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「このジムは、まさに繭がテーマ!」
「まあ……そうでしょうね……」

つい先ほど貰ったおいしい水をバッグに仕舞いながら上を見る。高い高い天井には怪獣でも生まれてくるんじゃないかと思うぐらいでかすぎる繭が張り付いていて、そこから真っ白い糸が数えきれないほど垂れ下がっていた。少し視線を下げれば渡り廊下のような道が段を成して作られている。その道には、やはり無数の白い糸が垂れ下がっていたり敷かれていたりしているようだ。
目の前、大きな穴が開いた繭玉がある。これがジム内にいくつもあり、繭玉に入るとどこか別の繭玉から出られる仕組みになっているらしい。ゲームでは繭玉に入った瞬間、ほっそい糸が束ねられた道を通っていたが、実際はどうやって移動するのか。ワクワクとドキドキが半分ずつあって怖いのか楽しいのか、よくわからなくなっている。

「どんどん上に向かってください。必ずアーティさんに繋がっています」

鱗粉みたいなキラキラしたものが舞うジム内、ここの使用人であろうピエロの恰好をした人が目の前の繭を指差した。頷き返すと「がんばってくださいね」と一言、次の瞬間には近くにぶら下がっていた糸に掴まりバネのように飛び上がって上の階へ消えて行った。……とりあえず、糸にめちゃくちゃ伸縮性があることだけは分かったぞ。

「……あ、案外手触りはいい」

両脇に置かれていたジムのシンボルを歩いて通り抜け、大きな繭に触れてみる。つるふわだ。なんて、のんきに思っていた矢先。
急に繭が圧倒的吸引力を発揮して、声を出す間もなく吸い寄せられた俺は繭の中に放り込まれ。真っ暗になったと思えばすぐに真っ白になって、気付いたときには床の上に放り投げ出されていた。一体今、何が起こったのか。うつ伏せに寝ころびながら考えてみたものの、やっぱりよく分からなかった。

「どうだい?このポケモンジム。なんというか、ちょっとありえない怪しげな魅力たっぷりだろ」

その声にハッとして慌てて起き上がると目の前にピエロが立っている。入り口にいたピエロとは別人……だと思う。適当に頷き返して、ボールを握る。もちろん、すでにピエロもボールを手にして準備は万端だ。この真っ白の狭い廊下がバトルフィールドということか。よっしゃ、まずは小手調べといこう。





「アーティさんは繭にくるまるポケモンの気持ちを知るために、ポケモンジムを改造したのさ。……そのせいでミーたち、いっつも迷っちゃうんだけどね」

……4人目のピエロが小声で言った。
何度も繭に吸い込まれて別の場所に着くたびに身体を打ち付けていたが、それももうこれで終わりだろう。事前に調べておいた情報によれば、確かジムリーダーにたどり着くまでに4人のトレーナーがいると書いてあった。その予定でペース配分もしてきたし、そうでなければ困るんだけど。

かすり傷を負った祈に傷薬を吹きかけて、ついでにヒメリの実も食べさせる。
それからピエロの横にある大きな繭に慎重に近づいて、横に空いている穴に飛び込んだ。すごい勢いで上に向かって吹いている風に持ち上げられて、ここまできてやっと、移動中に目開けられた。が、その瞬間に糸から吐き出されて、またしても床へ無様に落下する。しかし今までと違って足場は白く無く、逆にカラフルすぎて……。

「なんかさ、さっきからボクのむしポケモンが騒いでるんだよね。……"きみと戦いたい"って!」

遠く向こう側、男が立っていた。彼はそんな大きな声を出しているわけでもないのに、こんなにもはっきりと声が聞こえるのはこのジムの作りのおかげなのか。立ち上がり、先ほどとは全く違う空間を見回す。色んな絵具が混ぜられたような奇妙な床は、ときおり水面のように波紋を描いている。床全体が液晶画面なのか。割れて真っ逆さまに落ちたりしないか少しだけ心配になったけれど、ポケモンたちの激しい技のぶつかり合いに対応しているこの場所にそんな心配は不要だったなと、すぐに頭を切り替える。

「ボクのむしポケモンたちはいいよー。ちょっと自慢しちゃうよ。イシズマイのつぶらな瞳もキュートだし、……」

なんか自慢が始まったが、俺はまったく聞かないで床を見たり天井を見たりしながら規定の位置まで移動する。色とりどりのペンキバケツが点々と置かれている。ついでに刷毛も適当に転がっていて、まるでアトリエのようだと思った。

