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「お姉様、美玖さんとデート中なのですね?」
「え、えーっと、これには深い訳があって、」
「……お姉様、ちょっと」

チハルちゃんに引き寄せられ、みんなから少しばかり距離が開く。
美玖さんが大好きなチハルちゃんから、私は一体何を言われるのか。恐ろしくてビクビクしていると、なぜかそっと両手を優しく包まれた。驚き顔をあげると、彼女は柔らかな笑みを浮かべている。

「ひよりお姉様ならきっと美玖さんを幸せにしてくださいますね。ちーはお姉様のこと応援いたします」
「え、えっと……?チハルちゃん、美玖さんのこと好きなんじゃ、……」

チハルちゃんが私の言葉に少しだけ困ったような笑みを浮かべ、目を伏せる。それから静かに首を左右に振ってから、そっと口を開いた。

「お姉様の言うとおり、ちーは美玖さんが大好きでした。でも、ちーにも分かったのです。きっとちーがいくら綺麗になっても、美玖さんにとってちーはいつまでも子どもなのです。……"初恋は実らない"とその言葉通りになってしまいました」
「チハルちゃん……」
「でもお姉様!ちーは今、とっても幸せなんですよ!」

そう言うと、チハルちゃんが右耳についている大きなお花のモチーフが垂れ下がっているイヤリングにそっと手を添えた。大切そうに愛おしそうに触れている。

「それ、もしかしてヒビキくんから?」
「そうですう!もう片方はバトルのときに壊れてしまって、今はネックレスになっているんです。ヒビキくん、"女の子っぽいから恥ずかしいよ!"って言いながらも服の中に隠して付けてくれているんですよ」

頬を赤く染めながら楽しげに話すチハルちゃんは、今も昔も恋する女の子だ。

「美玖さんのおかげで恋を知り、ヒビキくんを愛することができました。……ちーは、とっても幸せです」
「……そっかあ」

チハルちゃんが幸せそうで良かった。可愛らしい姿も見れたところで、美玖さんに声をかけられた。どうやら次の場所へ行くようだ。返事を返してから少しだけ背伸びをしてチハルちゃんの頭を撫で、手を降ろすと同時に両手でしっかり握られる。

「チハルちゃん?」
「──ひよりお姉様は、一体どなたを愛していらっしゃるんでしょうね?」
「…………、」
「ふふん、女ですもの。分かって当然です!ちーを見くびってもらっては困りますよお?」

得意げに笑みを浮かべるチハルちゃんを見ては、困りながら曖昧に笑みを浮かべるしかできない。……ま、参ったなあ。どこまで気づかれているんだろう、と少しドキドキしてしまった。
そうこうしているうちに、ニコくんと陽乃乃くんもやってくる。

「ちー、姉ちゃんと何やってたんだよ?デートの邪魔かあ?」
「ちーがそんなことするわけないでしょう。本当にニコって分からず屋」
「へーへー、そうかよ。ちーの小言を聞く前にとっとと逃げよー」
「あ、ニコくん、ちょっと待って」

逃げられる前に私がニコくんを捕まえて、手で"しゃがんで"とジェスチャーすると、素直に腰を曲げる彼。それから頭をそっと撫でると、光の早さで退いた。頭を抱えるようにしながら私を見るその目は、驚きで満ちている。

「お、おれ、もう子どもじゃないんだけど……?」
「知ってるよ?顔面に雪玉を当てられない代わり」
「!、……へへっ、ひより姉ちゃん、約束覚えててくれたんだな。でもこんなのじゃ代わりになんねーよ!」

そう言うと、ニコくんが目の前でぐわっ!と両腕を持ち上げたと思えばすぐさま下げて私の背中と膝裏に腕を添える。突然のことに驚いて固まりながら、すぐ上にあるニコくんの顔を見つめると。鋭く尖った八重歯を見せながら、悪戯な笑みを浮かべている。……嫌な予感がする。

「あーあ。ひより姉ちゃんの顔面に思い切り雪玉ぶん投げたかったのになあ。残念だなあ」
「そうだねえ、残念だねえ。それよりもニコくんはとってもいい子だから、このまま私を降ろしてくれるよねえ?」
「──……それは一回、姉ちゃんのことぶん投げてからだ、なっ!」

なっ!、の言葉と同時に私の身体が宙に浮く。一気に天井が間近になったと思えば、今度は急降下。床すれすれでニコくんに受け止められたものの、叫ぶ間も無く、文字通りぶん投げられた私は恐怖と驚きで声すら出ない。

「あっはは!ひより姉ちゃんのその顔が見たかったんだよなー!」
「こらニコ!お姉様に何やってんのよ!?」
「いやあ、満足満足!」

チハルちゃんに胸倉を掴まれてもなお、高らかな笑いを響かせているニコくんを茫然と眺めてはのろのろと立ち上がる。……大きな子どもの悪戯、怖い。怖すぎる。気遣って声をかけてくれた陽乃乃くんに頷きつつも、さりげなくウツギ博士と美玖さんの後ろにそっと隠れる。もうニコくんになんて近寄るものか……。

「ひより、そろそろ行こうか」
「……はい」

ニコくんを睨みながら美玖さんに返事をする。もちろん向こうも気付いていて、美玖さんの後ろに隠れたままの私に向かって左側からひょっこり顔だけ覗かせた。……私とニコくんに挟まれている美玖さんは、変わらずウツギ博士と話を続けている。

「姉ちゃん、ごめんってば」
「……」
「なあ、何でもするから許してくれよお……」
「何でも?言ったね?」
「お、おう……」

やっと美玖さんの後ろから出てニコくんの前に行く。あえて口元をニヤつかせていると、ニコくんは緊張の面持ちで私を見ていた。そんなニコくんにお願いすることは、ひとつしかない。私は……そう。どうしても見てみたかった。

