2

ワンコール、ツーコール……。
ベッドの上に寝転がりながら、呼び出し画面を眺める。隣に当たり前のように寝っ転がっているエネは、うつ伏せで両手で頬を支えながら両足をバタバタとさせていた。画面に映るアイツがどんな姿なのか気になるのだろう、待ちきれない様子にいまだ呼び出し中の画面にちらりと視線を向ける。……が、次のコールが鳴ったとき、とうとう留守番電話になってしまった。リヒトがでないなんてめずらしいこともあるものだ。

「ねえ、切れちゃったよお?」
「いつもは出るんだけどなあ。忙しいんかな。ま、気付いたら向こうからまたかけてくれるだろ」

えー、といいながら左にごろんと寝がえりをうつエネから、なるべく距離を置くように俺も左側に身体を横向きにする。半透明の画面を眺めてから、ボタンを押してネットに繋げた。「バトル嫌いのポケモン どうする」、で検索をかける。誰のことを指しているのかなんて、言わずとも分かるだろう。

イオナに匙を投げられたエネは、回復した後、俺に向かってこう言った。「……ぼく、バトルは嫌だなあ」と。俺はトレーナーであって、手持ちポケモンはがんがんバトルで戦わせたいのだが。……嫌なものを無理やりやらせたくはない気持ちもある。俺だって、嫌いな勉強を母さんにやれと言われてもやりたくないし、やらないし。
結局のところ勉強と同じく、バトルだって別にできなくても支障はない。ということで、俺はきっぱりエネを戦わせるのは諦めた。次のジム戦も不安だらけではあるが、なんとか祈だけで戦うと決めたのは今日の昼間のことだった。

「アヤトくんって、お人好しだよね」
「別に、そんなんじゃねーし」

ベッドが軋み、背中にぴたりとくっついてくるエネ。どうせ追い払ってもまたくっついてくるのがオチだ。脳内でカワイイ女の子に置き換えて、検索結果一覧を順番に眺めていた。「強いポケモンは魅力的ですが、強さだけが全てではありません」「その子の得意なことを伸ばしてあげましょう!」……サイトを閉じて、視線を画面から逸らす。

「得意なこと、ねえ……」

横向きになっている俺の上を跨いで覆いかぶさるように乗っかっているエネを横目で見る。するとエネの糸目になっていた目がまん丸になってから、ぼふん!と煙が生まれて消える前にはエネコの姿に戻っていた。それと同時に顔面にすり寄ってくるエネコに鼻がむずがゆくなった。
俺とエネのルール。その1。エネコの姿なら甘えてきてもよい。……俺にしてはかなり譲歩したルールだと思うんだけど。

「なあエネ、お前なんか得意なことってあるか?」

愛してるだのなんだの、にゃーにゃーうるさいエネの首根っこを掴んで引っ張ると一瞬大人しくなった。やはり猫は猫ということか。それから俺の顔を見て、質問を繰り返してから尻尾を一度大きく揺らす。

『得意なこと、あるよ』
「どんなこと?あのさ、バトルが嫌なら得意なことを伸ばすのもいいかなって思っ、」

言葉の途中、再び煙が起こってベッドが音を鳴らす。ピンク色の髪が俺のおでこに流れ、気付いたときには小さく白い手に頬を撫でられていて。俺が突き飛ばすよりも早く、エネが耳元で囁いた。

「……ぼくの得意なことなんて、言わなくても分かるでしょ?アヤトくんが望むなら、毎晩悦ばせてあげるんだけどなあ」
「お、おいおいおいっ!?ちょっと待っ、!」

鼻先が触れるほどの距離になったところで、耳元で電子音が聞こえた。閉じかけていた目をゆっくり開くと、エネの丸い目が三日月の形になって、指先で俺の唇を撫でる。それから離して、俺の横を指差して。

「あの可愛い子が、リヒトくん?」

にこりと、笑った。
瞬間、俺は慌ててエネを押し返して横を見ると、……すでに、腕時計から透明の画面が浮かび上がっていて、ついでにいうと。
リヒトとハーくん先輩が、映っていた。リヒトは両目を自分の手で覆い隠しているし、ハーくん先輩なんか目がかっぴらいていて今にも飛び出しそうになっていて。
俺は、流れるような動きで自分の顔面を両手で覆って、立膝のまま後ろにエビ反りした。──……ジーザス。リヒトならまだしもハーくん先輩に見られるなんて、この世の終わりもいいところだ。……ジーザスッ!

