15

煌びやかなネオン街を子ども4人がまとまって歩く姿は、きっと社会科見学をしているように見えているだろう。キャッチャーであろうチャラい男ですら、本来の仕事を忘れて通り過ぎる俺たちを面白そうに眺めていた。
エネを先頭にしても、所詮エネも見た目は子どもだ。どう足掻いても場違いすぎて、色んな気持ちから俺はすでに帰りたいと思っている。が、もちろんそれはやるべきことが終わらなければ帰れない。なるべく顔は見られないように肩をすぼめて俯きがちに歩いているのは、……俺だけらしい。エネは当たり前だが、祈は夜の街に興味津々でずっと周りを楽し気に見回しているし、詩に至ってはエネ並みに我が物顔で堂々と歩いている始末。

「やっぱりネオン街も地方によって、若干違うのね」
「詩ちゃん、こういうところ慣れてるのお?」
「お父様と少しばかりご飯を食べに行っただけよ。沢山美しい女の人がいたけれど、まあ、お母様の足元にも及ばなかったわね」
「おいそれ飯食いに行く場所完全に間違ってんだろ……」
「お父様と一緒に食べられるなら場所なんてどこだって構わないわよ」
「……お前やっぱ頭おかしいわ」

詩の狂いようを再確認したところで店に着く。エネが斜め手前で立ち止まり、ふと上を見上げる。釣られて見てみると、以前来た時と変わらずド派手な看板が夜の街を照らしていた。そうしてまた視線をエネに戻してから不安げな横顔を見て隣まで行く。

「本当に自分で言えるのか?」
「……うん。だって、やっぱりこれは、ぼく自身のことだから」
「だいじょうぶだよエネ。わたしもウタも、アヤトもいるから!」
「……ありがとう」

そういって祈に向かって笑って見せるとエネが歩き出す。表……ではなく、裏口から入るようだ。店と店の間、細い道をゆっくり歩いた。そうすれば寂れた扉が出てきた。エネがドアノブを回す。ギイ、と錆びが生じているような音がした。一歩、部屋の中に入ったエネがぴたりと止まる。するとその後ろに居た詩が祈に覆いかぶさるように抱きしめると、一番後ろにいた俺を押し退けて扉からかけ離れた。祈には見せたくないようなことが中で起こっているのだろう、怖さと好奇心半々でエネの肩に両手を添えて中を覗くと。

「……はあ、……はあ……」

日に焼けた毛むくじゃらな巨体の両脇に細く白い脚が見え、男の動きに合わせて脚も力なく揺れている。……つまり、絶賛お楽しみ中というところだ。部屋は暗く、この角度からでは中にいる二人の顔はまったく見えない。なんというタイミングで来てしまったのか。視線を下げて、エネの様子を伺うがどうやら引くという選択肢はないようだ。

「お父さん、ぼく、話があるんだ」
「……ああ、エネ。やっと戻ってきたんだね。待っていたよ、さあおいで。今日も沢山可愛がってあげよう」
「──……お父さん、……ぼく、……」

言葉に詰まるエネの肩に乗せていた手に力を込める。エネが軽く振り返り、俺の顔を見る。無言で頷いてみせると、口元をキュッと引き締め顔を前に向けるエネ。

「ぼくは、もうお父さんには抱かれたくない」

ぎしり。ベッドが最後の鳴き声を上げた。それから一度動きを止めていた男が暗闇の中で上体を起こしてゆっくりとこちらに視線を向ける。男の両脇に見えていた白い脚が力なくベッドに沈む。

「……エネ。突然どうしたんだい?昨日だってあんなに気持ちよさそうにしていたのに」
「それはっ!……そうしないと、お父さんがもっと痛いことをするから、……」
「言っただろう、エネ。痛いことをするのは、お父さんがエネを愛しているからだって、」
「はあ?アホか。なんでそれが愛につながるんだよ。そんなん愛でもなんでもねーだろ」
「アヤト……!」

エネが慌てて振り返って俺の口を塞ぐが、時すでに遅し。ばっちり聞こえていたようで、男はベッドから降りるとようやく仄明るい照明の下まで歩いてきた。ゆっくりとした歩き方は、さながら大きく太ったゴブリンのようだ。まさにこの部屋は魔の巣窟。

顔がぼんやりと見えてきた。そこでふと、どこかで見たことのある顔だと思って目を細める。どこだ、どこかで見た顔だ……。記憶を辿って思い出す。この顔、……確か、……鏡越しで……?

