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突然、テレビから画面を通しても音が震えて伝わってくるかのような爆音が鳴った。音に釣られて画面を見れば、だだっ広いバトルフィールドに対峙している二体のポケモンが真上から映し出されていた。お互いの後ろにはトレーナーが控えている。どうやらポケモンバトルの生中継らしい。すっげー面白そう。ていうか画面に映ってる左側の人、見たことあるわ。この人あれだ、四天王の悪タイプ使ってる……えっと……なんだっけ。名前忘れた。

「にしてもレパルダスとローブシンか。四天王っつっても楽勝だったからなー。これレパルダス負けるだろ」
「それって君がやっていたっていう、この世界が舞台のゲームのこと?」
「そ」
「ならこのバトル、よおく見ておいた方がいいよ」

やけに挑発的な顔だ。やっぱりあれか、自分と同じ種族が負けるとか言われてムカついてたりしてんのかな。それはそれで面白いけど、ロロに言われなくとも画面の向こうのレパルダスが負けて地に伏す姿を見逃すつもりは少しも無い。それにこうやって実際の生き物同士が戦うところを見るのも初めてだ。興味が湧かないはずがない。

『おーっと、ここでレパルダスのあくのはどうが決まったー!しかしローブシンには効果いまひとつ!さあ、どう出る四天王ギーマ!』
「あ、そうだギーマだギーマ」

黄色いマフラーをなびかせて、地に舞い降りるレパルダスを見据えながら指示を出す男を眺める。次に相手トレーナーの顔が映され、その余裕の笑みを見てから「ああこいつはもうすでに勝利を確信してんだなあ」なんて暢気に思っていた。そりゃ相性が有利ならバトルだって有利に進められるに決まってる。四天王が負ける瞬間も拝めるってか。こりゃ面白い。

『反撃とばかりにローブシンがどっしりと構えた!……ビルドアップからの、出た―!強烈なアームハンマー!』
『土煙でこちらからでは状況が把握できません。果たしてレパルダスの運命やいかに……!?』
「ははっ、終わったな」

キャップを捻り、おいしい水を喉に通す。その間もテレビからは慌ただしい音がしていたものの、もう見なくてもレパルダスが負けたことは分かっていた。さあてロロはどんな顔してんのかなあ。上向きにした顔を正面に戻したその時。……歓声が、聞こえた。

『い、一体何が起こったのでしょうか!?私にも見えない速さでしたが、ジャッジさんには見えましたか!?』
『どうやらギーマ氏のレパルダスは、アームハンマーを華麗に避けてからイカサマ、そして視界が悪い中でも確実に当たるつばめ返しをしっかりきめていたようです。流石は四天王のポケモンと言ったところでしょうか』
「マっ、マジかよっ!?」

砂埃が未だ漂うバトルフィールドにひれ伏しているのは、ローブシンの方だった。余裕の笑みまで浮かばせていたトレーナーの顔は、今では真っ青になっていて慌ててローブシンに駆けよっている。対するレパルダスはと言えば、堂々と立ち、ローブシンを見下ろしてから後ろを振り返ってギーマの元へと自らの足で戻っていた。戻ってきた自身のポケモンを愛おしそうに撫で、歓声に向かって身体を捻って笑みを浮かべるギーマの表情は誰がどう見ても勝者のそれだった。
チャレンジャーへ傷薬を手渡し戦い抜いたローブシンにも言葉をなげかけるギーマをばっちりカメラで映してお茶の間へ届けているところまで見終えた俺は、ただただ茫然と切り替わる画面とスポンサー一覧を眺めていた。

「アヤくん、感想をどうぞ」
「避けるって何?連続攻撃とかありなの?」
「もちろんありだよ。避けられる攻撃は全て避けるし、相手が遅ければ続けて攻撃だってする」

だってここは、君の知っている"ゲームの世界"じゃないんだよ?
そういって不敵な笑みを浮かべるロロを見て、思わず眉間に皺を寄せた。……ここはゲームの世界"だった"ところ。今は、ここが現実世界。ゲームと違うってこと、分かってるつもりだったけどどうやら本当に"つもり"だったらしい。俺はまだ知らないことや分かっていないことが多すぎる。

「それにしても相変わらず美人さんだなあ」
「誰のこと言ってんの?」
「ギーマさんのレパルダスだよ。俺、ひと筋縄ではいかなそうな女の子好きなんだよねえ。まあひよりちゃんが一番なんだけど」
「あーはいはいそうですか」

……いやコイツほんと頭おかしいわ。どんだけ母さんのことが好きなんだよ。気持ち悪い。というか俺にはどっちがどっちだか分からなかったが、どうやらポケモン同士なら性別も姿を見りゃ分かるらしい。多分同じように、ロロだったら例え同じ姿をしたレパルダスが何十体いても個々の判断もできるんだろう。

「しかしあのレパルダスすげー格好良かったなあ……」

ロロのくだらない話を聞いた後、時間差で先ほどのバトルの感動がやってきた。テレビ越しとは言えども本当にポケモン同士が戦っている映像というものを初めて見たんだ。観客で賑わいカメラで映されていたあの場に俺自身はいなかったものの、いずれ俺もあの場所に立つことが出来るかも知れない。いいや、絶対立つ。そんで四天王全員倒してキャーキャー騒がれて……そんなの、興奮するに決まってるじゃないか!俺も早くバトルがしたい。ポケモンといったらバトルだろ!
手にじんわりとかいた汗を握りしめてから勢いよく立ち上がってロロを見る。丁度欠伸をしているところで、大口を開けては目の淵に全く可愛げのない涙を浮かべていた。

