7

リヒトがサンギ牧場を襲ったのだと。
ハーさんが言った。

ただ、正確に言えば。"あれ"はハーフの一団だった。……いいや、先頭にいたリヒト以外、ハーフと言っていいのかすら分からない。人とポケモンと、そして機械。全てが組み合わさった外見をしていた。組み合わせは様々で、ただ一つ、全てに共通して言えるのは。
「"あれ"は、この世界にいてはいけない"いきもの"だ」ということだけだった。
おぞましい姿かたちに人々は恐れおののき、我先にと逃げ出した。トレーナーでさえ逃げ出していたのだ。ならば、トレーナーを守るために戦うポケモンたちはどうか。
……なぜか動けずにいたのだ。なぜ。一体、なぜなのだ。

「私にも何が起こったのか分からなかったのだ。とにかくオーナーたちを守らねばと思って、あれらの前に立ったのは覚えている。……が、そのあとが全く分からないのだよ。気付いたときには身体が痛く、地面に寝そべっていた」
「他のポケモンたちも同じような証言をしているよ。何が起こったのか全く分からないってね」

後ろ。ロロの声がしたが、俺は俯くハーさんを見つめたまま振り返らないでいた。いいや、身体が動かなかった。心臓をぎゅっと掴まれたような感覚が続いていて、頭が重たい。腕や足から血がスゥと抜けていっているような気さえする。

俺だってハーさんが嘘を吐くような人ではないとよく知っている。それでも震える唇を無理やり動かして言葉を紡ぐ。
だって、だって……!

「リヒトは、そんなことするようなヤツじゃない……」
「……アヤト、」
「だってそうでしょう!?ねえ、ハーさんも知っているでしょう!?リヒトはすごくいいヤツなんだ!俺なんかよりずっと優しいし、みんなのことも大切だって言ってたんだ!」
「…………」
「そんな、……そんな、誰かを傷つけるようなことできるわけがないっっ!!」

言い切って、肩で息をする俺に返ってくるのは静寂だった。辛くて重い答えに、口をはくはくさせる。
どうして否定してくれないんだ。リヒトがそんなことするわけないのに、どうして。どうして、どうしてッ!!
……いいさ、誰も否定してくれないのなら俺自身で否定しよう。絶対リヒトじゃない。リヒトに似た誰かだ。絶対そうに決まってる。リヒトじゃない。リヒトはそんな、

「──……ハーさん、……アヤト、」

ぽつり。声がした。
それと一緒に弱々しい足音が聞こえて。ゆっくり、ゆっくり顔をあげてみると、まず初めに目の前にいるハーさんが視界に入った。身体を横に向け、前のめりになっている。信じられないようなものを見るような様子で目が見開いていて、それから口元を片手を覆い隠していた。直前、唇が震えているのが見えて。

そうしてやっと、俺も身体を右へ向けて見てみると。……もう、彼は階段を降りきっていた。杖を突き、足を引きずりながら壁に寄りかかり。包帯だらけの身体から、薬品の匂いを漂わせて。
……俺が立ち上がるよりも早く、ハーさんが先に駆け出した。目の前で立ち止まり、腕を伸ばして絡めとって抱きしめながら静かに涙を零す。相棒の生還に安心と喜びが一気に押し寄せてきているのだろう。弱々しく背中に回された腕にまた肩を震わせるハーさんが、今だけ子どものように見える。

「──……ハーくん、せんぱい、」

のろのろ歩いていくと、二人が顔をあげて俺を見る。……手前、つい、立ち止まってしまった。なぜならそう、二人がまるで俺の知らない二人のような気がしてしまったのだ。ハーさんが泣いているところも、ハーくん先輩がこんなに辛そうな表情をしているところも。今まで、一度も見たことがない。包帯の白色も薬品の独特な匂いも、二人には無縁だと勝手に思い込んでいたから。……余計、近づきにくく思って。

そんな俺に、二人が手を差し伸べる。
……それだけでもう、俺は泣きたくなってしまった。つらいのか、嬉しいのか。よく分からないまま顔を歪めて、二人の手に手を重ねて力強く握りしめる。そのまま自然と輪の中に入り、肩を抱き合った。床に涙ががぼたぼた落ちるのを見ながら鼻をすする。

