10

ビルの間を抜けて広い空間に出た。円形だ。崩れた建物が散乱しているが、セントラルエリアだと分かる。
立ち止まり、周りを見回しながら肩で息をしていた。視線を激しく動かしながら、鉛のように重くなった足を引きずる。
頬がつっぱる。涙が冷えて乾いたからだろうか。それでもまだボロボロと出てくる涙を、一度腕で乱暴に拭った。それから腹に力を入れて、煙臭い空気をスッと吸い込んで。

「っリヒトーッ!!リヒトッ!どこにいるんだよーッ!?」

遠くから聞こえる轟音に負けないぐらいに声を張り上げて、ただひたすらに呼び続ける。
リヒト、リヒト。どうか答えてくれ。俺の声に、答えてくれ……──!!

ぴちゃり。、ふと、足元から水の音がした。リヒトの名前を叫びながら目線を下に移してみると、……赤い、水が足元を濡らしていた。
喉が絞まり、よろけながら後ろに一歩さがると、水を踏んでいた靴底と地面の間で液体が粘るのが見えてしまった。赤く引いた糸はすぐに消えて、また地面に戻ったが。俺の脳裏から消えてはくれない。

俺が今踏んだのは、水たまりなんかじゃない。
──……血だまりだ。

「……っう゛、!」

血だと分かった途端、鉄の臭いが鼻を突いてきた。酸っぱい液体が腹からぐっとせり上がってきて喉元まで一気にやってくる。慌てて口元を両手で抑えてはみたが、吐き気は増して喉が痙攣するように細かく前後に動き出す。
もうどうしようもなく、崩れるようにしゃがんでから血だまりに背を向けて、四つん這いになったところで全部吐き出した。ぼたぼたと黄色い液体がコンクリートの上に落ちていくのを涙目で見て、またえずく。片手で胸元を握りしめながら荒い呼吸のまま目を瞑る。

「はあ……、はあ、」

血だまりぐらい、あって当然の場所だ。頭では分かっているが、心と身体が追い付いていけていない。辛くて辛くて、どうしようもない。
……それでも今、俺がここにいるのは何のためだ。

小刻みに震える手でバッグを開けて、水を取り出す。一口だけ口に含んでから吐き捨てて、手の甲で口元を拭い、立ち上がる。足も、膝に手を当ててバランスを取りながらではなければ立てないぐらいにガクガクと震えているけれど。

「、リヒト……、!」

バッグを肩に掛け直し、今度こそ血だまりを飛び越えて前に進む。吐いたのが逆によかったのか、腹も胃の中も空っぽになったようで身体が少し軽くなったような気がした。
リヒトの名前を叫びながら進み、とうとうルベライトが言っていたセントラルエリアの中央奧までやってきた。速度を落として立ち止まる。肩で呼吸をしながら、全身に響き渡る心臓の音を耳元で聞く。
そうしてまた、叫んだ。今までよりも大きな声で魂から声を出すように、名前を呼んだ。

「──……ッリヒトオォオォオッッ!!」

声が反響した。地面が揺れた気がした。
──……そして、俺以外の、別の声が聞こえた。

「なぜ、人間である君がハーフ如きにそこまで必死になっているのだ」

振り返り、思わず身体が固まってしまう。
そこにいたのはリヒト……ではなく、白衣を身に纏った男だった。無造作に伸ばしてある髪を後ろでひとつに結んであるからか、余計に痩せこけた頬がはっきりと見えた。その後ろ、控えるように立っているのはハーフ、なのか、?

