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考えはなくともいいと思った。だって俺はエネの親父に言ってやるだけだもん。それに加えてエネの母親ことオーナーの女にも軽く噛みつけたらもう他に言うことはない。俺が言ったことが原因でエネが追い出されるようなら仲間に入れて、そもそも向こうが改心すればこれでエネも幸せに暮らせるというものだ。

「そんな簡単にいくとは思えないのだけれど」
「俺も思ってねーよ。でもどちらにせよ今よりはよくなるはず。だろ?」
「……まあ、そうね」

詩が頬杖をつきながら俺を見る。その傍らでは、祈とエネが仲良く並んで眠りこけていた。お昼寝タイムといったところか、ここだけ保育園になっている。そんなほのぼのとした雰囲気とは打って変わって、詩の表情は険しい。なぜかって、そりゃ俺がエネの知っている現時点の情報を詩にも教えてやったからだ。どうやっても下の話になるから話す俺としても何となく声が上擦ってしまったが詩は表情を全く変えることはなかった。……一応、そちらの知識もすでにあるようだ。

「ねえ、エネの首元の跡って、人間の指の跡よね……?」
「ああ。それと詩は見てないかも知れないけど身体中すっごいキスマークだらけだぜ。正直めちゃくちゃ引くレベル」
「あれを、本当にエネのお父様が?……ありえない、わ」
「それがありえちゃうからこうなってんだろ。どこんちもお前んちみたいに幸せな家庭じゃないってことだよ」
「……信じられない。だって、こんなことって、……」

両腕で自分を抱きめながら上下にさする詩。心音さんが言っていたとおり、こいつは本当に親離れができないお嬢様だったらしい。他人に勉強を教えられるぐらい頭が良くて一般的な知識はあるくせに、いかんせん世間を知らなさすぎる。下手すると世の中の薄暗い部分をリヒトより知らないかもしれない。
そういやこっちの世界のテレビはニュース番組はあるものの暗い話題が極端に少ないなと思ったことがあった。単純に犯罪が少ないのなら問題ないが、当たり前になりすぎてニュースにすらならないものが多いんじゃないかと思い始めている。こちらの世界の闇もどこまで深くなれば気が済むのか。

「子どもは親を選べないからな。仕方ねえよ」
「でもエネは本当の子ではないわ。ならば選ぶ権利だってあるはずよ」
「うわ、はっきり言っちゃうなあ……」
「は?何がよ」

少なくともエネは育ての親である女と男を家族だと思っているだろう。そうでなければ、こんなにされてもなお一緒に居続けられるわけがない。本当の子どもじゃあないが、きっとエネは自分を"子ども"だと思っている。……詩の遠慮のなさがここまで発揮されるとは。エネが寝ていて本当によかった。

「ま、何はともあれアヤト、あんたが言い出したんだからあんたがちゃんと仕切りなさいよ」
「言われなくてもやってやるよ」

早速今夜、エネがまた働きに戻るのと一緒に行き対面を試みることになった。エネのことは俺が引き受けたことだし、また乗ってきたのは詩たちだ。ロロたちの力を借りたくない俺と、迷惑をかけたくないという詩の意見が初めて一致して、今回の件はロロとイオナには内緒ということになっている。
まさに子ども対大人の戦いだ。俺の反抗心が燃え盛る。

夜まではまだ時間があるし、まだエネと祈は気持ちよさそうにスヤスヤと眠っている。二人を詩に任せておいて、俺は一旦部屋を出た。……直後、どこからともなく現れたロロに声をかけられ思わず飛び上がる。

「何そんなに驚いているのさ」
「べ、べつに。お前こそなんだよ。何か用でもあるのか?」

聞けば、意味ありげにニコニコと笑みを浮かべて俺を見る。気持ちが悪いから距離を開けて先に歩くが、ロロの無駄に長い足にすぐに追いつかれてしまう。

「アヤくん、俺さ、前にエネくんが働いてた店にいたっていう話したの覚えてる?」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたっけ」
「俺もね、エネくんと一緒で、昔は身体売って食いつないだり居場所を確保していたわけよ」
「……はっ?え、お、おいっ!?いきなり爆弾発言すんなよっ!?」

危うく舌を噛みそうになるぐらいぶっ飛んだ。足を止めて、ロロの方に身体をむけると「お、いいリアクションだねー」とか暢気にケラケラ笑ってやがる。それを見てから慌てて廊下を見回してしまった。多分ロロも誰もいないことを知っていて俺に言ってきたんだろうが、いや周りの気配を察知できる能力なんてない俺は一人また大慌てしてしまった。

「……、いつの話だよ」
「研究所へ送られた話は知ってるでしょう?改造実験のあと、自力で抜け出してからの話。俺も元から人間の元でぬくぬくと育ってたから野生に戻るなんてことできなくてね。当てもなく彷徨っていたら、"ここで働かないか"って誘われて、文字通り身体に教え込まれたってわけ。ほら、俺、顔だけはいいらしいじゃん?」
「それ自分で言っちゃう?」