「ハーくん、本当によかった……っ!目を覚まさないときはどうしようかと、……!」
「……アヤトの声が聞こえたから。どうしても、起きなくちゃいけないと思って、」
「──……、」

見て分かる。ハーくん先輩はまだ起き上がってはいけない状態だ。それでもなお、こうしてここに来てくれたということは。……リヒトについて、俺に何か言いたいことがあるからに違いない。

先ほどまでハーさんが座っていた横にハーくんがゆっくり座り、俺を見る。その目はひたすらに真っ直ぐで、これから言うことは事実なんだと、すでに目で訴えかけてきているように思えた。

「アヤト。……リヒトが、牧場を襲ったという話は」
「聞き、ました。っでも!リヒトがそんなこと、!!」
「ああそうさ。リヒトはそんなことしない。絶対にそんなこと、するはずがないんだ」
「そっ、そうですよね!?そうなんです、!ほらやっぱりリヒトじゃ、」
「でも、……リヒトが牧場を襲ったことは事実だよ」
「──……、な、なんで、」

膝に置かれている両手が拳を作っている。指先が食い込むぐらいにきつく握られていた。それを見てからハーくん先輩を見て。

「……なあ、アヤト。リヒトは、。ううん、リヒトとアヤト。君たちは、……僕たちに何かを隠しているだろう」
「そ……れは、」
「……いや。アヤトを責めても仕方のないことだって分かってる。きっとすごく話しにくいことだったんだろう。覚悟がないと、聞けないようなことだったんだろう」
「…………」
「──……でも。それでも僕は、教えてほしかった……」

胸元に添えた手が力強く服を握っていて、皺が一点に向かってたくさんできている。
俺は知っている。ハーくん先輩が、リヒトのことをよく心配していたことを。リヒトだけじゃない。俺のことだって、事あるごとに気にしてくれていた。知っている。分かっている。……だからこそ、。

「──君たちの、力になりたかったなあ……っ」

絞り出された声に、唇を強く噛む。ぼろぼろと止めどなく溢れてくる涙を拭うこともしないで、ただひたすらに、見ているほうが辛くなるぐらい、真っ直ぐに俺だけを見ていた。

もう、充分です。
たったその一言も言えずに、ただそこに座っていた。そんな俺の手をハーくん先輩が掬い上げて握りしめる。力が入っていなくとも、強い何かを感じる。

「なあアヤト、頼むよ。──……リヒトを、止めてやってほしい」
「……、……、」
「僕にはできなかったけど、……君なら、できるんじゃないかと思ってしまうんだ。リヒトを、元に戻せるんじゃないかって」

……俺なら、できる。俺ならば。
自分に言い聞かせては見るものの、今はこれっぽっちも出来る自信なんて生まれてこない。だってリヒトが今どういう状況なのか分からないし、そもそも俺はこんなにハーさんたちに言われても、今もなおリヒトが牧場を襲っただなんて信じられていないのだから。

「きっと僕だけにしか聞こえなかったかもしれない。僕があのとき、一番近くにいたから。あのとき。リヒトが、言った。叫んだんだ。──……僕に向かって、"逃げて"、って。……なあアヤト、おかしいと思わないか?襲う前に逃げろだなんて」
「…………」
「僕は思うんだ。リヒトはやりたくてやったんじゃないって。……あれはそう、まるでリヒトだけどリヒトじゃなかった。言葉に表せないけれど、……例えるならば、……もはやあれは、生き物じゃない。兵器、だ……」

俺の手を握るハーくん先輩の手が小刻みに震えていた。あの時のことを思い出しているのだろうが、俺には全く……想像することがができない。
震えが伝染する前にハーくん先輩の手が離れた。直後、腹部を抑えながら崩れるように倒れ込む。慌てて俺とハーさんで支えるが、膝を床について息を上がらせていた。……これ以上は駄目だ。ハーさんと顔を見合わせて、上の階へ連れて行こうとしたその時。

