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ビルの一階。避難してきた街の人とポケモンでいっぱいだった。
薬の臭い、鉄の臭い、煙の臭い……。どれもこれも、実験から戻ってきていたリヒトと過ごした夜を思い出してしまうもので、喉も胸も苦しくていっぱいになる。
胸元を力強く握りしめながら無理やり足に力を入れて、出口へと壁に沿って歩き出す。泣きわめきながら奧へ奥へと逃げようとしている人の波に逆らい一人歩く。

「アヤト様!?どこへ行かれるのですか!」

もう少しで扉を開けて外に出られるという寸前、スーツを纏った男に声をかけられた。どこか見覚えのある顔だが生憎名前は分からない。派手な髪色をしているからきっとポケモンなんだろう。トルマリンとは別の部署だったか。頭に包帯を巻いていて片腕を抑えているこの男もまた、ルベライトと同じく未だ職務を全うしていた。

「……セントラルエリアに、行かなくちゃいけないんだ……」
「危険です、どうかお止めください!」

扉の前に立ち、俺の前に立ちはだかる。その必死の表情に本気で俺のことを心配して止めようとしていることが分かった。それでも俺はどこか他人事で、……ふと、バッグの紐を握りしめながら、思ったことを訊ねてみる。

「……なあ。お前はさ、ハーフって、見たことあったか」
「は……、?い、いえ。今回初めて見ました」

突然の質問に面を食らったような表情を一瞬見せてから、また顔を引き締める男。

「ですが今回の件で、世から排除すべき理由が改めて分かりました。―あれはもはや、生き物ではありません」
「……そっ、か……、そう、だよな。怪我、させられたんだもんな……」

……辛い。それしか思えない。どこまでも辛くて、底なし沼のように思う。
俯いたまま男の怪我を負っている腕にそっと触れると、困ったような訊ねるような声色で俺の名前を呟くのが聞こえた。片手は胸元を抑えながら、感情を必死に抑え込む。もう片方で触れていた腕から力なく手を動かして、反対側の男の手を握った。

「……心配してくれて、ありがとな。お前も、早く休んだほうがいいぞ」
「アヤト様……、」
「──……ごめんな、」

そして、男の手を握ったまま思いっきり前に引っ張って態勢を崩す。男が声を出すのが早いか、……いいや、俺が扉から飛び出たほうが早かった。
回転扉に飛び込んで、手すりを思いっきり押して。

俺の名前を叫びながら手を伸ばす男の姿を、目の端に少しだけ映して。──……そのまま、振り返らないで走り出す。
走りながら、抑えていた声を少しずつ漏らしていく。

男は言っていた。「あれ」、と。ハーフを、もはや生き物として見ていなかったのだ。
……ただ、その事実が、俺にとってはものすごく辛かった。男の気持ちも分からなくはない。けど、今の俺には男の気持ちを理解しようとする余裕がない。そもそも他の誰かの気持ちを分かろうという気力がなかった。だから余計に辛くて、どうしようもなく苦しい。

「っリヒト、……リヒト……っ!!」

リヒトは、俺の友達だ。
たとえ皆が「あれ」だと言っても、生き物じゃないとか兵器だとか言われても。俺だけは、絶対に認めない。認めてなんかやるもんか……!!リヒトは、リヒトだっ!
俺よりも泣いて笑って、毎日色々考えながら抱えながら、戦いながら。リヒトは、俺なんかよりも……っ立派に"生きて"いるのに……っ!!