「はじめまして、ぼくはエネ。愛するアヤトくんの手持ちポケモンです。よろしくねえ」
『あっ愛……っ!?』
『お、落ち着くんだリヒト……え、……えっと、一応聞くけど、……君、オス、だよね?』
「さあて、お兄さんはどっちだと思いますう?」
『……いっそのこと、女の子であれ……ッ!!』

後ろから俺の首に腕を回したままハーくん先輩と暢気に会話をするエネの声で、やっと現実に戻ってきた。だらりと腕を降ろして画面を見たとき、丁度ハーくん先輩が両手をきつく絡ませて、どこかの誰かにもうどうにもできない祈りを捧げている姿が映っていた。ついでに俺も真似して祈ってはみたものの、やはりエネの胸はまっ平のままである。

『い、いやあ、アヤト、なかなかに個性的な仲間だね。ところで、祈ちゃんと詩ちゃんは?』
「二人は別室っすよ。アイツら寝るの早えし、もう夢の中じゃないっすか」
『ああ……パジャマ姿を拝みたかった……』
「キモ……」

もはやセクハラジジイとしか思えないハーくん先輩を横目で見る。エネは強制的にボールに戻して、今もなお出て来ないように両手で力強くボールを押さえて持っていた。中から興奮するような変な声が聞こえてくるのは無視しよう。

「そういや、リヒトがこの時間にハーくん先輩と一緒にいるなんて、何かあったのか?」

先ほどからなかなか目線が合わないリヒトに聞くと、まだほんのり赤い頬がくいと持ち上がり笑顔をみせる。

『あのね、今晩は、オーナーさんの家に泊まらせてもらうんだ』
「えっ?り、リヒトが!?」
『リヒト以外に誰がいるー?どうだアヤト、羨ましいだろ!』

リヒトの肩にハーくん先輩が肘を乗せて俺に見せつけてきた。ニヤニヤ顔の横、リヒトが照れ笑いを浮かべている。
羨ましいというよりも、俺はリヒトの変化に驚きを隠せない。フードを深く被って激しい人見知りをしていたあのリヒトが、だぜ!?そりゃふつうに驚くし、あと、なんか分かんないけどすげー嬉しい。
俺のことじゃないのに嬉しいってのも、なんか変な気がするけど。……そう、俺も、嬉しい。

ふと、画面のむこう、ハーくん先輩がぐっと近づいて、画面の端に大きく顔が映った。そばかすがはっきり見える。口元に片手を添えて、小声で言うハーくん先輩の頬もゆるゆるに緩みっぱなしだ。

『アヤト、嬉しそうだねえ』
「はい、嬉しいっす」
『なんだよ、素直になっちゃって。……まあ、僕もやっと可愛い後輩に懐いてもらえて嬉しいんだけどさ』
「ハーくん先輩が後輩に懐いてもらえたの、初めてじゃないっすか?」
『えっ?』
「え?」

冗談に二人でくつくつ笑っていると、ハーくん先輩の後ろに小さく映っていたリヒトが小首を傾げていた。ひとしきり笑った後、ドアップだったハーくん先輩の顔が小さく戻り、またリヒトと並ぶ。

『アヤト、安心してよ!君がリヒトのことを迎えにくるまで、きっちり僕が面倒みるからさ』
『面倒みられます』
「はは。頼みましたよハーくん先輩ー?リヒト、なかなかに問題児なんで」
『……おれ、アヤトに敵う問題児なんてそうそういないと思うんだけど』
『おっ、リヒトいいこと言うねー』
「はあー?」

画面を見ながらベッドにまた仰向けに寝転がると、いつの間にかボールから出ていたエネがエネコ姿で俺の横にきた。こう箱座りしながら、一緒に画面を眺めている。

『とにかく、ジム戦がんばれよ?』
「うっ……はい、"ボーイズ・ビーアンビシャス"……」
『アヤト、……それ、覚えててくれたんだ』
「まあ、はい……」
『嬉しいなあ!そうさ、ボーイズ・ビーアンビシャス!君なら次も、その次だって勝てるさ、アヤト!そうだろう!?』

だって、僕の後輩だもの!
自信満々に言い切るハーくん先輩を見て、すこし間をあけてしまったが、しっかり頷いてみせた。それからリヒトを見て、親指をたてた拳を突き出して笑ってみせると、今度はリヒトが深く頷く。

『それじゃあ、またね、アヤト』
「次、会うときは、……牧場でな」
『!、……っうん!』
『久々に会えるの楽しみにしてるからなー!』
「うっす!」

ひらりと手を振る二人を見て、俺も片手をちょっと上げてからボタンを押して通信を切った。持ち上げていた腕を降ろして、目を閉じる。
少し話しただけでこんなにもやる気になるなんて。こんなにも、自信がつくなんて。じわじわ中心から指先に向けて熱が広がっていく感覚がする。今なら祈だけでも余裕で勝てる。そんな気さえしてしまった。

『アヤトくんの周りは、キラキラした人たちでいっぱいだねえ』

その声に顔を横に向けると、糸目のエネコも俺を見ていて。表情はよく分からないが、声色はやわらかかった。
身体を横に傾けて、片手をエネの頭にのせて撫でてみる。しっかり食べ始めたからなのか、随分毛並みもよくなってきているような気がする。

『ぼくには眩しすぎるぐらい』
「平気だって。すぐ慣れるさ」
『……えへへ、そうだといいなあ』

喉を鳴らすエネコを撫でて、また仰向けになり天井を眺めた。
祈のレベル的に少し不安は残るものの、そろそろ試してみてもいい頃合いだ。……3日後。ジムに挑んでみよう。一度拳をぎゅっと握り、また手を広げる。
やってやる。やってやろうじゃねーか。

天井に向かって広げた手を、また一度、力強く握りしめた。




- ナノ -