「そういやロロってレベルどれぐらいなの?てかレベルとかあるの?」
「あるよ。レベル計測器とか街中に必ず置いてあるし、ポケモンセンターにも設置してあるよ。ま、最高値が100と定められているだけで、実際はそれ以上のポケモンたちだって沢山いると俺は思うけどね。俺たちだって生き物だもの、進化し続けるし限界なんてきっと無い。ちなみに俺は、一応レベルMAX」
「MAX!?てことはお前100レべか!?」
「まあね。これでも四天王倒したり伝説のポケモンと戦ったりしてきたから、嫌でもあがるさ」
「マジか!!」

育てる手間が省けた!とガッツポーズをしたあとに、今一度ロロのセリフを口の中で繰り返した。四天王、つまりさっきテレビに出てたギーマも倒して、……え?待て待て、ロロは母さんのポケモンだったんだろう?それに伝説ポケモンと戦ったということは……、。

「な、なあロロ。もしかして母さん、……ポケモンリーグ制覇した、とか言わないよな」
「制覇はしてないけど、ひよりちゃんは四天王と戦って全員に勝ったよ」
「てことは、チャンピオンには負けたってことか?」
「うーんと、まあ、色々あってチャンピオンとは戦えなかったんだよねえ。でも多分、……いや、絶対。ひよりちゃんと俺たちならチャンピオンにも勝てたよ」
「…………」

いっつもボケーっとして何もないところでつまずくようなあの母さんが四天王を倒したなんて、信じられない。その前にまずどうやってこの食えないロロをここまで手懐けたのか想像もつかない。……もしかして俺が思っている以上に母さんはトレーナーとしてすごかったのでは。
そう思ったとき、心にもやっとした何かと熱い気持ちが込み上げてきた。多分、嫉妬と闘争心。母さんになんて負けるもんか。俺だって、俺だって……!

「ああーっこうしちゃいられねえ!とっとと残り5体のポケモン捕まえて育てて、四天王とチャンピオンぶっ倒して伝説もとっ捕まえて母さんを超えてやる!」

駆け足で洗面所に向かって高速で歯磨きをしたあと、髪にワックスをつけていつも通りセットしてから荷物を纏めて鞄を掴んだ。スリッパから靴に履き替え、鍵も持って準備は万端。幸い、ロロはレベル100だし野生のポケモンも余裕で倒せるし捕まえられるだろう。……あ、待てよ。そういや俺、ロロのボールをまだもらってなかった。

「ロロ、寄こせよ」
「え?何を?」

おいおい、なんでまだ暢気に椅子に座ってんだよ。俺が急いで準備してたの見えてただろーが。また欠伸してるし。あれか、猫だから常に眠いってか。くそ。

「何って、ボールだよ。俺、お前のトレーナー。トレーナーがボール持つのは当たり前のことだろう?」

ロロは自身に差し出されている手を充分時間をかけてから眺めたあと、伏せていた長い睫毛をゆっくり持ち上げ俺を見た。真っ青の瞳に小さく映っている自分自身を見て、なぜか少しだけ後ろに下がってしまった。……まただ。俺コイツのこういうところも嫌い。急に尖りだすのやめてほしい。

間が空いて、乾き始めた喉に唾を無理やり通していると、ロロがふっと片手を自身の首元に持って行ったと思えば細長い人差し指で首元の服を少しだけ引っ掛け前に動かし、首を伸ばすように顔を斜めに動かした。今まで隠れていた、女のような艶のある白い首筋が露わになり、それを否定するかのように出っ張っている喉仏が微かに動くのを見る。

「アヤトくん、これ何だか分かる?」

"これ"。すなわちロロの首を一周しているピンク色のリボンのことを言っている。なんでそんなの付けてんだよ。って眉間に皺を寄せながら言うと、ロロは一度だけ小さく笑った。……正確に言うと、俺を馬鹿にするように鼻で笑っていた。

「これは俺にとっては首輪なの。俺が彼女のポケモンであるという、目に見える証」

話が全く見えてこない俺は、とうとうロロに向けていた「ボールを寄こせ」の意味を持つ催促の手を降ろしてしまった。何を言っているのか分からないって顔してるね。、そう言ったロロに向かって顔を歪める。いやその通り、お前が本当に何を言っているのか分かんねえから。

「つまり、なんなんだよ」

ため息を吐きながら頭をガリガリと掻き乱していれば、ロロが形の整った口元を思い切り釣りあげ、伏し目がちに俺を見る。鋭く光る青い目が俺を射抜いたその直後。

「つまり、俺はひよりちゃんの飼い猫であって、アヤトくん、君のポケモンなんかにならないよっていう話」
「…………は?」
「一緒に旅はしてあげる。でも君のポケモンにはならないっていうか、はっきり言ってなりたくないね。生意気なくせして中身は豆腐みたいに弱すぎるしビビりだし」
「…………え?」
「てなわけで、俺は絶対アヤトくんの手持ちにはならないから。そこのところ宜しくね」

……まるで理解が追い付かない。
そうして瞬きをゆっくり繰り返すことしか出来ない俺の耳を、ロロの笑い声だけが清々しいほどに通りすぎていった。




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