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『今朝がた、またもやセッカシティでポケモン研究者の男性が行方不明に……』
「へえ、こういうニュースもちゃんとやるんじゃん」

早朝の特訓帰りに買ってきた新発売のブリーの実味のおいしい水。それを飲みながらテレビを眺めていた。
この世界に住んでいる人たちに暗いニュースは隠すように、いつものほほんとしたニュースだけを映していたテレビから、やっと暗いニュースが出てきたのだ。ついホッとしてしまったのは言うまでもない。
俺は知っている。俺だけじゃない、この世界のおとなたちは知っているはずだ。毎日ニュースで流してもいいぐらいのことがそこらじゅうで起こっていることを。けれどそれは暗黙の了解になっていて、表沙汰になることもなくて。……そういうとこ、やっぱり納得いかないんだけど、俺が思ったところで何かが変わるわけでもなく。

「噂によれば、行方不明者は既に10人以上と聞いております。被害者は全員ポケモン研究者のようですが。まあ、ここまで来てやっと注意喚起も込めてマスコミが取り上げたのでしょう」
「遅えっての。俺の世界だったらその日のうちにニュース流れるぜ?こんな大事、全部のチャンネルで取り上げられているだろうな」
「おや、アヤトがいた世界は随分と平和ボケしている世界だと聞いていたのですが、実際はそうでもないようですね」

まあ、大きく見れば平和だけど。細かくみりゃ、そりゃ物騒なことだらけの世の中だったと俺は思う。……悲しいことに、それはこっちの世界でも同じことだって思い知ってしまったのだが。
嫌味っぽく俺に言ってきたイオナから目線を外して、やっとペットボトルにキャップをはめて回した。新発売のおいしい水も美味かった。立ち上がり、背伸びを一度して。

「っしゃー!ジム戦、やってやるぜ!!」
「祈ちゃんはまだ回復中ー。イオナさん、トルマリンさんが呼んでたよお」
「分かりました。祈の様子を見てきます」

扉を抜けてやってきたエネは、俺を横切りイオナの前に行った。立ち止まり、無言でイオナを見上げてはニコニコしている。それを見ながら俺もにやにやしていれば、一歩引き気味だったイオナが諦めたように小さくため息を吐いてから、エネの頭を撫でる。一秒にも満たない間だったがエネは満足そうに笑みを浮かべて、部屋を出ていくイオナの背に向かって「いってらっしゃあい」なんて手を振っていた。
ロロとイオナと、そしてエネ。クソ猫どもの関係は、まるで三すくみのようだ。傍からみているぶんには面白いのなんのって。……それはまあ置いておいて。

「そんじゃ、俺も相手の確認しておくか」
「ねえ、ぼくも見てていい?」
「……いいけど、静かにしてろよ」
「はあい」

テーブルに紙とペンを用意してから椅子に座ると、すぐ隣にエネが座った。もう、いちいち気にしていたらキリがない。トルマリンから事前に借りていたパソコンを開いて、ヒウンシティジムのデータを出す。

ヒウンジムのリーダーはアーティ。ゲームと変わってはいないから、どんな人かは何となく分かる。虫ポケモンの使い手で、トリッキーな戦い方をするらしい。使用ポケモンはクルミル、イシズマイ、そしてハハコモリ。……うう、どれも炎タイプかひこうタイプのポケモンがいればすごく有利に戦える相手なのに。つらい。祈にはどちらのタイプの技も覚えられない。
自然と片手を額に当てれば、エネが俺の顔を覗き込む。

「ねえアヤトくん、詩ちゃんに頼んでみれば?詩ちゃんすごく強いし、祈ちゃんの負担も減らせると思うんだけどお」

……エネを無言で見ると、相変わらずにこにこしている。
エネの言っていることはもちろん分かっている。分かってはいるが、どうして詩に頼めるだろうか。そもそも俺が頼んだところで、当たり前のように戦ってくれるわけがない。なぜなら詩は、相も変わらず俺の手持ちポケモンではないからだ。その証拠に、詩のボールも俺の手元にはない。

