20

「それで、エネはどうしたんだよ」

わざわざ飯を部屋まで持ってきてくれたロロに食べながら訊ねる。小さな丸テーブルの反対側、俺が最後に食べようと思っているウインナーにフォークを近づけてきやがったロロの手を叩き落として睨むと、へらへら笑っていた。

「先輩たちがついさっきかな、連れてきてくれたよ。呼んでこようか?」
「……先輩?」
「うん。俺、一応国際警察なんだよ」
「…………は?」

思わず口に入れていたものを吐き出しそうになりながら、椅子から立ち上がるロロを見る。……俺の聞き間違いだろうか。うんそうだ、絶対そうに決まっている。

「これ、俺の警帽。で、こっちが警察手帳」

俺に差し出してきた証拠物を無言で受け取って眺める。……警帽。カッコいい。試しに被ってみたら俺には少し大きくて、目元に帽子のつばがかかって視界が半分ぐらいなくなった。つばを親指で押し上げるとロロが手鏡を俺に向けていて、自然と覗いてみたらマヌケな顔をした俺が映っていた。
視線を外してぼんやりと今度は警察手帳を眺めてみる。……昔の写真だろうか。随分と前髪が長くて、髪を一つに結んでいる今より少し若めなロロの写真がばっちりあって。その下には国際警察の正式なちゃんとした四角い印鑑みたいなのが押してあって。

「マジかよ」
「マジマジ。かっこいいでしょ」
「……かっこいい。チクショー、お前本当に何者なんだよ」
「俺は俺だよ」
「ほんっとムカつくヤローだな」

警帽を取り払ってから残りのご飯を思いっきりかきこむ。ロロのヤツ、こんなかっこいい肩書まで持っていやがったなんて。心底気に入らない野郎だと、改めてしみじみと思った。
すっかり食べ終え、片付けついでにエネに会いに行こうと立ち上がる寸前。ロロがテーブルの上にひとつボールを静かに置いた。

「なんだよそれ」
「俺が盗んできたボール」
「バッ、バカかお前っ!?どっから盗ってきた!?国際警察が何やってんだよっ!?つーかそんなの俺によこすな!俺が捕まっちゃうじゃん!?」
「まあまあ落ち着いてよ、アヤくん。このボールは、君次第でどこへ行くかが決まってしまう」
「は、はあ?」

ロロを見て、一旦椅子に座り直す。食器の乗ったトレーをテーブルの端に寄せてから、触れはしないがボールを見る。随分と綺麗なボールで、ほぼ新品に近い。が、ボールの色がはっきりしているの見るとすでに"誰か"のボールになっているようだ。

「これは、エネくんのボールだよ」
「エネの?」
「そ。トレーナーが罪を犯した場合、牢屋行きでしばらく表には出て来れなくなる。となれば、その手持ちだったポケモンは行き場をなくしてしまう。そういう場合、ポケモンたちは地方が運営している保護施設に預けられるんだ。そこで新たなトレーナーを見つけたり、もしくは野生になったりしているんだよ」
「……つまり、エネも保護施設に行くってことか?」
「普通なら、ね」

エネのボールを人差し指で上下に転がしながらロロが口角をあげる。普通ならということは、今回は違う選択肢もある。もったいぶってなかなか言い出さないロロを見ていれば、小さくノック音が聞こえた。俺の部屋なのになぜかロロが返事をすると、ゆっくりと扉が開いて。

「……アヤトくん、」
「エネ!」

扉を閉めて、その前に居心地悪そうに立つエネのところへ駆け寄った。見たところ怪我などは見当たらない。白い肌に目立った跡はなく、あのとき腫れあがっていた頬もすっかりもとに戻っている。

「……よかった。もう治ったんだな」
「アヤトくんたちのおかげだよ」

そう言って笑顔を見せるエネのピンク色の髪がさらりと流れる。ふと、俺に向いていた視線がロロに移ったと思えば。一転。表情をだんだんと曇らせて、そっと俺の腕の裾を掴む。ロロが俺に何を話していたのか察したんだろう。対するロロも、エネの様子から悟られたのだと察してやっと口を開いた。

「普通なら、ボールもその場で押収されるんだ。だって罪人のポケモンだもの、共犯の場合もあるしね。もちろんエネくんのように被害者の場合もある。どちらにせよ、正しいケアが必要ということだ」
「でも今回、エネのボールはロロが盗んだから……行方知らずになっているのか?」
「その通り。この場合、選択肢が増える。……ボールの持ち主が、そのポケモンをどうするか決められる」

テーブルの上にあったボールをロロが掴んだと思えば、俺に向かって放り投げてきた。綺麗な弧を描きながら俺のところへきたボールを、咄嗟に両手で受け止めてしまった。驚きながら顔をあげてロロを見れば、やっぱり面白そうに笑っていて。少し目を泳がせてから、ゆっくりエネの方に向き直し。

……ボールを、エネに手渡した。

「アヤトくん……?」
「何驚いてんだよ。だってこのボール、お前のだろ。返しただけじゃん」
「そ、そう、だけど、……でもぼくには、」
「お前が選んでいいんだよ。エネ」