半身が機械で侵食されていて、もう半身は、……顔が、リヒトによく似ている。けれど違う。全然違う。手足がリオルのそれじゃない。他のポケモンか。ただ二人ともひどく損傷していて、もはやなんのポケモンとのハーフなのかすら分からない。痛みを感じないのか。無表情のままそこにいる姿を見るのがつらい。

「なぜそんな表情をしているのだろうか。私には理解できない」
「……っお前だな、リヒトを実験体にして、研究をしてたってヤツは……っ!!」
「リヒトの様子が少し変わったのは、……そうか、君だったのか」

沸々と全身が熱くなる。両手で拳をきつく握り、思いっきり睨んだ。効果の有無はもはや関係ない。睨まずには、憎まずには。……恨まずには、いられない。
ハーくん先輩が言っていた。リヒトは、牧場を襲う前に「逃げろ」と言っていたと。となれば、決まってる。リヒトに無理やりそうさせたのは、今俺の目の前に平然と突っ立っているこの男しかありえない。もう俺の脳内では男が死ぬ未来が永遠と流れている。こんなにも、他人の死を望んだのは初めてだ。

「リヒトはどこだッ!!リヒトを返せッ!!」
「それはできない。なぜなら彼は、ハーフたちにとって希望の光であり、……また、私にとっても希望の光であるからだ」

それがどういう意味なのか。俺にはさっぱり分からないし、分かりたくもない。とにかく何でもいいからリヒトに会いたい。リヒトが今、どうしているのか。考えれば考えるほど、何かに心臓を掴まれているような感覚がした。早く会わないと。そうしないと、…………もう、だめな気がして。

「君にとって、リヒトは何なのだ」
「リヒトは……っ!」

態勢を低く構えて、男に向かって一直線に走り出す。指先を手のひらに食い込むぐらいきつく拳を作って、顔面めがけて突き出した。

「俺の、ッ親友だーーッ!!」

瞬間、ガアンッ!と固い物にぶち当たる。俺の拳と男の顔の間、血に濡れた大鎌が盾として入ったのだ。素早く腕を引っ込めて後ろに下がる。大鎌は、後ろにいるハーフの半身である機械についているものだ。
拳をもう片方の手で擦りながら睨み続ける。……あいつらが後ろにいる以上、男をぶん殴ることも出来ないというのか。舌打ちをして、静かに闘志を燃やす。いいや、諦めてやるもんか。

「親友、……はは、っはははは!」

下を向きながら片手で顔を半分覆いながら、男が笑う。
俺は歯を食いしばりながら無言でじっと眺めていた。背中まで丸めてうずくまるようになりながら笑い続けていた男が、突然、バッ!と起き上がって俺を見る。口を開け、声を張り上げる。

「ッハーフなど実験素材以外に何の価値もない!何も生み出さなければ社会にも貢献しない、醜い獣以下の存在だ!!それを親しい友だとッ!?馬鹿馬鹿しいにもほどがある!!」
「勝手に言ってろクソ野郎ッ!!テメエがどうこう言おうが、リヒトが俺の親友であることは変わらねえ!!」
「いいや認めない、私は認めない!!私の大切なものを奪ったハーフには、欠片の幸も与えてはならないッッ!!」

瞬間、後ろにいたハーフたちが動き出した。大鎌を携えた彼らが、真っ直ぐに俺に向かってきている。即座に分かる。あの速さでは、逃げられるわけがない。ならばどうするか。……戦うしかない。ハーフ相手にどこまでやれるか分からないが、態勢を低くして拳を構えた。

……大鎌が、振り上げられる。重さがあるぶん、動きが見える。とはいっても速さはやはり人間離れしていて。ギリギリで横に跳んで避ける。コンクリートに深く突き刺さっている鎌に肝を冷やしている時間もない。真横からくる二人目の鎌を寝っ転がって避ける。ガガガガ、崩れた建物の壁に擦れる音がする。

次はどうすれば生き残れるか。生死の狭間に立たされた今、今までになく頭が冴えている。本能が俺を必死に生かそうとしている。
……が、やはり動きには限界というものがあって。俺が判断するよりも早く、腕が迫っていた。迷いもなく、俺の心臓を狙って。

