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場所はビル内にあるバトルフィールド。向かい側には祈がいて、俺の手前にはエネコことエネがいた。
エネが仲間に入ってから早一週間が経つ。できることなら今すぐにでもジム戦に挑みたいところだが、正直、祈ひとりだとジム戦を勝ち抜ける自信がなかった。ということで、エネも一戦ぐらいなら戦えるだろうと思いバトル練習をはじめたわけだが。……だが。

「エネ、れいとうビーム!」
『それ……どうやって出すの?』
「えっ……お、俺に聞かれても……、あっほら祈が来てる!技出せないなら避けろ!」
『ええーっ!?ど、どうやってえ!?』
「昨日教えただろー!?横に転がって、」
『……えいっ』

こつん。エネが俺の方を向いて叫んでいる間に祈がエネの前までやってきて、小さな前足でエネの頭を軽くたたいた。はたく、という技もどきとでもいえばいいのか。ちっこいのが二体、俺の前で立ち尽くしている。その光景に、思わず俺は片手を目に当てため息を吐いた。……ダメだこりゃ。

エネ。レベル8。レベルは祈より低いが、技のレパートリーがバカみたいに多い。親からの遺伝のもの、それからわざマシンで覚えられるもの。とにかく色んな技を覚えてはいるのだが、なんせエネは戦ったことがない。覚えていても、それが出来るか出来ないかはまた別物ということだ。エネの場合、ほとんどできない。ということが分かってしまった。

『祈ちゃん、強いんだねえ。ぼくぜんぜん勝てないよお……』
『……エネも、イオナに教えてもらう?』
『イオナさん?』
「そうか、その手があったか」

俺でダメならイオナに教えてもらえばいい。というか同じポケモン同士、そっちのほうが早く技を出せるようになるのでは。壁に埋め込まれている通信機のボタンを押して、トルマリンにかけてからイオナへ繋いでもらう。もちろん詳しくは伝えないで、ただ「バトルフィールドまで来てください!お願いします、イオナ様!」と言えば、無言で通信を切られた。イオナはああみえて世話焼きだ。絶対来てくれるに違いない。ニシシとほくそ笑みながら、祈に聞いてなんとか避ける体制や動きなどは覚えようとしているエネを眺めた。

しばらくして。自動扉が開き、やってきたのは待ちに待ったイオナ……と、詩だった。珍しい組み合わせだと思ったが、そういや最近、詩はイオナにお菓子作りを教わっていたことを思い出す。となれば。

「さ、一旦休憩にしましょう」
「っ待ってましたー!」

バトルフィールドの端、備え付けられている大きめの白いテーブルにイオナが洒落たテーブルクロスを広げている横、詩がバスケットを開いて見せた。……白いレースペーパーが敷かれていて、中にはたっぷり色とりどりのマカロンが入っていた。手を伸ばそうとすると叩き落され、睨まれる。

「まだよ。お皿に並べてから」
「んだよ。そのままつまんで食えばいいじゃん」
「ほんっと、分かってないんだから」
「はあ?」

あとからやってきた祈とエネを両サイドに、三人で詩たちの用意が終わるのを待つ。わざわざバスケットから小さいトングみたいなのを使ってお皿にマカロンを並べる詩は、どこか楽しそうに見える。イオナは紅茶を入れ、ティーカップを並べていた。あっという間にティーパーティー会場の出来上がりってわけだ。いかにも女子が好きそうな空間になっている。……詩が言いたかったのはこういうことなのか。とっとと食ってさっさとバトルを再開したい俺には、面倒くさいことやるなあとしか思えない。

「すごいっかわいいねっ……!」
「うん、すっごく素敵だねえ。ところであれ、なんだろう?」
「……わたしもわかんない。でもウタが作ってくれるおかし、なんでもおいしいから、きっとあれもおいしいものだと思うよ」
「へえー、楽しみだなあ」

床に座り込んで体育座りをしながら頬杖をついていた俺の両脇で、エネと祈が目を輝かせながらテーブルを見ていた。女子だけではなく、ちびっこにもウケるようだ。……まあ、面倒くさいことも、悪くはないのかもしれない。

「さあ、どうぞ!」
「「わーいっ!」」

詩の掛け声と同時に走り出し、椅子に座るエネと祈。俺ものんびり立ち上がって向かい、二人の向かい側に座る。と、なんと隣に詩が座ったのだ。ビビって目を見開くと、「何こっちみてんのよ」って睨まれた。なんでだ。というか詩のやつ、距離感狂ってないか。うわ怖いなんだろう。怖い。

