19

某ビル、三階。
祈は心身ともに回復を促すために別階の治療室のベッドで寝ている。詩とアヤトは同じ階の別部屋にそれぞれいるものの、昨晩から現在―次の日の夕方までどっぷりと眠っている。二人にも相当負担がかかったことは皆も分かっているようで、様子を伺いには行くがけっして起こそうとはしなかった。

そんな中、一人遅れて部屋に入ってきた彼を見る。まだ、このビルに戻ってきただけ良いと思った。戻ってきたということは、少なからず子どもたちを本心から心配する気持ちはあるのだろう。

「結局、貴方は何をしたかったのですか」
「何をって。前に言った通りだよ。やられたことをそのままそっくり返しただけだ」
「……ご冗談」

後、例の女と男はゲンガーたちによる精神的刑罰でしばらく再起不能となったらしい。昔、心に傷を負わされたらしい彼は、まんまと同じく……いや、それ以上のことを仕返した。
ついでに言えば、一階にて殺された女は、復讐相手の女の保証人だったらしい。もしも今回、アヤトたちがエネに関わっていかずとも、結局保証人の女は身内に殺され、また店は潰れて多額の罰金や賠償金を背負う運命にあったということである。これも全ては彼の策であり、今回アヤトたちが男の足止めをしてくれたおかげで二重の苦痛を与えることができたのだった。

「不思議です。どうしてアヤトたちまで巻き込んだのか。別に関わらせずとも、変わらず自らの手を汚さず仕返し出来たでしょうに」

黒い皮手袋を外す彼を見ながら問うが、こちらに視線を一時も向けないのを見ると答える気は全くないらしい。コートも脱いで、横に控えていたトルマリンに手渡すと私と距離を置いてソファに座る。それからルベライトに視線を向けて手招きをしたと思えば、すぐさまルベライトのスカートの裾を掴んで上に持ち上げた。驚いて一歩下がるルベライトに笑いながら「すごいねえ、俺も君の声を聞くまで分からなかったよ」……とかなんとか。

「それで、随分気にかけていたエネはどうしたのですか」
「回復し次第、先輩たちが連れてきてくれるよ。その頃には、アヤくんたちも起きてくるだろう」

そう言った彼の片手には、ひとつのボールが握られていた。傷一つない、きれいなそれには見覚えがない。きっと何を聞いても教えてはくれないだろう。そう思い、そっと視線を外してから立ち上がる。

「ねえ、イオナくん」
「……はい」

急に呼ばれ、すでに部屋から出ていこうと扉へ向けていた足を止める。彼が、私を呼び止めるなんて珍しい。
「どうしてアヤくんたちまで巻き込んだのか。さっき君は、そう尋ねてきたね」
「ええ」
「あえて言えば、……そうだねえ。"最悪の事態に対応できる力を身につけさせるため"、かな」

やっと視線がこちらに向いたと思えば、ひどく楽しげな表情をしていた。あたかも子どもたちのためのように聞こえるが。……その本心は、分からない。ただ、確かに彼の言うとおり、今回の件で彼らが窮地に立たされたとき、それぞれどのような行動を取るのかはっきりわかったのは事実である。

「……本当に、貴方って人は食えない方ですね」
「お褒めの言葉、ありがとう」

そういってまた視線をボールへ戻す彼に、ふっと笑って背を向ける。同じ種族でさえ、こんなにも分かり合えないなんて。ふと可笑しく思って、口元にそっと手の甲を添えながら部屋を出た。





身体の節々が痛い。全身が痛く、だるい。そして究極的に眠かった。寝ても寝ても眠い。悪夢にうなされて目が覚めては、また寝るの繰り返しだった。……何度寝めなのかすら、もはや分からない。
そうしてやっと、ベッドから上半身だけ持ち上げたとき。時計の針は、2時を指していた。窓に目を向けると、まだ外は明るい。ということは、お昼の2時である。

「…………」

絆創膏が貼られている手のひらを、広げて眺める。
……デスカーンと戦ったあのとき。確かに、俺から電気が走った。一度目、チンピラどもとやり合ったときよりも確実で、強く激しい電流だった。あれは……、俺の、力なのか。トリップ特典というやつなのか。使いこなすことは、できるのか。
ぼんやり手のひらを眺めて続けていると、……扉が、開いた。

「アヤトっ!」

俺の顔を見るなり駆け出してきた祈が、大きくジャンプをしたかと思えばそのままベッドにダイブしてきた。腹のあたりにクリーンヒットし、思わず「ヴッッ!」と低い声が出る。ベッドのスプリングが跳ね、身体が揺れ。祈は俺の腹あたりでうずくまりながら腕を巻きつけてくる。

「アヤト、ごめんなさいっ、わたし、また、ぜんぜん、……力になれなくて、っ!」
「いいんだ、俺もごめんな。まさかあんなことになるとは思ってなくてさ。……また怖い思いさせちゃって、悪かったな」
「……う、ううん、」

くぐもった声が聞こえ、また目下で小さく頭を左右に振る祈。そっと頭に片手を乗せて撫でると、一度埋めていた顔をあげたものの、またすぐ俺の腹のあたりに顔を埋めた。……妹とかいたら、こんな感じなんだろうか。幸せかよ。でも聞いたことがある。妹という存在は、大人になるにつれ兄をぞんざいに扱うようになるのだと。やっぱり、女って怖え。

