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サンギ牧場の上空付近、急いで事前に渡されていたマスクをつけた。煙は黒から灰色に変わりつつあるが未だ高々と天へと昇っている。その下、まだ燃え盛る炎が見えて。
流れていた川には燃えて倒れた黒い木々が無数にあって、あんなに透き通っていた水が茶色く濁っている。俺が寝泊まりをしていたあの場所も燃えて灰になっているのか。ゆっくり旋回して降りていくエアームドに乗りながら、片手で胸元をぐっと握りしめる。……この感情をなんといえばいいのか、分からない。

『アヤト様、どちらに着陸すればよろしいでしょうか』
「……、できるだけ、サンギ牧場に近いところに、」
『かしこまりました』

思っていた以上に声が出なかったことに自分自身で驚いた。ぶるりと震える体も自分のものではないように感じる。でも、だって、仕方ないじゃないか!こんなありえないことが起こっていて。俺はもう、どうしようもない。


──……エアームドが、ゆっくりと地に足を付けた。
そこはサンギ牧場の入り口付近。隣にはもう一体、エアームドがすでに着地し待機していた。イオナの姿はすでにない。異様な光景を目前に異様な雰囲気の中にやってきた俺は未だ現実味が湧かない。遠く、声が聞こえる。怒声のような、泣き声のような。色々な"不"の声が聞こえる。
後ろ、ロロがエアームドから飛び降りて、茫然と乗っている俺に手を伸ばす。……素直にロロの手を借りて降りてしまうあたり、俺は着実にこの場に飲み込まれつつあるんだろう。

「アヤくん」
「……この先に、行ける、のか……?」

ロロの足先が向いている方向は黄色いテープが貼られている先。数少ない消防士たちと多くの水タイプのポケモンたちが今もなお、消火活動をしているのがみえる。そんな場所に入ってしまっていいのか。

「俺、国際警察だって言ったでしょう。許可ならもう取ってある」
「でも俺が見たって、」
「一応、……覚悟はしておいたほうがいい」
「ど、……どういう、意味だよ、」

ロロは答えず、無言で俺を見返す。……喉がへばりついていて、何も言い返せなかった。冗談だと捉えてロロを怒鳴るべきなのに。何よりもまず、怒るよりも先に、―怖くなってしまったのだ。容易く想像できてしまう最悪の事態を否定する力がなくなってきてしまっていて。

「……そんなこと、……言うなよ、」

息苦しい喉元にやっとの思いで隙間を作って、震える声で小さく言葉を吐き出す。鼻先がツンとして感情が迫り上がってくるのが自分でも分かった。目の縁が潤みロロの姿が少しぼやけて見えてきて、下唇を強く噛む。
……分かってる。ロロが正論を言っていることなんて分かってる。……でも、それでも、……今だけはどうか優しくして欲しかった。現実とは真逆のことを、希望の言葉を並べてほしかった、のに。

「君が、見るべきだ」
「……っ、」
「大丈夫。……今度は俺も一緒に行ってあげるから」

……だから、行こう。
斜め前に立つロロを見る。ロロでもこんな言い方ができるのか。驚き、すぐまた唇を噛む。
ロロの先、崩れかけた牧場入り口にあるアーチを見る。その少し手前に立ててあったサンギ牧場の看板は、すでに木屑と灰になっていて。

「…………」

仕方なく、震える足を無理やり引きずり歩き出す。
本当はもう何も見たくない。知らないままでいさせてほしい。けれどもロロが、そうはさせてくれないんだ。俺を無理やり引っ張って、動かしてくる。それになんの意味があるのか。……俺には到底、分からない。

アーチをくぐって重い足取りで牧場を歩く。
遠く、木と木の間に物凄く小さく見える柵があったはず。綺麗な川が流れていたはず。メリープたちが日向ぼっこをしていたはず。たくさんの花が咲いていて、緑色の芝生が生い茂っていたはず。
……歩けば歩くほど、あの平和で穏やかな景色がどこにもなくて。

「──なんで、……なんで、だよお、……」

崩れ落ちたオレンジ色の屋根を手に取り、しゃがみ込む。オーナーさんとオーナーさんの奥さんと、ハーさんとハーくん先輩と。何度もお昼を一緒に食べて、話して、笑ったあの空間が……どこにもない。
何もかも、燃えて崩れて押しつぶされて。……もう、ここには何もなかった。

「…………っ、」

マスクを付けていても、ロロだって俺が泣いていることは分かっていたはずだ。それでも慰めもせず言葉もかけず。ただログハウスの周りを歩き回っていたのをやめて、その場に立ってこちらを静かに見ていた。ロロなりの気遣いなのか、そんなことも考える余裕はない。

──……ふと、遠く。声がした。俺の名前を呼ぶ声がした。何度も何度も繰り返して呼ばれる声に、やっとの思いで顔をあげる。煙と青空が混ざる上空。鼻水を啜って耳をすましながら、ゆっくり立ち上がって空を見る。
白い、羽。

『っアヤト!』
「──……うた、」
『見つけた!!見つけたわよっ!!──……あんたの、大切なひとたちっっ!!』
「、え……っ!?」

ぎゅん!と急降下して、俺と駆け寄ってきたロロの前。詩が擬人化をして人型になった。それを見てまた驚く。ススだらけの顔で、いつもより明らかに肌が黒い。服も汚れているし、髪だってありえないぐらいボサボサだ。まるでこんなの詩じゃない。