「……っリヒトぉ……っ!!」

ぐちゃぐちゃの気持ちが、目から涙となってせり上がって零れてくる。土煙があがる灰色の街を一人、走って走って、走った。
いつも歩いていた道が、まったく別の場所に見える。そんな非日常的なありえない景色でさえ気にしている余裕がなく、ただひたすらに親友のもとへと一直線に駆けていく。

息を切らして、苦しくなっても走り続けた。崩れたコンクリートの上を勢いよく駆け上がっては飛び降りる。轟音が鳴る。腹に響く音だ。ただ音は遠い。地響きすらも気にせず一か所を目指す。

リヒト、リヒト。

細かく砕けたガラスを蹴り上げ、戦場を駆け抜けた。





アヤくんが、一人で外に飛び出した。

イオナくんに謝るよりも早く、必死の形相で扉の先を指差した彼の横を走りすぎる。その間、ざっと周囲の様子を見たが、いいや、どうしてこれを見て一人で外に出られるのか。怪我の大小は様々ではあるけれど、無傷でいる人のほうが明らかに少ない。これを見たうえで飛び出して行ったというならば、アヤくんは完全に周りが見えていないということだ。

『ロロおじさまは先に行ってください!わたしはエネと祈と一緒に、後から追いかけます!』

詩ちゃんが言う。羽を羽ばたかせながら、沢山の人に押され気味の祈ちゃんとエネくんを見守っている。それに頷いてみせてから、イオナくんの方を見ると視線がばちりと合った。お互いすぐに逸らし、俺は一人外へ飛び出す。

アヤくんはリヒトくんがいたというセントラルエリアに向かっているに違いない。だとすれば、道はおのずと限られてくる。

『全く世話の焼ける……っ!』

瓦礫を飛び越え、全速力で破壊された道を走る。
これでもしもアヤくんに何かあったら、俺は大切なマスターに合わせる顔がなくなってしまう。きちんと敵の情報を把握してから戦いたかったけれど、もう文句を言ってもどうにもならない。

まだか。まだ、追いつけないのか。

地面や崩れた建物、そこらじゅうに飛び散った血がある。ふっと暗がりを見れば、数時間前までは人だった肉の塊も転がっている。まさにここは、惨劇があった地になっていた。……これすらも、あの子は見えていないのか。


未だ火柱をあげながら燃えている建物の間を駆け抜けながら、じわじわと焦りを感じはじめたとき。

『ッ見えた……!!』

前方、一人、誰もいなくなった街を駆けるあの子を見つけた。走りながら、思わず小さく息を吐き出す。

瞬間。
殺気。

素早く立ち止まってから左に飛んだ刹那、先ほどまで足を着けていたコンクリートに鋭く大鎌が振り落とされて大きなひび割れを作る。息吐く暇もない。間近で風を切る音が聞こえて、態勢を低くすると真上を何かが勢いよく通り過ぎ、背後で鈍くて重い音が響く。ドドド、建物が崩れる音がする。

『──くそっ、!』

手短に息を吐いて、態勢を整える。
目の前、立ちはだかるように、……異形のハーフがそこにいた。視線を外さず、しっかり目に焼き付ける。半身は確かにハーフのような見た目だが、もう半身は機械に侵食されていた。あったであろう装甲がめくり上がって色とりどりのコードももはや切れかかっている。青い耳が無様に切れ落ち、自身の血で身体を赤く染めている半身。青く長い前髪から覗く目は虚ろで、まるで本体が機械の方だという錯覚すら起きる。

皆が同じように口にしていた、「兵器」という言葉がぴったりな目の前の生き物は。

『やけに、リヒトくんに似てるじゃないか』

佇む異形の横、……もう一体、ぬっと出てきては立ちはだかる。並ぶ目の前の敵は、どちらも同じような外見で、顔はやはりリヒトくんによく似ている。ただ分かる。これはリヒトくんではない、別の、何かなのだと。

考える暇もなく、二体が動き出す。
右からの攻撃を飛んで避け、宙で身体を捻ってから尻尾を思い切り地面に叩きつける。音が弾けた。一体の動きがぴたりと止まる。ねこだまし。どうやら技は効くようだ。挟まれる前に機械の下を滑り込んで後ろに回り、片腕に力を込める。紫色のオーラを纏った黒い手が二体に襲い掛かる手前、機械についている鎌を振り下ろされて相殺された。ついで、横に迫りくる黒い手を尻尾で弾いて距離を取る。
──……強い。どちらも、強くて速い……!

