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サンギ牧場が襲撃されたのは、俺とアーティがジム戦を始めてから少し経った後らしい。前チャンピオンであるアデクとサンギタウンジムリーダーであるチェレンがサンギ牧場へ向かったときにはすでに火の海で、そこにいた人やポケモンたちの安否確認は未だ分からず。

「ロロさん、今どちらにいらっしゃいますか」
『ビルの中だよ』
「では私たちがそちらに向かいましょう。サンギ牧場の現状の情報をできるだけ集めておいてください。トルマリンたちにも指示しておきます」
『言われずともやってるさ。至急来てよね』
「かしこまりました。さあアヤト、急ぎましょう」

通信を切り、イオナがしゃがみ込んでいる俺の腕を掴んで持ち上げる。それにゆっくり顔をあげてイオナを見ると、真顔で俺を見返してきた。……どうして、そんなに冷静でいられるのか。
半ば無理やり立たされて、イオナに引っ張られながら覚束ない足どりでバトルフィールドを離れる。向こう側、すでにアーティの姿はなかった。きっと彼もサンギ牧場の話を聞いたんだろう。向かうのか、この街に留まるのか。判断は彼次第ではあるが、俺個人としては今すぐにでもサンギ牧場へ向かってほしかった。

「……イ、イオナ、……」
「大丈夫です。今ロロさんたちが情報を集めています。……いいですかアヤト。こういうときこそ自分に出来ることは何かを考え、冷静に動きなさい」
「お……俺は……、」

不安や緊張は伝染する。イオナ越しに不安そうな表情で俺を見る詩が見えた。腕にはいつの間にか出てきていた祈をぎゅっと抱えて、肩にはエネが乗っている。
…………無理だ。冷静に動けるわけがない。頭の中では悪い考えばかり増えて、ぐるぐる回り続けている。リヒトやハーくん先輩たちは無事なのか。そもそもどうしてサンギ牧場なんだ。いったい何が起こっているんだ……。
頭を掻きむしりたくなりながら、イオナに押されてぽっかり開いている穴を滑り落ちていく。風と一緒に穴から放り投げだされ、尻もちをついたときにはジムの入り口にあった向かい合っている像が数歩先に見えた。前のめりになりかけたが、またもや後から穴から出てきたイオナに引っ張られて無理やり立つ羽目になってしまった。……ただ、イオナがいなければ一歩も動けなかったのも事実で、本当は感謝すべきところなんだろう。けど、でも。

引っ張られていないほうの手で顔を覆い隠し、俯いたままジムの外へ出る。
瞬間、いつもと違う声の数々にゆっくりと顔をあげた。たくさんの人が各々忙しなく歩いている通り。……みんな、足を止めてある方向を見ていた。人が、ポケモンたちが。太陽に目を細めながら、遠くの空を眺めていた。

『──……真っ黒の、けむり……』

ぽつり。祈が呟いた。
海を隔てた小さな陸地から、大きく真っ黒な煙が空高くまであがっている。雲と同化しているように見えるぐらいに高く、高く。

「……早く、早く、行かなくちゃっ、!」

気持ちだけが先走る。言葉は出てきても体がまだ思うように動かない。手先だけが冷たくなって体の芯から一度ぶるりと大きく震える。分からないことの恐怖が、大きすぎる。

「アヤト」
「詩、?」
「……わたしが先にサンギ牧場へ行って、あんたの知り合いの居場所を調べてくるわ」
「……え、」

俺の両肩に詩の手が乗る。優しく乗せられ肩をぎゅっと掴む。……手が、震えていた。

「わたしは今、自分に何が出来るが考えた。空を飛べるわたしなら、いち早く見つけられるはず。……だからアヤト、あんたも落ち着いて考えなさい。今の自分に何が出来るのかを」

そういうと俺から離れてイオナのところへ向かう詩。……何が起こっているのか分からない場所に率先して行く。怖い、わけがない。一度、自分の手のひらを広げて眺めた。……俺の手も、震えている。

「俺が今……できること、」

息を大きく吸って、吐き出して。……広げた両手を、握りしめた。
現状が分からないから怖いんだ。みんながどうなっているのか分からないから、失うかもしれない恐怖に襲われている。ならば今、俺にできることは。

イオナと頷き合い、チルットの姿になって海辺にある手すりに留まる詩のところまで駆け寄った。羽を広げている詩の後ろ、立ち止まって手を伸ばし片方の羽を握る。

「……詩」
『なに』
「──……俺の、大切な人たちなんだ……。だから、……頼む、詩」
『……ええ。任せなさい。あんたが来るまでに必ず見つけておいてあげるわ』
「……ありがと」

金色のチルットが頷くのを見てから手を離すと、すぐさま大空へ向かって空高く舞い上がり真っ直ぐサンギタウン目指して飛び出した。

一度、両手を広げて両頬を叩く。……仕切り直しだ。
今の俺にできること。それは、サンギ牧場に行くためにまずはビルまで戻ること。心配そうな様子の祈とエネを見て、我ながら今までの中で一番ひどいであろう笑顔を無理やり作って見せると、何を思ったのか二人が顔を見合わせて真似して作り笑顔を返してきた。このぐらいできればお互い上々だろう。