「……っひ!?」

ふと。視線を感じて扉の方を見た瞬間、思わず情けない声が出てしまう。なぜならそう、あの詩が、腕を組んで仁王立ちのポーズをキメていたからだ。完全に油断して、すでに祈に触れてしまっている今。詩が俺に、噛みついてこないわけがない。それに加えて、俺はそう、状況があれだったとしても、……詩本人にも触ってしまっている。詩が鳥アタマで3歩歩けば忘れてくれる脳みそだったらよかったものの、まさかそんなことあるもんか。

「……なによ。そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「っえ、そ、そうだよな。悪ぃ悪ぃ」

空謝りをしている間にも、こっそり祈から手を離し。……いや、そもそも祈が俺にくっついている時点でアウトだ。終わった。
詩が扉から離れ、俺と祈がいるベッドまで歩いてくる。一体なにを言われるのか。なにをされるのか。色々考えても俺にできることはなく、とりあえず両腕だけ自由にしておいて受け身だけはとれるようにしておく。
コツ、コツ。
靴の音が止まり、恐る恐る視線を持ち上げる。……やっぱ胸でけえ。一瞬ゆるみかけた顔を必死に引き締め……られず。

「っっごめん詩!悪かった!俺が悪かったから、今回だけは見逃してくれっ!」

空気に耐えられず、祈に覆いかぶさるようになるのも気にかける間もなく勢いよく頭を下げた。女に口では勝てないなんてことはとうの昔から分かりきっている。なら女の怒りを鎮めるには。……男はひたすら、謝るしかない。ぺこぺこ頭を下げていると、不意に詩がベッドの端に座った。そんな何気ない行動にもびくびくする俺。

「……あのお、……詩さん?」

ちらり。何も言わず、また何もしてこない詩を盗み見れば、ばっちり視線があってしまった。逸らすに逸らせず、目を細め。ふと、詩から視線をゆっくり外して座ったまま腕を組んだ。それから口元をもごもごさせて口を開く。

「あの時のこと、言ってるんでしょ。……あれは、いいの。……わたしが、あれだし」
「……あっ、……そう、だよな、ははは、……」

……なんなんだ、この雰囲気は……。祈が起き上がり俺から離れて、視線をそらしたままの詩の隣にちょこんと座る。詩の様子を伺って、俺の方へ顔を向けると小首を傾げた。いや、俺も首を傾げたいから。
というかいつまでここにいるんだ。起きてからだんだんと空腹に襲われてきた。今にもお腹が鳴りそうだ。ひっそり片手を腹に添えたとき、詩がやっと顔をあげて俺をみる。思わずヘビに睨まれたカエルのように固まってしまったのは内緒だ。

「アヤト」
「な、なんだよ」
「──……あ、……あのときは、その、……っありがとう、」
「…………あのとき?」
「っだからあ!祈とエネが捕まってたときのことっ!……しょ、正直、ちょっと、安心、……しちゃったし。あんたのおかげで動けた、……というか、……」

終始声をすごく小さくしながら頬を赤くして言う詩に、俺は超絶驚きすぎて口がぽかんと開きっぱなしである。……てっきりめちゃくちゃ怒られるものだとばかり思っていたのに、逆に感謝されるなんて思ってもみなかったからだ。というかなんだ、今目の前にいる詩は。随分と女の子らしくなっていて、まるでこんなの詩じゃない。誰だお前はといいたいぐらいな……。

「……もしかして詩、」
「な、なによ」
「俺に惚れたか?なあ、そうだろう?わかる、だって俺超かっこいいし」
「……バッカじゃないの?自惚れるんじゃないわよ。わたしはねえ、感謝しているだけなの。あんたみたいなクソガキに惚れるなんてありえないし、そもそもあんた、わたしの中では"中の下"よっ!」
「っひでえっいててて、!わ、わかった!わかったってば!」

思い切り頬をつねられた。痛いけど、これでこそ詩って感じだ。指を離すと勢いよく立ち上がり、ついでに祈の手を握って部屋を出ていく詩を見る。

「詩!」

つねられて熱くなった頬を片手で擦りながら名前を呼ぶと立ち止まり、ドアノブに手をかけたまま振り返る。キッ!と俺を睨む顔には、苦笑いしかできない。

「なによ」
「あのさ、俺もお前にすっげー感謝してるんだ!お前がいなかったら、正直俺もダメだったと思う」
「……そ、そう」
「しっかしお前、マジで強いんだな。可愛い上に強いって、最高じゃん」

瞬間、詩が目を大きく見開いて俺を見る。おや、てっきり褒めなれているもんだと思って素直に言ったが、反応をみる限りそうじゃなさそうだ。

「……、わたしが可愛いなんて、当たり前だわ」
「はは、だよな。とにかくありがとな、詩」

今度こそ背を向けて、祈と一緒に部屋を出て行った。
……そこで俺は思った。詩のあれ、ツンデレってやつなのでは?マジで俺のこと好きになっちゃった系じゃない?フラグ立ってない?やっべー、モテる男は辛えわー!
……ってなことを、後から部屋に入って来たロロに話したら。

「あはは。随分とおめでたい頭をしているもんだ」

って、鼻で笑われた。一気に急降下するテンション。あーあ。ロロなんかに話すんじゃなかった。




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