「ボクはヒウンシティジムリーダーのアーティ!キミの名前は?」
「お、っ俺はアヤトです!よろしくお願いしますっ!」
「アヤトくん!……ではでは早速、勝負だね!」

アーティが、言葉に合わせて縮めていた両腕をバッ!と広げて羽織っていた真っ白いストールを脱ぎ捨てた。それと同時にどこからともなくピエロがやってきて、お馴染みの旗を両手に持っている。
まさかさっきのアーティの行動が、バトル開始の合図なのか。やはりこんな変なジムにするだけあって、俺には色々と理解不能だ。

「いってらっしゃい、クルマユ!」
「頼むぜ、祈!」

カラフルなバトルフィールドの上、二つのボールが放たれる。
イーブイこと祈が、すぐさま手足を力強く床に押し付けどっしり構える。対して相手のクルマユは、ふわふわと葉っぱを揺らしていかにも身軽そうな雰囲気を醸し出していた。……ふと、ベルトに付けていたボールが一つ大きく揺れて勝手に開きやがった。びっくりして横を見るとエネコがちょこんと俺の横に座っている。

「おっ、おいエネ!?勝手に出てきちゃだめだろう!?」
『アヤトくんお願いー!ぼくもバトル、見ていたいんだよお』
「……ったく、もう!」

頭がガシガシ掻いてから、なんとか勇気を出して大声を出そうとしていれば、察してくれたであろうアーティが「そのままでいいよ」と声をかけてくれた。……ありがとうございます。心の底から思いながら、とりあえず何も言わずに頭を下げて前を見る。
……仕切り直しだ。両手で自分の頬を挟んでから、一度ぴしゃりと軽く叩いて。

「祈、でんこうせっか!」
「クルマユ、壁にむかって糸をはく!」

祈が飛び出す。瞬間、クルマユがアーティの指示に従って壁に向かって糸を吐いた。一体何をしているのか。分からずとも、祈の速さには敵わないに決まってる。でんこうせっかが決まったあとのことをすぐさま考えながら状況を見ていれば、……祈が急ブレーキをかけた。何事かと思ってみると、クルマユが先ほど吐いた糸をバネのように使って壁に向かって避けていたのだ。
っチクショウ!そうだ、最初にあったピエロだって糸をバネのように使って上の階に行っていたじゃないか。クルマユの糸でも同じようなことができると思っておくべきだった!

「あの糸を切らないと話にならねえ!えー、えっと、……っそうだ!祈!スピードスターで糸を切れ!」
『わかった!』

飛び跳ねて、宙でくるりと一回転すると尻尾からいくつもの星が飛び出した。糸を切り、ついでにクルマユにも当たって床に落ちる。ついでにもう一度飛び跳ねて回転した祈が、葉の部分を狙って床と葉を一緒にスピードスターで突き刺す。祈の判断に思わずガッツポーズ。こりゃもうこっちのもんだ!

「くらえ!どくどく!」
「ぬうん!?」

祈が床にぐっと前足を出した一瞬、紫色のオーラが生まれ、消えたときにはもうすでにクルマユの足元が紫色に染まり、ボコボコと泡ができては割れて霧に変わりクルマユを包む。祈のどくどくはイオナ直伝、そこからトルマリンとジムリーダーのホミカさんからのアドバイスによって技の威力を増したどくどくだ。クルマユは完全に猛毒状態と見ていいだろう。

「祈、今だ!たいあたり!」

ふらついているクルマユ向かって、祈が勢いよく駆け出して数秒もしないうちにぶつかった。クルマユが吹っ飛び、祈は手前で着地する。アーティの横まで飛んでいったクルマユ。ピエロの審判を見るまでもなく、……戦闘不能だ!!

「ビシィッとスイッチ、オーン!……むしポケモンの本気、見せるね!」

クルマユをボールに戻したアーティが、別のボールを取り出した。中から出てきたのは、イシズマイ。よかった、情報通り、出してくるポケモンも出される順番も同じだ!イシズマイは虫、岩タイプ。祈との相性で考えれば、岩タイプが入っているぶんさっきよりも戦いやすい相手のはず。

「祈、スピードスター!」
「イシズマイ、うちおとす!」
「っマズイ、祈!飛び跳ね、!」

遅かった。イシズマイから投げられた岩が、飛び跳ねた祈に直撃して床に落ちる。思わず拳を握りしめ、歯を食いしばる。
身体の小さい祈は、スピードスターを出すときはより遠くにより力強く当てるため、いつも飛び跳ねてから宙で一回転をして勢いを付けていた。……そこに付け入られたのだ。しかも、さっきたった二回しかスピードスターを出していなかったにも関わらずもうそのタイミングを見抜いて的確に当ててきやがった。
アーティ、確か敵役だったあのゲーチスにも一目置かれていた人だった記憶がある。抜けているようで鋭いから厄介だ。しかも、今のでスピードスターを出しにくくなってしまったのは事実だ。相手に与えるダメージより、撃ち落とされたときのダメージのほうが大きいのは見てわかる。これじゃあスピードスターは、ほぼ封じ込められたといっても過言じゃない。