ボールと俺の間を忙しなく行き来していた視線がぴたりと止まり、丸い目がさらに丸くなる。

「こういうのはな、他の誰かに選ばせちゃダメなことなんだよ」
「…………、」
「お前は、エネは、どうしたい?」
「……ぼく、は……、」

小さな唇が震えて一度閉じ。ボールをぎゅっと握ってから俺の片手を掴んで、顔をあげる。
ふと、目の端でロロが椅子から立ち上がるのが見えた。足音無く俺とエネを通り過ぎ、何も言わずに出て行った。……何も今のタイミングで出て行かなくてもいいのに。けれども張り詰めていた雰囲気が少し解れたのも事実で、扉に向かっていた俺とエネの視線が元に戻って交わった。

「アヤトくん、……わがまま言っても、いいかなあ」
「わがまま?なんだよ」
「……ぼく、きっとみんなが知っているような当たり前のことも知らないし、バトルもやったことがないから弱いかもしれない。家事もできないし、何の役にもたてないかもしれない。……それでもぼくは、手を差し伸べてくれたアヤトくんといっしょにいたい」

エネの手から、ボールがまたゆっくりと俺の手の中に戻ってくる。エネがずっと握っていたせいか、ボールはほんのりと温かかった。

「ぼくを、きみのとなりにおいてくれますか……?」

丸く、紫色の目が俺を見る。手にあるボールに視線を落として、真ん中のボタンを押して小さくしてから、……ベルトに付けた。エネが「あ……」と小さく声を漏らす。

「それがお前の答えなら、……俺はもちろん、大歓迎だ。つーかお前に関わり始めたときから、たぶんこうなるなって思ってたよ。でも……へへ、嬉しいな」
「……嬉しい?ほんと……?」
「当たり前だろー?だって仲間が増えたんだもん、嬉しいにきまってる」

ぱちぱちと瞬きを繰り返すエネの前に、空いた右手を差し出した。
ロロが言っていたっけ。エネと俺の出会いは、ロロが仕組んだことだったって。ロロの復讐劇のために利用されたとしても、仕組まれた出会いだったとしても、……俺がエネと関わると決めたこと、そしてエネが俺たちを選んだことは、元から決まっていたことなんかじゃない。俺たちが、自分たちが決めたことだ。

「これからよろしくな、エネ」

するり。差し出した片手に、エネの手が伸びた。
……と思えば、両手でぎゅうっっ!と包まれて、思わず手を引きそうになったが、それも敢え無く阻止された。身体を後ろに斜めらせながらエネを見れば、いつぞやの夜のようなとろんとした表情になっていて思わず鳥肌が立つ。

……さっきまでの素晴らしい雰囲気はどこへ行ってしまったのか。例えるならば、キラキラスポーツ漫画から一気にねっちょり青年向け漫画になったような。

「お、おい……なんだよ、」
「アヤトくん、前にこう言っていたよねえ。"愛っていうのは、見返りとか無しで相手のために何かをしてやりたくなることだ"、って」

……言った。確かに言った。でも今それとどう関係があるのか。
無言のまま頷いてエネを見ると、俺の手を握ったまま引き寄せてきやがった。力で負けるかと俺も力を入れた瞬間、ふっとエネが力を抜いて、俺にそのまま抱き着いた。おでこを手のひらで押して無理やり剥がそうとしたが、その顔がやけに嬉しそうだったから思わず固まってしまった。

確かにエネは、普通の人が知っているようなことは知らないかもしれないが、こうやって普通の人が知らないようなことを沢山知っているから、……つまりプラマイゼロなのではないだろうか。

「だ、だからなんなんだよ、」
「アヤトくんはさあ、見返りなしでぼくを助けてくれたでしょう?……これってつまり、愛だよね」
「っはあ!?なんでそうなるんだよっ!?つーか何度も言ってるけど俺が好きなのは巨乳のお姉さんで、!」
「だいじょおぶ。ぼくもアヤトくんのこと、……愛してるから」

胸元をガッ!と掴まれたと思えば無理やり引き寄せられて、──……唇が、柔らかい何かと重なる。頭が追い付いてこなくて、ただ目の前にぼやけて見える長い睫毛を見ていた。

……瞬間、何かが落ちる音がして。ついでに俺の中の何かも崩れるように落ちていて。

「あ、!ご、ごめんなさい、っ!わ、わたし、何もみてない、から……っ!」

開きっぱなしの扉のところ、マグカップが転がっていてカーペットをじわじわと濡らしていた。茶色が慌てて走り去り、その声はどこか上擦って……っていやいやいや!?!?

「いっ、祈いー!!違う、これは違うんだって!!」
「ひゅー!モテる男はつらいねえ、ねえ、アヤくん」

またもやいつの間にか扉のところにいたロロが、楽し気に口笛を吹いた。……一気に腹が立って、急激にしぼんでいく。もはやロロに怒声を浴びせる気力すらない。俺のファーストキスすら、男だなんて……そんな馬鹿な……。

「これからよろしくねえ、アヤトくん」

俺にくっついたまま頬をすり寄せ、エネが言う。……ピンク色のバカ猫が、また増えた。
……自分自身が決めたことをこんなにも後悔したことがあっただろうか。いや、ない。あるものか。腕で口をゴシゴシ拭いながら、涙目で過去の自分を恨んだ。

もう猫なんか仲間に入れない。そう、心に決めたのだった。




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