ワザとらしく顎に手を当てて格好つけるロロを睨む。シリアスもクソもない。まあ俺にとってはこういう雰囲気のほうがいいんだけど。「その時はまだ擬人化の知識が広まってない頃でさあ、ポケモンであることを隠すの大変だったよー」、一人話を続けるロロのとなり、ふと気づく。ロロもエネと一緒ということは、つまり、

「ま、まさかロロもやっぱり男が好き……」
「あはは残念でしたー。俺は今も昔も女の子相手だけだよ」
「えっ、つ、つまり……?」
「はっきり言おう。俺に人間の女の身体を教えたのは、今の店のオーナー。つまり、エネくんが"おかあさん"と言っている人だ」
「うーーーん!?」

なんだこの昼ドラみたいな展開は。ていうか本当にロロはいったい何歳なんだ。分からん、分からんぞ……。
そうこうしているうちに大広間に戻ってきていた。扉を開けるとイオナがソファに座って読書を楽しんでいた。トルマリンの姿はない。仕事に戻ったんだろうか。イオナは一瞬視線をこちらに向けただけで、そのまま部屋を通り抜ける俺たちに一言もなかった。

「これは俺の予想なんだけど」

俺の部屋となった場所に入るなり、椅子に座ったロロが話を続ける。俺はバッグからペットボトルを取り出して一口飲んだ。もちろん中身はおいしい水。

「エネくん、ちゃんとご飯をもらってないんじゃないかな」
「そりゃ確かにアイツめちゃくちゃ細いけど、夜に稼ぎまくってんじゃん。金さえあれば飯だって自分で買えるだろ?」
「"買う"ということ自体知らない可能性が高い。アヤくんは忘れているようだけど、エネくんポケモンだからね?買い方だって何だって、お金というものが何なのかすら人間に教えてもらわなければ分からないよ」
「じゃ、じゃあなんだ。エネは何も分からないままあんなところで働いてるっていうのか?」
「さあ、どうだろうね。そもそもエネくん、お金持ってた?」

ロロに聞かれて、思い出す。確かにエネはお金を一銭ももっていなかった。というか持ち物が一つも無い。
ならば、エネが身体を犠牲にしてまで稼いでいる金はどこにあるのか。エネの話を聞く限りだと、行先は一つしかない。

「……嘘だろ」
「教えてあげるよ。あの女は昔、俺が稼いだ金で遊び呆けた上に、ある時金を持って姿を消したんだ。昔から金の亡者なんだ。金を手に入れるためならなんだってするだろう」

ロロの言い方にはあからさまに棘がある。顔にはあまり出していないが、ピリピリした雰囲気がうっすらと感じられた。

「俺は助けてもらった身だったし感謝していた……いや、もしかすると彼女に恋もしていたのかもしれない。でもあとから色々な事実を知ってこのザマだ。……あ、笑っていいよ?」
「いやさすがに笑えねえわ……」

ヘラヘラしているロロに思わず脱力する。が、今だからこそ笑って語れるのだと思うと流石に可哀想に思ってしまった。
そういえばいつだったか、ロロは"金も宝石も大嫌いだ"と言っていた。今になってその理由がやっとわかった気がする。ロロを大きく二度苦しめた人物がどちらも金の魅力に囚われていたのだから、そりゃ嫌いになる気持ちも分からなくはない。

「だからさ、エネくんも金儲けのために利用されているだけなんじゃないかなって思って心配なんだよ」
「…………」
「俺には何もできないけど……アヤくんなら、できるんじゃないかなってちょっと期待してるんだよね」

期待。ロロからまさかそんな言葉が出てくるなんて思っても見ず、咄嗟に顔を上げるとフフッと笑って立ち上がる。今の笑いにどんな意味があったのかは分からないが、今の言葉、悪い気はしない。

「さて、俺の昔話はこれでおしまい。まあ、期待しているとは言ったけど何をしろとかいうことじゃないから気にしないでよ」
「わかってるよ」
「それじゃあ俺はこの辺で。邪魔だった?」
「超邪魔だった」
「なら良かった。アヤくんが嫌がることができて大満足だ」

じゃあね。片手をあげて部屋を出ていくロロの背を睨んだ。本当に性格の悪いやつだ。しかしまあ、ロロは俺たちが今夜何を起こすのかまだ知らない。これは好都合だ。ロロからほんの少しの期待を得ている今、まさに今こそロロを見返すチャンスなのでは。それに加えて、今の話を聞いてエネをどうにかしてやりたいという気持ちが強くなった。

やる気に満ち溢れたまま机に向かって、ペンを握った。決戦は、今夜である。
……そんな俺がすでにロロの手のひらの上で踊らされているだなんて、一体誰が気付くというのだろうか。




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