「ねえ、アヤトくん?」
「そ……そりゃ、俺だって詩が戦ってくれるなら頼みてえけど、……でも、」
「"でも、"、なによ」
「っ!?」

急に声がして慌てて振り返れば詩が腕を組みながら立っていた。いつもならイオナと一緒に祈の具合を見ているのに今日に限ってこれだぜ。思わず椅子が後ろに傾き倒れそうになったが、すかさず机の端に掴まったおかげでひっくり返らずに済んで、ひとつ息を吐きだした。

「早く、続きを言ってみなさいよ」

相変わらず立っている詩を見ながら、指先で机の上を小刻みに叩いてみる。どうして上から目線なんだよ。思ったが、いいや直接詩に向かって言えるわけがない。渋々口を開くと、詩の眉がぴくりと動く。

「だってさ、どうせお前に頼んでも戦ってくれないだろ。詩は俺のポケモンじゃねえし……」
「それはそうだけど。……今回だけ、特別に1戦だけなら出てもいいわよ」
「…………は」

伏せ気味だった顔を上げて詩を見ると、詩の目線は横を向いていて人差し指で自身の金髪をいじっていた。
……俺の聞き間違いだろうか。詩を見てから隣にいるエネを見れば、「ほらアヤトくん!詩ちゃんが戦ってくれるって!」て、言っていた。ということは、聞き間違いではないということ、なのか?……え?マジで??

「なん、」
「勘違いしないでよ。わたし、借りを作ったまま放っておくのが嫌なの。それだけだから」
「……借り?俺、お前になんか貸し作ってたっけ……?」
「っあー!もうどうでもいいわ!とにかく、1戦だけならアンタの言うことだって聞いてあげるって言ってんのよ!ほら、どうするのよ!?」

なぜか一人ヒートアップして俺の胸倉を掴んで揺さぶってくる詩は、まさに女ゴリラ。怖え。が、これが戦力になるというのならこれほど心強いことはない。
俺の服を掴んでいる詩の手首に手を持っていくと即座に詩の手が離れて、ついでに俺の手は叩き落される。痛え。叩かれたほうの手をもう片方の手で擦りながら詩を見ると、ぐっと一歩後ろに下がる。それから口先を少しばかり尖らせて、「突然触ってくるのが悪いんだわ」とぽつり一言。アーハイ、ソウデスネー。

「詩、本当に戦ってくれるのか?」
「まあ、アンタがどうしてもっていうなら、いいけど、」
「……頼む、詩。一戦だけでもいいから、戦ってくれないか」
「だから、別にいいって、」
「俺さ、このジム戦には絶対勝ちたいんだ。……絶対に、負けたくない」
「……、」

夢のひとつが叶う、一歩手前。はやる気持ちを抑えているのも、もうそろそろ限界に近い。このジム戦にさえ勝てば、リヒトと一緒に旅ができる。リヒトが、仲間に囲まれて好きなところへ行けるようになるんだ。世界は広い。一生かけても回れないぐらい広いから、一秒でも早く、リヒトが世界へ飛び出せるようにしたい。

「俺は指示を出すことしかできないけど、でも、なるべく祈と詩が怪我しないようにするから。だから、……どうか俺を勝たせてほしい」

分かってる。俺はまだトレーナーとしても未熟だけど、それでも俺なりに色々考えて努力はしている。だからといっちゃなんだが、一戦だけでも詩も俺を信じて戦ってほしい。
頼む。……座ったまま、目の前に立っている詩に頭を下げた。そうすれば、詩はひとつ息を吐いてから、俺の頭を一回軽く叩いた。ぺちん、という効果音が最適だろうか。

「わたしが祈を想っているように、アヤトもリヒトのことを想っているのね」
「お、想うっていうか、……心配、というか……」
「あら、似たようなものじゃない。……そういうの、嫌いじゃないわ」

スッと目の前に差し出された白く細い手の上、丸いボールが乗っていた。綺麗で傷一つないそれは、……詩のボールだ。顔をあげると、詩が口角をあげて俺を見る。

「アンタがわたしの初めてのトレーナーよ、アヤト。一時だけでもわたしのボールを持てること、光栄に思いなさい」
「……ありがとな、詩。よろしく頼むぜ」
「わたしと祈が戦うんだもの、負けるはずがないわ」
「だねえ。アヤトくん、最強だあ」