『ッアヤくん、!アヤトくんは……ッ!?』

こんなの、ポケモンでも相手にするのがやっとなのに。アヤくんが襲い掛かられたらそれこそ冗談抜きで即死する。慌てて視線を遠くに向けて姿を捉えて。
―アヤくんの後ろ、半分崩れ落ちたビルとビルの間から、また一体異形が出てきた。視線が、──……アヤトを捉えて。

『、ッッ!!』

咄嗟に出した前足の手前、拳が振り落とされて地面が抉れる。避けながら、どうにもできないずっと先の光景を歯を食いしばりながら見て、……驚く。
──……アヤくんは、普通に走り続けていた。無傷のまま、ただひたすらに走っていたのだ。背後には、続々と敵が出てきているというのに。アヤくんの姿をしっかり捉えたうえで、追うこともしない異形。見えているのに、襲うべき対象であるはずなのに。

(どう、してだ?)

地面に降りて、ぐっと力をいれてから地を紫色に染める。どくどくは、効くだろうか。分からないけどやるしかない。とにかく避けて避けて、隙を見て攻撃を繰り返す。その間にも耳はずっと先の音を捉えるように気をつけていたが、やっぱり戦闘の音は一つとして聞こえてこなかった。

(どうしてアヤくんは襲われないんだ?)

考える。考えて、ひとつ、引っかかる。
──……アヤトくんは、"ハーフ"だ。

『まさか、区別がついている、……!?』

自分の仮定に驚愕していれば、……目の前に、黒い腕が迫っていた。慌てて視線を周りに移す。避けるには、避けるには。どこへ、。
……逃げ場が、なかった。もはや受け身すら取れそうもない距離に一気に心臓が冷える。どれほどの衝撃なのか。先ほどまでの威力を見ていれば、想像は容易い。想像通りなら、……一発まともに食らえば、次に立てる自信はない。
すぐに来るであろう衝撃に耐えるため、全身にぐっと力を込めたとき。

目の前に、ワインレッドが躍り出た。

ガァンッ!、目の前で音が弾ける。咄嗟に後ろに倒されて地面に横たわる手前、彼の背が見えた。その先、透明な壁がキラキラと砕け落ちては光となって消えていく。

「っトルマリン!行きなさい!!」
『了解!アヤト様を追いかけます!』

頭上高く、ペンドラーが倒れたビルを足場にしながら俺たちを飛び越え、追撃を避けながら全速力で先へ進むのが見えた。ついで、金色のチルットが飛んでいく。背にはイーブイ、足でエネコを掴んでいた。地上から放たれるはどうだんもギリギリで避けている姿を見て、やっと立ち上がる。

目の前、重く鋭い連撃の嵐に、流石に冷や汗を頬に伝わせながらも"まもる"で透明な壁を作り続けている彼がいる。

「君に借りなんて作る気、なかったのにな」
「借り?なんのことですか。私は当たり前のことをしているだけです」
「……そういうところ、嫌いだよ」

……ありがとう、助かった。

小さく聞こえないぐらいの声で呟いてみたものの、さすがは地獄耳。一瞬だけ、ハッとしたように視線が向けられた。けれどすぐに前に向き、砕け落ちる光の壁を睨むように見て。

「守りはお任せを。ロロさんには、傷一つ負わせません』
「ま、せいぜい勝手に頑張ってよ』

話しながらレパルダスに戻ってすぐ、光の壁は砕け散る。飛び避けるワインレッドのレパルダスの後ろから、すぐさま辻斬りで大鎌をはじき返した。次いで身体を捻って叫んだ。バークアウト。異形たちの動きが止まった一瞬を捉えて、着地寸前の俺の真下、一気にエネルギーが放たれる。破壊光線が、一気に敵を飲み込んだ。

気遣う気は毛頭ない。
お互いに上がった息遣いを聞きながら、いまだ倒れない数体を睨む。圧倒的に不利な状況に、二人して余裕ぶってほくそ笑む。
不思議と、負ける気はしない。




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