ひとつつまんで鼻に近づけて匂いを嗅ぐと、さらに目を輝かせるエネと祈。二人とも初めてみるマカロンにわくわくを隠しきれていない。とかいう俺も、食べるのは初めてだ。コンビニで見かけたことはあったけど、二個しか入ってないくせにバカみたいに高かった記憶しかない。中学生の俺が買う訳ない食べ物だったのだ。それが今、目の前にあり。一口で食べられるものではあるが、向かい側の二人と同じく少しだけかじってみる。
かけらを歯で砕いて舌を動かして……サクサクで、けどなんか柔らかいのもあって、甘くて。

「……ど、どう、かしら」

俺たちを見回しながらどこか緊張した面持ちの詩を見て、ついでにかじりかけのマカロンも口の中に放り込んだ。

「……めっっちゃくちゃうまい!!」
「うん、とーってもおいしい!ウタ、すごい!」
「詩ちゃんお菓子作り上手なんだねえ。ぼく、こんなに美味しいお菓子初めて食べたよお」
「……そう!良かった、」

詩がイオナの方を見て、どこか優し気な雰囲気でイオナが頷くのが見えた。表情は相変わらずあまり変わり映えしないが、チビたちの雰囲気に飲まれつつあるのかだんだんと口元が緩くなっているような気がする。あのイオナでさえこうなんだ。俺なんかもうお菓子に飲まれてでろっでろである。

「詩って意外と料理もできるんだな。あ、あと5個」
「意外と、は余計。だってわたしよ?何でもできちゃうに決まってるじゃない」
「すげえなー。お前すげえよ。これめちゃくちゃうまいわ。普通に可愛い顔してるしバトル強えし料理もできて、お前ほんと完璧じゃん。あ、あと6個」
「ねえ、本当に、……わたしのこと可愛い、って思ってる……?」
「おう。俺ほんとのことしか言わねえから。詩ーあと5個ー」
「……そう、なの」

むしゃむしゃ。うめえ。超うめえ。祈とエネに食べすぎだとぶーぶー言われても、俺は食べる。だって詩が俺の皿にマカロン乗せてくれるんだもん。食べるに決まってる。食べながら、ふと忘れていたことを思い出した。

「あー、でもお前、性格悪いからなー。完璧じゃなかったわ!ははは!」
「……やっぱり。アンタって、最っ低!」

がたん。詩が突然立ち上がり、俺の皿を横から取り上げた。口をもごもごさせながら手を伸ばすが、肘で胸元を押されて皿どころか詩の腕も掴めず。

「あっ、おい、まだ俺食べ終わってないじゃん!」
「アンタにやるものなんてないわよ!ファック!失せろ!」
「ちぇっ、なんだよ突然……これだから女ってめんどくせー」

名残惜しく自分の指を舐めながら椅子から立ち上がってイオナの隣に避難すると、変な目で見られた。ついでにエネも椅子に座ったまま俺の方を振り返り、食べながら変な目で見てくる。……な、なんなんだ。

「今のは完全にアヤトが悪いです」
「な、なんでだよ?」
「イオナさんと同意見ー。アヤトくん、ほんとダメダメ」
「だからなんでだよ!?」
「ぼくが夜、たっぷり教えてあげるよお」

エネに向かってゲロを吐く真似を見せて、頭を掻いた。よくわからんがどうでもいい。
リスのようにひたすらちびちび食べている祈を見てから、イオナの裾を軽く掴んで引っ張る。

「なあ、お前に頼みがあるんだけど」
「おや、それが人に何かを頼むときの言い方でしょうか」
「……イオナ様にお頼みしたいことがあるのですが!」
「はい、なんでしょう」

女だけじゃない。イオナも大概めんどくさい。、とは口が裂けても言えないが、心の中で叫ぶ俺がいつもいる。しかしまあ、気を取り直してイオナにエネのことを話した。もうエネと一緒にバトルの練習をはじめて一週間近く経ったが現状がこのようだと。だからイオナに、エネにも戦い方を教えてくれないかと頼む。
イオナならきっと引き受けてくれると思っていることも伝えれば、なぜかまた変な目で見られた。疑うような目ではなく、……どこかすでに諦めているような目、?

「……いいでしょう。このあと、エネに少しだけ教えてみます」
「マジさんきゅー!お前が教えてくれればエネだって強くなるな!?」
「さて、それはどうでしょう」

もう、結果は分かっていますがね。
イオナはそう言い残し、白いティーポットを片手にテーブルまで歩いていった。それがどういう意味なのか。このときの俺は、いい意味だと絶対思っていた。優秀なイオナ先生なら、どんな生徒だってきっと!……そう、思っていたのだが。

「……なんか、イケナイものを見せられている。そんな気、しない?」
「する。お前でもそう思うってヤバすぎじゃん」

お勉強の時間だといってナイスタイミングで出て行った詩と祈と入れ替わるようにやってきたロロが、俺の隣に座りながらマカロンをかじっていた。詩がロロ用にとっておいたのだろう。さりげなく片手を出すと、ひとつ俺の手にマカロンを乗せて、……俺が掴む前にサッと取って、自分の口の中に放り込むロロの太ももを一回叩いた。