「祈、いけるか!?」
『だい、じょうぶ!アヤト、指示を!』
「イシズマイ、ロックカットだよ!」
「スピードをあげられる前にっ!どくどく!」

自身のハサミで器用に背負っている岩を細かくカットしているイシズマイの下、紫色に染まる。これで少しずつでも体力を減らせるし、イシズマイの特性は「がんじょう」。仕留め損ねたときに活きてくれる技であると信じて。

「でんこうせっかで距離を詰めろ!そこからアイアンテールだ!」
「迎え撃て、イシズマイ!むしのていこう!」

祈が飛び出す。今度は走りながら尻尾を鋼に変えて、いつでも叩ける状態だ。あと数メートルのところ、耳鳴りがこっちまでしてきた。むしのていこう。祈の勢いが落ちる。どんなものかと思っていたら、表面ではなく内部に振動がくる攻撃らしい。余波に影響を受け、隣でエネが小さく声を漏らす。俺もお腹のあたりに手を添えながら祈を見た。……祈は、後ろ足を踏ん張って進んでいた。続くむしのていこうに、突き進んでいた。

祈ががんばってくれるなら、俺もがんばらないと。
腹に力を入れて、思いっきり叫ぶ。

「行けええ祈いいっ!!アイアンテールぶち込んでやれえっ!!」

祈が飛び跳ねた。瞬間、むしのていこうが止んでイワパレスの後ろに岩の塊が現れる。まるでこのときを待っていたと言わんばかりに……!
岩が、祈向かって飛んでいく。あっ。思ったが、頭とは別に俺の口は相変わらず「行けえ!」と叫んでいた。エネが祈の名前を叫んでいた。俺はなぜか拳を突き上げたまま、やっぱり「行け」と身体が言っていた。脳みそだけが正しい判断をしていたのに、今は正しいことが間違っているような。

「むぅん、むしのしらせ……!?」

ドゴォッ!!、……岩が、割れる音がした。目を見張る。イシズマイが投げた岩が、割れている。真っ二つに割れ、欠片を散らす岩の間から祈がイシズマイに向かって真っすぐに落ちる。その尻尾は未だ鋼色に輝いていて光ったと思った瞬間、土埃が舞い上がる。

『わ……わたしの、勝ち……っ!!』
「い……っいのりいいっっ!!」
『いのりちゃああんんっ!!』

……倒れるイシズマイの上、立っていた祈が一声あげた。それと同時に、飛び跳ねるエネを思いっきり抱きしめながら祈を見て、俺もぴょんぴょんと飛び跳ねる。ガッツポーズをしながら飛び跳ねていれば、祈が戻ってきて一緒に跳ねる。

「祈ありがとな……っ!すげえよお前!流石だぜ!」
『……アヤトが、おうえんしてくれたからだよ』

擦り寄るイーブイを撫でて分かる。砕けた岩で切り傷が沢山ある。それにロックカットをしていたイシズマイの周りにあったであろう、鋭い岩の破片が祈の足元をひどく傷つけていた。しゃがみ込んで祈を一度抱きしめてから、イオナを出して救急箱を渡す。イオナに任せておけば間違いない。

「ゆっくり休んでてくれよ。あとは俺と、」
『──……わたしに、任せておきなさい』

立ち上がり、前を見る。遠く向こう、アーティの前に立つハハコモリが見える。そして俺の前には、……金色の、チルット。デスカーンと戦ったとき詩の実力がどのぐらいなのか分かったが、速さ、攻撃力、応用力……まあ、精神力を除けば、詩は文句なしに強い。

「行けるな、詩?」
『当たり前。すぐに終わらせてあげるわ』
「へっ、よく言うぜ」

ハハコモリが動き出す。イシズマイたちと違って、速さが格段に上だ。素早い動きで詩を戸惑わせながら攻撃するつもりか、吐いた糸を壁の至る所に張り付けながらトリッキーな動きで確実に近づいてくる。詩はと言えば、……焦る様子も見せず、じっとその場にとどまっている。本当に、俺の指示を聞いてくれるのか。いや、分かってはいたものの、……一時的でもあの詩を意のままにできるというのは、こう、グッとくるものがある。、とか馬鹿なことを考えるのはやめて。