「──……ゲーセンの、トイレだ、……」

瞬間、ぞわりと鳥肌が立つ。
そうだ、このおっさんは鏡越しに見た。エネの声がしたあとに、手も洗わずに出て行ったあの時の。てっきり特殊な性癖を持っている客の相手をしているのかと思っていたら、まさかあの時の相手も親父だったなんて。

「エネ、その子たちは?」
「……、」
「俺はエネの友達です。エネが父親からひどいことをされていると聞いたんで、文句言いに来ました」

俺の後ろ、いつのまにか詩と祈が戻ってきていた。祈は狭い隙間から中に入って、エネの片腕を抱きしめている。黒い四つの小さい影が伸びる先、立っていた男が「へえ」と面白そうに声をあげる。

「"友達"、いつの間に。なんだって、あの男の匂いがすると?そこの子たちから?……ああ、そうか、やはり"あの夜も"いつも通りエネを抱いていればよかったんだ。あんなつまらない女、やはりエネが一番だ。……ああ、そうだね、君の言う通りだった。どうやら私は、まんまと騙されてしまったようだ」
「……だれと、話しているの?」

祈が首を傾げる。俺も分からない。ただ男は、俺たちではない誰かと話をしている。あの暗闇にまだ誰かいるのか。姿が見えないだけに不気味だ。
そんな中、ふと、服の裾を軽く引っ張られて首だけ振り返ると詩の顔が間近にあった。咄嗟に顔を元に戻すが、飛び跳ねた心臓の音は相変わらずうるさい。耳元、詩が小声で俺の名前を呼んだ。……声が震えている。

「どうしたんだよ」
「エネを連れて、早く逃げるわよ」
「なにそんなにビビってんだよ。ヤバそうなことぐらい見りゃ分か、」
「聞いて。……いい?これから教えるけれど。……ぜったい、声をあげないで。普通にしていて」

声だけじゃない。俺の服を握りしめている手も震えている。また少しだけ顔を横に向けて見ると、詩の顔は真っ青だった。あの詩がこんなになっているなんて。一度大きく唾を飲んで、詩の言葉通りに視線を動かしていく。

男の右手を見て。
紐が握られている。紐というより、あの太さだと縄だろうか。手の甲に二回巻かれている。
縄を見て。
暗い天井に向かってピンと張ったまま伸びている。その縄の奧、同じ縄が今度は天井から真下に力強く伸びていて。
その下を、ぶら下がっているものを、見て。
縄の先──……その先には、。

「──……ッッ!!」

急激に中から迫り上げてきた空気と吐き気と汁気とその他諸々を、全身の力と食いしばった歯で何とか喉元で食い止める。が、咄嗟に片手で口元を押さえて、もう片方の手で俺の服の裾を握りしめたままの詩の手を思い切り握りしめ。

「おっ、おいおい嘘だろッ!?人形、じゃ、ないのか……!?」
「……最初、男と一緒にベッドにいた人、だと思う。もしかしたら、わたしたちが来る前から、死体と、……」

言い淀んで俺と同じく片手で口元を押さえる詩。
少しだけ、さっきまで白い脚が沈んでいたベッドを見るが……やはり、ない。代わりに真上から、長い脚がぶら下がっている。

……冗談じゃない。これは本気でやばいヤツだ。一歩、静かに後ろに下がり、退路を見る。流石は詩、こんな状況でも扉が完全に閉まらないよう小石を挟んで置いている。相手は中年のおっさんひとり、こちらはポケモン3体に俺。……逃げ切れる。とっとと逃げて、ジュンサーさんにどうにかしてもらわないと。

「ああ、エネ。やはり私を楽しませてくれるのはエネしかいない。……でもそうだ、エネがお友達を沢山連れてきてくれたんだ。うんそうだね、もしかするとエネよりもっといい子がいるかもしれない。いやはや、やはりポケモンの方が強く絞めても平気なんだよね。大丈夫、今度は首の骨を折らないように気を付けよう。はは、私は美味しいものを後にとっておく人間なんだ。だから男の子は最後に、」

詩と一緒に、エネと祈の腕を掴んで後ろに引いた。詩が思い切り扉を蹴とばし、出口が大きく開く。身体を翻し、しかし顔だけ後ろに向けて。驚きで目を見開くエネと祈の背後を見る。

一歩、力強く踏み出し。
二歩、つま先が扉の縁を踏み。

「……最初は、茶色の子にしようかな」

──……瞬間。
背後から半透明な真っ黒い手がたくさん伸びてきて、そのまま俺たちの目の前全てを覆いつくす。
地面を踏みしめていた足が後ろに跳ね返り、気付いたときには真っ暗な部屋の中、背中からべったり寝そべっていた。一体何が起こったのか。訳が分からず、しかし咄嗟に思い出して飛んで起き上がる。直後、祈の声が部屋に響く。

「んんーっ!!」
「祈っ!?」

黒い手が祈を宙で握り掴んでいる。祈の口元は白い布が幾重にも巻かれていて、だから言葉が出せないのだろう。黒い手が伸びる先、赤い目が光っている。金色に輝く棺桶が動くたびにずるずると鈍い音がしていた。
……デスカーン。ゴーストタイプ。唇を噛む。背後、エネを守るように仁王立ちしている詩の舌打ちが聞こえた。

「……ほら、今晩は素敵な夜になりそうだ」




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