それでもやっぱり詩は詩。唖然としている俺の手首を素早く力強く握ると有無を言わさず引っ張って、全速力で走り出す。一度もこちらは振り返らずに、ただひたすらに前を向いて。俺は何度も足がもつれて転びそうになりながら、必至で足を動かした。横には眼帯をつけたレパルダスも走っている。

あっという間に牧場を走り抜け、まるで風のように道を駆け抜ける。崩れかけた家や、野外で手当を受けている人たちの間を走り。──……ついたのは、牧場から一番距離のあるサンギタウンのはずれ。とある一軒の家だった。

「はあっ、はあっ……こ、ここ、ここは……?」

途中ではぎとったマスクを片手に喉元を抑える。苦しいってもんじゃない。息をするのが辛くなるぐらいに走った。肩で荒い息を繰り返しながら、同じく息を上がらせて眉間に皺を寄せている詩に尋ねる。立ったまま膝に両手をあてて前屈気味になっていた詩が、腰を立ててから手の甲で額を拭ってから言う。

「あんたのこと、お待ちかねよ」
「……っ、ほんとう、なのか……!?」
「言ったでしょう。"必ず見つけておいてあげる"って」
「〜〜〜っ!!」

目を見開いた。無意識に飛び跳ねて、気づいたら目の前にいた詩を力強く抱きしめていた。思い切り抱きしめてぴょんぴょん飛び跳ねてから離れると、詩が瞬きをゆっくりとしてから俺をみる。何が起こったのか分からない?うんそう、俺もなんか分からない!

「っサンキュー詩っ!!ありがとな!!」
「、」

変な顔して俺をみる詩を通り越し、飛び跳ねたついでにドアノブを握って勢いよく家の中へ入った。
正面、真っ先に見えたのはイオナの背中。しゃがみ込んで手元をみている。その向こう……手当を受けている姿を見て、込み上げる思いと一緒に走り出す。わずかでも早く無事を確かめたくて。

「っハーさんッッ!!」
「──アヤト!」

俺の声に顔を上げたハーさんを見て、また泣きそうになってしまった。イオナの横に転がりこみ、椅子に座っていたハーさんの足元に縋りつく。片側の足はズボンが膝上まで捲り上げられていて包帯がきつく巻いてあった。俺に差し伸べられた手が動くと、薬の匂いも一緒に漂う。それにぎゅっと口を結ぶ。……嬉しくて、悲しい匂いだ。

「ハーさん、無事でよかった……、本当に、よかったあ……っ!!」
「ああ、アヤト。私はこの通り、大丈夫だ」
「オーナーさんたちも無事ですよね!?リヒトとハーくん先輩もここにいるんですよねっ!?」
「──……それは、」

ハーさんが俯く。……察しない、わけがない。途端に再び不安に襲われる。俺と視線を合わせようとしないハーさんに、また俺は膝立ちになって縋りつく。今度は嬉しさからじゃない。懇望から、縋らずにはいられなかった。
いつまでも合わない視線に俺の焦点が揺るぎだす。……なんで、どうして。爪を立てて言葉を発しようとした瞬間、イオナが俺の両肩を掴んで後ろに引いた。簡単に後ろに傾いた体が尻から床に落ちる。

「アヤト。貴方の気持ちも分かりますが少し落ち着きなさい。……私から説明したほうがよろしいでしょうか」

イオナがハーさんに尋ねる。すると顔を少しあげ、首を左右にゆっくり振ってみせた。そうしてやっと俺は気づく。ハーさんの表情が、見て分かるぐらいに疲れ切っている。髪が乱れ、よく見れば細かい切り傷や擦り傷も無数にあって以前より一回りほど小さく見えてしまった。そんなはず、ないのに。

「……ハーさん、……ごめんなさい、」
「いや。私こそすまない。……アヤトに伝えるのをためらってしまった」
「…………」

心臓が音を鳴らす。何を伝えられるのか。怖いし聞きたくないけれど聞かなくちゃいけない。逃げることは、できない。
そうしてハーさんがゆっくり顔を持ち上げて、俺を見ながら口を開く。

「オーナーは無事だ。奥方も同じく。……ただ、ハーくんが、重傷で、……未だ、目を覚まさない」
「──……、……、ハーくん先輩だけ、……どうして、ですか」

膝の上で拳を作るハーさんの姿を見て、俺も声を絞り出す。……辛いのは、俺だけじゃない。今この時になってようやくわかったがどうすることもできない。俺だってずっと手が小刻みに震えている。鳥肌が止まらない。喉には何かが詰まったままで、胸がきつく押しつぶされるように痛い。

「アヤト、私は……私だって何かの間違いであってほしいと、今もなお思っている。何度も何度も、強く思っている……」
「……、……」
「それでもやはり、──……あれはきっと、見間違いではない……、」

膝に両肘を置いて頭を抱えるハーさんの前。ぐっと一瞬、俺の肩に乗っていたイオナの手に力が入った気がした。
──……俺がハーさんの胸倉を掴むのを抑えるために力を入れたのか。それとも、。

顔を腕で遮ったまま、ハーさんが言う。
ぽつりと呟くように言ったのだ。ひどく消えそうな小さな声だったのに、やけに響いて聞こえてしまった。


「──……アヤト。聞いてほしい。

 牧場を襲ってきたのは、……、
 

 リヒト、なのだ…………」




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