「ハハコモリ、むしのていこう!」
「歌うで打ち消せ!」

波動には波動で対抗だ!むしのていこうに、綺麗な歌が混ざる。混ざり、広がり、どちらもフッと消えていく。歌いながらも、詩は高く飛んでハハコモリと距離をとる。が、ハハコモリも糸を利用してまた詩と距離を詰めてきた。既に葉っぱの形をした腕に力が込められてて、すぐにでもいあいぎりを出せる準備が整っている。
ふと、詩が大きく羽を広げた。そうすれば、真っ黒い雨雲が出てきてバトルフィールドを濡らす。冷たい雨がハハコモリに降りかかる。さあ、これでこちらも準備万端だ。

「ハハコモリ、いあいぎり!」
「詩!れいとうビームッ!!」

カッ!、一瞬光で包まれた。何の光か。もちろん、詩のれいとうビームに決まっている。いあいぎりが決まる直前、避けた詩がくちばしで糸を切り、態勢を崩したハハコモリは直にれいとうビームを食らう。細めていた目を開ければ、大きな氷の塊がバトルフィールドに転がっていた。そりゃもう、かっちんこっちんに。

「ぬうん……!?おわった……」
「ハハコモリ、戦闘不能!よって、チャレンジャー、アヤトの勝利です!」
「──……っしゃあーーっ!!!」

審判に負けないぐらいでかい声で雄たけびをあげると、エネと祈が駆け寄ってきた。やったね、アヤトくん!アヤト、やったね!やったぜよっしゃー!!、一人と二匹でぎゅうぎゅうワイワイしているところに、詩が舞い戻ってきて擬人化する。直後、エネと祈が俺から詩に飛び移ってはまた騒ぐ。「大したことないわよ」、なんて言っているが詩もどこか嬉しそうに見えた。

「はい、アヤトくん!これがビートルバッジ!……むう!想像以上に似合っているね」
「っはい!ありがとうございます!」

手渡されたバッジを握り、胸元に当ててみせた。似合ってるって、認められたみたいで嬉しい。いや、現実味がないだけでバッジをもらった時点で認められたってことなんだけど。……へへ。

アーティさんに改めてお礼を言って、バッジを丁寧に仕舞ってバッグを肩に掛けた。このあとはポケモンセンターに行って回復をして。……それから。

「──……やっと、迎えにいける……!」

リヒト。夢に見ていた、リヒトとの旅がようやく出来るんだ……!こんなにも嬉しいことがあるものか!!親友と一緒に旅ができるなら、どんなことだって乗り越えられる。楽しめる!!最高かよー!!
ニヤニヤを抑えられず口元を抑えていると、隣にいたイオナがあからさまに顔を歪ませて俺を見る。へっ、そんな顔されてももうどうでもいいし!だって、だって……!!

ふと、イオナの時計が鳴る。片腕を持ち上げボタンを押せば、画面が浮かび上がった。

『──……もしもし、イオナくん?』
「おや、ロロさん。どうしたんですが。私に通信だなんて、」
『アヤトくん、そこにいる?』
「え、ええ……」
「なんだよロロー。たった今!ビートルバッジを手に入れた!最強の俺様に!何か用か?」

イオナの腕を掴んで、半透明の画面を見る。ロロのやつ、何ていうだろうか。「よかったね」だけか。「これでリヒトくんと旅ができるね」って上辺だけでも喜びを分かち合ってくれるか。
ワクワクしながら見てみれば、ふと、違和感を感じた。……ロロの表情がやけに固い。それに見たことないぐらい真剣で、……。

『……アヤトくん。落ち着いて、聞いてほしい』
「な、なんだよ。早く言えよ」
『            』


…………え?

思わず。
肩にかけていたバッグがずれて、床へ真っ逆さまに落ちる。
画面。ロロからリアルタイムで送られてきた映像を見て、だんだんとあがっていく呼吸に胸元を抑える。

──……今もなお、燃え盛る炎に包まれる広大な森。流れている川には炎に焼かれて黒くなった木々が折り重なって倒れていて、綺麗だった水を茶色く濁らせていた。俺とリヒト、二人で遊んでいたあの川が、。


『サンギ牧場が、何者かによって襲われたって。死傷者も、出ているらしい』

急いで行かないと。
ロロの言葉を聞く前に膝から崩れ落ちてしまった俺には、もはや今、一体ロロが何を言っているのか理解することができなかった。




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