「──……っアヤト、大変なことが起こりました」

明らかにいつもと様子が違うイオナの声に振り返ると。
宙に映し出された画面の向こう。──……逃げ惑う、人々の姿が映っていた。

高層ビルが並ぶ狭い道、……異形のハーフたちが、人とポケモンの前に立ちはだかっている。画面が大きく揺れ、轟音が響く。建物が、崩れていた。上から降ってくる瓦礫もまた凶器に変わり、あっけなく押しつぶしていく。

映像の向こう側にある街は、
──……ヒウンシティ。

『ッこちらトルマリン!イオナ様、映像は見えているでしょうか!?』
「ええ。何が起こっているか分かりますか」
『只今情報を収集中。またジムリーダーの発令及び緊急要請により、当ビルは住人たちの一時避難場所になっております。只今全チーム、避難誘導及び敵対象と交戦中。街の被害は、今のところ約20%。安全が確保出来次第、ヒウンシティから離脱予定です』
「了解。今すぐそちらに向かいます。それまでに出来るだけ多くの情報を集めるよう」
『了解。お気をつけて』

映像が波打ち、一瞬映った砂嵐のあと。ひとつ、姿を捉えた。
崩れた建物の上に佇んでいる、青いフードを被ったアイツの姿を。……リヒトの、姿を。
俯いていて顔は見えないが。あれは紛れもなく、リヒトだ。

震える手で唇を触り、目を見開く。
……なんで、どうして、リヒトがあんなところにいるのか。非現実がどんどん肉付けされていき、正真正銘の現実となって俺に襲い掛かってくる。胸が苦しい。息をするのがつらい。目の前が回る。

「っアヤト!」
「!」

肩で荒く息をしているハーくん先輩が、俺の両腕を掴んできた。思わず飛び上がり見ると、崩れるように倒れてきて覆いかぶさるように抱きしめられる。

「──……っ頼む、アヤト……!僕にとって、アヤトもリヒトも。大切な、大切な後輩なんだ……っ!お願いだ、リヒトを止めてくれよお……っ!!」
「……っ、」

ハーくん先輩を見て、それから画面に移るリヒトを見て。
一度目をぎゅっと閉じてから、乾ききった喉を割り開いて唾を飲み込む。

俺に、何が出来るのか。
……分からない。何も思い浮かばない。どうすればいいのか分からない。何も、できないかもしれない。

でも、それでも。

「ハーくん先輩ッ!!」

慌ただしく動き回る背後を無視して弱々しく俺に縋るハーくん先輩に向かって叫んだ。今度はハーくん先輩が飛び上がり、ゆっくり顔をあげて俺を見る。涙でぐしゃぐしゃの顔だったが、いいや俺もきっといい勝負だろう。
冷え切った頬を持ち上げて、噛んでいた唇を上にあげ。

「先輩。俺に、言葉をください!」
「え……?」
「──しょぼい俺に、送る言葉です!!」

ハーくん先輩がハッとしたように目を見開いてから、一度顔を伏せて腕で目元を拭った。ふふ、なんて、小さく声も聞こえてきて。

「……僕たちの希望である、勇気あるアヤトにこの言葉を送ろう……!」

顔をあげ、俺を真っ直ぐにみる。両肩に手を乗せてハーくん先輩が叫んだ。思いっきり、腹の底から声をだして叫んだのだ。

「ボーイズ・ビーアンビシャス!!」

"男の子だろう!しっかりしたまえ!"
ただの元気付けの言葉が、今の俺にとっては大きな力となる。

……最後、ハーくん先輩とハーさんを抱きしめて。涙をぐいと乱暴に拭って、拳を握る。
一緒にいてくれる祈とエネ、扉を開いて待っていてくれている詩とイオナ。そして、

「アヤト」

進め、と。手を差し伸べてくるロロ。
……俺には仲間がいるじゃないか。一緒に並んで歩いてくれる、仲間がいる。

差し伸べられた手に、手を重ねてからバチンと叩いて走り出す。一瞬驚いた顔を見せていたロロが、レパルダスに戻って隣を走る。反対側、色違いのレパルダスが走り、空には金色のチルットが飛ぶ。


俺に何が出来るのか。分からない。何も思い浮かばない。どうすればいいのか分からない。何も、できないかもしれない。
でも、それでも。

「──……リヒト。約束通り、迎えに行ってやる……っ!」

進んでやる。
立ち止まってなんか、やるもんか。




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