後ろから抱き着いてくるエネもどこか嬉しそうな声で、もちろん俺も嬉しく思っていた。嬉しい、そして燃え滾る。……詩から預かったボールをぎゅっと握りしめてから、ゆっくりベルトに取り付けた。

祈の回復が終わり次第、ヒウンシティジムに行こう。
準備をすると言って出て行く詩を見送ってから、バッグの中身をもう一度だけ確認する。傷薬を沢山いれて、ついでに色んな種類の木の実も詰めて。足りない分は、エネが別室に取りに行く。

──……ジジ。
ふと、腕時計から電子音が鳴った。音に気付いて袖を少し捲って時計を見る。が、画面は真っ暗のままだ。
機械の調子が悪いのか?、首を傾げながら下の画面をスライドすると、"リヒト"の名前が出ている。っていうか、俺の腕時計にはリヒトの番号しか入ってないから、当たり前のようにリヒトなんだけど。

「もしもし、リヒト?なんか画面、真っ暗だぜ?」
『…………』
「おーい、リヒトー?」

声をかけたが、反応がない。もしや音声機能も調子が悪いのか?そういやこの前も、途中でリヒトの方の音声が届かなかったときもあった。あのときは時間を置いたら直ったし、今回もそんな感じだろう。

「すまんリヒト、俺の方の機械が調子悪いみたいだから、チャットに移るわ」

って言っても聞こえてないだろうが。とりあず一言言ってから通話を切って、チャット画面に切り替えた。キーボードに指を添え、サッサとこちらの状況を打ち込んで送信する。

"これから ジム戦に挑んでくる。もう少しだぜ!待ってろよ!"

そうすれば、すぐにペンのアイコンが動き出す。リヒトが何か文字を打っているのを表しているものだ。やっぱり俺の腕時計の調子が悪かったようだ。あとでトルマリンにでも見てもらおうか。

リヒトは文字を打つのが遅い。ただ単純に機械の扱いに慣れていないだけだろうが、毎度遅かった。というのも、遅いくせに長文だからだった。当たり前のように今日もそうだろうと思い、一度画面から目を離して木の実を一個詰めたとき。……腕時計が小さく振動する。反射的に見ると、もう返信が来ていた。

「おいおいマジかよ。リヒト今日早……って、短っ!」

思わず画面を何度も指でスクロールしてみるが、やはり一文だけしかない。

"ありがとう アヤト。 またね"

……まあ、ついおとといぐらいに「次会うときは牧場で」って言ったし、リヒトの返信が短いのにも納得だ。あのときすでにお互い一旦区切りがついたし、別に連絡とらなくてもいいぐらいだし。

「アヤトくうん!祈ちゃんの回復も終わって、準備万端だってー!」
「りょーっかい!今行くー!」

大声で呼びかけるエネに応えて、バッグを抱えて立ち上がる。意気揚々と駆け足で、エネが押さえている扉に向かい部屋を抜けた。
ヴヴ。バッグに放り込んだ腕時計が震える。リヒトのやつ、まだ何か文字を打っていたのか?もしくは写真を送ってきたか、はたまたハーくん先輩がリヒトに代わって送ってきたか……。

「アヤトくん、腕時計、見ないの?」
「うん。バトルが終わったあとの楽しみにしようと思ってさ」
「あ、いいねえそれ!そしたら、ぼくにも見せてよお」
「えー、どうしよっかなー」
「アヤトくんのいじわるー」

どんなメッセージが送られてきたのか。……まあ、どんなものであれ、嬉しいことに変わりはないから、今から読むのが楽しみだ。
そうしてエネと一緒にエレベーターに乗り、祈たちが待つ場所へと向かう。
戦闘準備は、万端だ。





森の中を、ひたすらに走った。走って走って、また走る。
背後に鳴り響いていた警報は、あっという間に遠のいて。

肩で息をしながら、彼はやっと振り返った。──遠く、とある場所を見つめながら。

「……これで、本当によかったんだろうか」

つい零れた自分の言葉に驚いて、それから口をきつく結ぶ。
約束は、必ず守ろう。必ず、……必ず。

そうしてまた、走り出す。手渡された、大切なものを握りしめて。




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