。
「エネ、猫だまし!」
掛け声とともにバシィン!と音が弾ける。迫りくる祈の目前、エネが尻尾を床に叩きつけた音だ。猫だましは100%先制攻撃できるうえ、確実に怯ませられる技だ。もちろん祈も例外ではなく、驚いて一瞬その場に立ち止まる。チャンスはここだ。叩きつけた尻尾を利用して宙に放り出されているエネのお腹あたりがグッと膨れる。
「れいとうビーム!」
瞬間、冷気が放たれる。威力はまだあまり出ていないものの、この短期間で習得したらしい。上出来すぎて、思わず笑みが出る。……が、流石いつもイオナ相手に練習しているだけある。怯んだ瞬間、自分の前足でもう片方の前足を踏んで即座に後ろに引いてから、床にスピードスターを叩きつけて脆くとも壁となるものを作ったのだ。これでれいとうビームも相殺され、再び距離が少し開く。
『さすが祈ちゃんだよ……』
『わたしも、負けたくないから』
ぐっと祈の前足に体重が乗る。──……あの技が、来る。
「エネ!地面に向かってれいとうビームだ!」
エネの足元が紫色に染まる直前。れいとうビームで身体を押し上げ、宙へと逃げる。足元が凍ってしまったが、毒にじわじわやられるよりはマシだ。しかしそれでも祈は追ってくる。宙に身を投げていたエネに向かって、黒いエネルギーの塊が放たれた。シャドーボールか。いつの間に覚えていたんだ。
「アイアンテールで叩き割れ!」
宙で身体を捻るエネ。尻尾が光り、光沢を帯びる。シャドーボールが当たる直前、ギリギリ尻尾がうまく当たって爆発した。ドォン!という音とともに土埃があがり、その隙間にピンク色が飛ばされている姿を見た。そんな中、流星の如く駆け抜けるのは。
「っエネ!尻尾で壁を押して避けろ!!」
──……だめだ!指示が遅かった!!
祈がでんこうせっかでエネに近づき衝突。突き飛ばしてからアイアンテールで真上から叩き落とす。床にエネが叩きつけられ、ボールのように小さく跳ねる姿が見えた。ここでやっと土埃が薄くなり、床に倒れているエネと呼吸を整えている祈がいた。
瞬間、再び祈が走り出す。エネが丁度、起き上がろうというときだ。まったく、容赦ねえ。なんとか動きに視線を合わせて祈をみる。凍った床の上に踏み込み、飛び上がった。あの動きはスピードスターか。だとしたら一旦まもるで、……と思っていたが。
『っあっ!』
「……!」
祈が、バランスを崩した。氷に足を取られて、飛び上がったはいいものの態勢が整えられなかったのだ。これはチャンス。慌てて口の形を変えて、エネに向かって叫んだ。
「れいとうビーム、ぶっ放せえっ!!」
起き上がり、宙にいる祈に向かって。れいとうビームが放たれる。直撃だ!拳を握ったが、即座にバン!という音に視線を向けると、落ちながらも透明な壁を展開してれいとうビームから身を守っている祈が見えた。マジかよ。手に汗握り、エネに視線を移すと。……すでに、祈の落下するであろう場所へ向かって走りだしていた。エネの接近戦、もっとも祈に効果的な技は。
「めざましビンタ!!」
ピンク色の尻尾を振りかざし、先ほどのお返しと言わんばかりに叩きつけた。透明な壁も叩き割られ、破片と一緒に祈に向かって降りかかる。尻尾が頬辺りに当たった。瞬間、祈が口を開けて、エネの尻尾に思い切り噛みついた。甲高い猫の声が聞こえたと思えば、すぐさま二か所で床に思い切り強くぶつかる音がした。
「……っ、」
旗をあげるかあげないか、迷っている詩の前。土埃の中にゆらりと立ち上がる二つの影。
……二人の戦いは、まだ、終わらない。