「ッックッソオオ……!!」

だめだ。そう思った。

……思った、だけだった。
抉り出されるはずの俺の心臓は、うるさいぐらいに未だ爆音を鳴らしていた。咄嗟に閉じてしまった目をゆっくり開けると、──……目の前に、ハーフがいた。後ろにもいて、完全に囲まれている。けれどもこうして俺が無傷でいるのは、二人が、ぴたりと止まっているからである。

「なん……だと……?なぜだ、不具合などあるはずないのに……!?」
「──……、……、」

少し離れた先、男が片手で頭を掻きむしりながら、もう片方の手で透明な画面に向かって必死で指を動かしていた。そこから視線を外して、冷や汗を垂らしながら目の前にいるハーフたちをみる。よく見れば、全身がぶるぶると震えている。まるで……何かに抗っているような。

「まさか……私に逆らう気か!?いいや、やるのだ!!ハーフの力はそんなものか!?違うだろうッッ!!憎悪を思い出せ!復讐を、復讐を……!!」
「……、……、」

男の声が張り上げられる度に、ハーフたちの筋肉がびくりと飛び跳ねるのを見た。そしてまた、大きく震えて動きを止める。……無表情のまま、何も話さない二人を見て思う。
これは、いったいなんなんだ。

長く青い前髪の下、目が見えた。赤い、瞳だ。……やっぱりリヒトによく似ていて、不意に泣きたくなってしまう。

「なあ、もしかして、……お前たちも、……無理やり、動かされているのか……?」
「……、……、」

絞り出した声は掠れていた。それでも俺は、まだ聞かなくちゃいけない。知らなくちゃいけない。
本当の、ハーフたちのことを。

真っ直ぐに伸ばされたままの手に、そっと指先を伸ばす。いまだ震えているポケモンの手は、赤黒く染まっていた。誰かの血なのか、それともハーフ自身の血なのか。
分からないまま、触れて。……ぎゅっと握りしめて、額を当てた。

「つらいだろう……、すごく、つらいよなあ……っ、」
「……、……、」
「っだって、おれは、知ってる。ハーフってさ、ほんとうは、人もポケモンも、どっちも好きなんだ……!知ってるよ、ずっと近くで見ていたからっ、!……ハーフは、すごく優しくて、いいヤツらなんだって……っ!!おれは、知ってるッッ!!」

顔を勢いよくあげてハーフを見ると。
……雫が、無表情の頬を伝って顎で集まり、静かにコンクリートまで落ちていた。止めどなく落ちていくそれを見るたび、辛くて唇をきつく噛み締める。
どうすればいいのか分からない。どうすれば、こいつらも助けてあげられるのか。分からず、どうしようもなく、。
静かに俯いてしまったときだった。

『──……あり、がとう、』
「──……え、」

握っていた手が。ぼこぼこと膨れ上がって、指先から全身へ向けて筋肉が拡張した。風船のように膨れ上がるのはあっという間で。
ぱあん。
……目の前で、ハーフが弾けて、死んだ。
残った機械だけがコンクリートの上に音を立てて落ちた。破裂した肉体が片となって降り注ぐ。赤い、雨が降った。

「…………ま、さか。自決した、だと……」

男の声にハッとして後ろを振り返る。もう一人も、やはりすでに手遅れで、もう破裂していなくなっていた。
……焦点が合わない。ただ心だけがすごく苦しくて重たくて、もうどうしようもできなくて声をあげて泣きたいぐらいで、その場にしゃがみ込んでしまった。

「……っなんで、どう、して……だよっ……!!」

どうやったら、リヒト以外のハーフたちも助けられるのか。……必死で考えていたのに。
なんで、自ら死んでしまったのか。男を目の前に、地面にうずくまって拳を何度も叩きつけた。散らばる肉片を見て、また地面を殴る。泣いて泣いて、殴った。

今度こそ本当に生き物ではなくなってしまったハーフの、最期の言葉が。
耳について、離れない。




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