「イオナ、ビルまでの近道は」
「もちろんありますよ。こちらです」

イオナを先頭にビルまで走る。
走って走って、息が苦しくなってもなお走り続けた。





息を切らしてビルの中へ飛び込む。エスカレーターを使って一気に最上階まであがり、屋上を目指す。
ビルの屋上は屋根が全面ガラス張りでとても開放感のある場所だった。すでにエアームドが二体待機している。いつでも飛び立てる準備は万端らしい。その斜め横、操作パネルが備え付けられており、半透明の大きな画面が宙に浮かび上がっていた。今は地図が出されている。

「あれ、詩ちゃんは?」
「詩は先に向かってくれた。俺たちも急がないと」
「……それじゃあ調べて分かったことは少ししかないけど、空の上で話そうか」

そう言うと、ロロが俺に向かってパイロット帽みたいなのと革製の手袋を放り投げてきた。そうしてロロも同じものを着用してから一匹のエアームドに軽々と飛び乗り、俺に向かって手招きをする。祈とエネをボールに戻している間、イオナは別のエアームドに乗っていた。俺とロロが二人乗りになるらしい。乗る前に挨拶しようとエアームドの正面に立って見上げれば、向こうから頭を垂れる。

『さあお乗りください、アヤト様。私の羽は鋭利なので、どうぞお気をつけください』
「……ああ。頼んだよ。よろしくな」

頭を撫でてからギラギラと輝く羽に気を付けながら、小さな梯子を使って乗っかった。俺が前でロロが後ろ。部下によって梯子も撤去され、イオナの指示でガラス張りの天井が半分から真っ二つに開き、真上には青空が広がる。……屋根も移動式とかハンパねえ。

「なあロロ、なんでエアームドに乗るときだけ帽子被るんだ。キュレムに乗ったときは何もしなかったぞ」
「本当はどんなポケモンに乗るときでも被っておいたほうがいいんだけどね。エアームドは特別だ。だって最大300キロの速度が出るんだもの」
「さ、さんびゃくうう!?!?」
「振り落とされないように気を付けながら、俺の話も聞いてね」
「むりむりむりむり」

だからめちゃくちゃ頑丈な紐が手前にあるのか。だからベルトを二つも巻き付けているのか。後ろにいる悪魔の言葉に震えあがりながら、空へ飛び立つエアームドにしがみつく。無事にたどり着けるのか。めちゃくちゃ不安になりながら破裂しそうなほど鳴り響く心臓を抑えて、ガラス張りの間を飛び上がり抜けた。

『大丈夫ですよ、アヤト様。人を乗せているときはそこまで速度は出しません。……しかしご命令とあらば最大速度まで一気に加速できますが』
「いいえいえいえ結構です!」

大空を飛び、目下の景色がコンクリートジャングルからすぐに水面へと変わる。キラキラしていて綺麗だと思えるぐらいにまだ余裕はあるようだ。キュレムに乗ったときの経験で多少は耐性でもついたんだろうか。

「さてアヤくん、聞こえるかな」

帽子には小型スピーカーも付いているらしい。後ろを振り返らず、帽子から聞こえてきた声に一度頷いてみせる。するとロロが後ろから俺の肩を軽くたたいてからサンギ牧場の方向を指差した。

「事が起こったのはサンギ牧場の奧。君が寝泊まりをしていたあの辺より少しまた奧の森かららしい。人でもないポケモンでもない、機械のような姿をした旅団が突如現れ、数十分の間に無差別に危害を加えていったとのことだ」
「一体なにが目的で、」
「それが全く見当がつかない。加えておかしなことに、事の大きさの割に目撃者の数が少なすぎるのが困りものでね。この辺の理由は現地に行かないと分からないだろう」
「……リヒトたちは、」
「その辺も必死で調べてみたけれど、全然情報がなくて。……ごめん」

俺も心配なんだよ。、そう続けるロロに何も言葉は返せなかった。
一体、何が起こっているのか。なんでサンギ牧場なのか。冷静に考えれば考えるほど、分からないことだらけで頭がおかしくなりそうだ。

「エアームド、速度をもう少しだけ上げられるか?」
『ええ、可能でございます。しかし、アヤト様は飛行がお得意ではないとお伺いしましたが……』
「……お願いだ、急いで行きたいんだ」
『……かしこまりました』

エアームドの羽の向きが若干変わる。まるで飛行機のように、風向きによって羽一枚一枚の向きも変えられるようだった。そうして俺の言葉とおり、加速する。これで何キロぐらいでているのか。分からないが帽子をしていても風が切れる音が耳横でひゅんひゅん聞こえていた。風も強く、体制を低くしていないと一瞬にして振り落とされそうな。

「…………」

エアームドに寄りかかりながら目を閉じて、綱はしっかり握ったまま両手の指を絡ませて、その上に額を当てる。
こういう時だけ祈っても無駄だろうが、いいや無駄でも何かに縋っていないとやっていられない。俺は、……俺は、この世界の主人公だ。そうだろう、なあ、神様。ならばたまにの願いぐらい聞いてくれたっていいだろう。

──……どうか、どうかリヒトたちが無事でありますように。




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