「つーか……マジかー……」

イオナに教えられるエネを眺めて、こう思った。まるでSMプレイのようだと。
イオナにしごかれるエネは、最初こそヒイヒイ言いながら「もうやだあ!ぼくには無理だよおっ!」とか「アヤトくん助けてえ!」とかガチ泣きしそうになっていたが、いまや吹っ飛ばされるたびにどこか悦んでいるように喘ぎ声に近い何かを発していた。
イオナも最初は聞こえないフリで通していたが、……見てみろあの顔。レパルダスの姿のときでさえ、めちゃくちゃ嫌そうな顔してるって分かるぜ。

「アヤくん知ってる?首絞めプレイって、一度味わうとなかなか止められないんだって」
「はあ?なんでだよ」
「首を圧迫すると酸素が脳に届きにくくなるじゃん。そうすると酸欠状態になってさ、脳が正常に働かなくなるわけ。で、このとき脳が誤って「気持ちいい」と感じる信号と、大量の興奮を催す作用を見せるんだってさ。今エネくん、軽くそんな状態に陥ってるんじゃない?」
「……お前なんでそんなに詳しいんだよ。怖えわ」

ロロが最後のマカロンを半分食べて、食べかけをなぜかよこしてきた。お情けか。ムカつきつつも食欲には勝てず、指でつまんで口の中に放り投げる。隣、ロロがニヤニヤしながら俺を見て、両手を前に出して首を絞める真似を見せてきた。

「気になる?今度やってあげよっか」
「殺害予告かよ。却下」
「あらら。ざーんねん」

そんなくだらない会話をしていれば、フッと影が落ちてきて。
……見上げてみると、ぐったりしたまま伸びているエネコを小脇に抱えるイオナがいた。汗だくで異様な雰囲気を纏っている姿に、思わずサッと席を譲ってしまう俺。入れ替わるように座るイオナから少し距離をおくロロ。

「……アヤト」
「……は、はあい……」

腹に響くような低い声。……ふつうに、イラついていらっしゃる。
そんなのは見て分かることで、なんと、普段鉄壁といっても過言ではない首元が、はだけている。第二ボタンまで外して、タイリボンがだらしなく伸びている。さらに第二の鉄壁、袖のところすら乱暴に捲りあげられていて意外としっかりした腕が丸見えだった。
座っているときでさえいつも綺麗に閉じられていた足も腰幅に開いていて、両腕をだらしなく乗せ俯いているイオナがまるで別人に見える。仕草や恰好でここまで人は変わるのかと、心の底から思った。

「あのお……イオナせんせー……?大丈夫っすかあ……?」

こういうときは下手に出るに限る。刺激しないよう、そろぉっとイオナの前にしゃがんで顔を覗き込むように見た。
……瞬間。
バッ!と顔を上げたかと思えば、右手でエネコの首元を片手でつまんでぶら下げると俺の顔面に押し当ててきた。咄嗟に手を出すと、イオナが手を離してエネコが俺の腕の中に落ちてくる。慌ててイオナを見上げると、イオナが素早く立ち上がって顎に伝う汗を拭って。

「ええ、初めからダメだろうとは思っておりましたが、まさかここまでとは」
「せ、せんせえ……」
「論外です。今後一切、私はエネのバトルには関わりません」
「そっ、そんなこと言わずにい……」
「関わりません」
「そ、そこをなんとかあ……」
「……次、頼ってきたら八つ裂きだ。覚悟しておけ」
「ひっ……!?」

ギンッと睨まれ、テーブルに置いてあったおいしい水を掠め取って立ち去るイオナを、ただただ静かに見送るしかできなかった。
……敬語、外れてたじゃねえかよ。怖え……。しかも俺がまだ一口しか飲んでない水も持っていかれたあ……怖ええ……。

「あれぐらいで半泣きになってちゃ、それこそマスター失格だ。彼、本気で怒ると"俺"って言うようになるからね。数年に1度ぐらいの頻度だと思うけど。怒ると野生時代に戻るのかな?」
「なんだよそれえ……超怖えじゃん……」

イオナをイラつかせる原因となったエネコの尻尾を思い切り握ってみるが、伸びたまま反応はなかった。
改めて椅子に座って、うっすら出てきた涙を人差し指でぬぐった。今のうちに心にしっかり刻んでおこう。
イオナ、怒らせるべからず。

「ところでアヤくん」

ロロが、エネをつつきながら言う。

「エネくん、どうするの?」

唯一の頼みの綱であった、イオナ大先生に匙を投げられてしまったエネ。

どうするの?
……そんなの、俺が聞きたいよ。




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