「ポケモンの姿に戻ってほしいな。あと追加で抱きしめさせて!」
「……へ?そんなことでいいの?」

驚くように瞬きを繰り返すニコくんに頷くと、チハルちゃんもやってきては私の手を握る。

「えっ!お姉様に触って頂けるなら、ちーも元の姿に戻りますう!」
「え、!じゃ、じゃあ僕も!」
「本当!?やったー!」

直後。目の前の三匹の姿に感動する。バクフーン、オーダイル、メガニウム。ジョウト地方、御三家が勢ぞろいだ。
一度触れることを躊躇った手をゆっくり伸ばすと、片手にバクフーンが擦り寄った。次いでオーダイルも鼻先を私の手のひらに押し付けて、二匹の間に割って入るメガニウムに頬をぺろりと舐められる。

「──……みんな、大きくなったねえ」

両腕を思いっきり伸ばしても全然収まらない。出会った頃はウツギ博士に三人一緒に抱えられていたのに。

「……あっという間に追い越されちゃったね」

嬉しいような、寂しいような。呟くように言うと、メガニウムがそっと寄り添う。

『でもお姉様、ちーたちがどれだけ大人になっても、お姉様はいつまでもちーたちのひよりお姉様ですよ』
『そうだな。ひより姉ちゃんがしわしわの婆ちゃんになっても"姉ちゃん"って呼んでやるよ』
「……ふふ、ありがとう」

きっと来ることはない、楽しい遠い未来を思い描いては、また三人まとめて抱きしめる。……もう、触れることもできないだろうから。みんなの頭をそっと撫でては静かに目を伏せた。





研究所を後にして、今度はヨシノシティに来ていた。
二年ほど経った今でも、この町は以前とあまり変わりは無い。秋風を感じながら道行く人と通り過ぎる。ほんの少し冷えている空気は、どこかすっきりしていて気持ちがいい。

「はい、熱いから気を付けて」
「ありがとうございます」

スリーブの部分を持ちながらカップを受け取る。プラスチック製の容器に断熱の厚紙が巻かれたカップは、まるで某カフェのものにそっくりだった。小さな飲み口の部分からは仄かにコーヒーの良い香りがする。

「美玖さん、少しだけ思い出話をしてもいいですか」
「いいけど、突然どうしたの?」
「……へへ、なんとなく、です」

私の言葉に、面白そうに笑いながら頷いては隣に座る美玖さんを見る。それからそっと、手元のカップに視線を向けた。

「思えば、ジョウト地方に来てから一番最初に私が会ったのは美玖さんなんですよね。私の命の恩人ですし!」
「ま、まだそんなことを言う……。たまたまオレがひよりを見つけただけなんだけどなあ」

美玖さんが苦笑いを浮かべながらカップに口を付ける。
……美玖さんはそういうけれど、でもやっぱり、私にとっては特別なことに変わりはない。
拾ってもらって、一緒に暮らして……。思えばあの頃は、向こうの世界とあまり変わらない普通の生活をしていた気がする。でも、今はあの何気ない日々ですらとても愛おしい。

「そういえばサーカスをやっていたのって、あそこでしたよね」
「そうだな。懐かしいなあ……」

しみじみと言いながら、美玖さんがベンチの背にゆっくり寄り掛かる。

「ココちゃんと会ってからは、色んなことがありましたねえ」
「あったなあ。心音さんと戦ったり、グレアと戦ったり……」
「あはは、戦ってばかりですね」
「そうだね」

はっはっは。なんて、今だから笑えることだ。殿に叩かれたのも、今ではいい思い出だ。すごく痛かったけど。

「色々あったけど、またこうしてひよりと一緒にいられて嬉しいよ」
「……私もですよ。……あの、今更なんですけど、今までずっと美玖さんに頼ってばかりでしたよね。沢山迷惑もかけちゃいました」
「はは、本当に今更だね」

美玖さんが姿勢を元に戻して、カップの上部分を掴むように持ちながら前屈みになる。私は甘めのコーヒーがまだ入っているカップを両手で包み込みながら、通りすぎる人を眺めていた。

「でも、オレは頼られたほうが嬉しいからさ。迷惑でもなんでも、これからも沢山かければいいさ」
「えー、美玖さんって本当にお兄ちゃんみたいだから、そんなこと言われたら余計甘えたくなっちゃうじゃないですかあ……」
「甘えてもいいんだよ」

穏やかな口調の美玖さんに思わずふふ、と笑みが零れる。お世辞でもなんでもなく、本当にそう思ってくれている言葉が痛いほどに突き刺さる。嬉しい、つらい。
彼の言葉とおり、甘えて本当のことを話したらどんな顔をするだろうか。……少しだけ考えて、やめた。
それからベンチから立ち上がり、片手を差し出すと美玖さんが握り返す。

「さ、次はどこに連れて行ってくれるんですか?美玖"お兄ちゃん"?」

少しだけ引っ張ると、美玖さんは立ちながら驚いたように目を丸くさせていた。引っ張ったことに驚いているのではなくて、私の言葉に驚いている。

「……な、なんかそれ、……恥ずかしいよ……」

目を泳がせてから、とうとう耐え切れずに片手で顔を隠すように覆っては背を向ける。それを追いかけ、わざと覗きこむよう見ると赤い顔がちらりと見えた。
思えば、美玖さんは誰からも"兄さん"と呼ばれていることはなかった。陽乃乃くんたちだって"さん"付けだったから、余計に今、気恥ずかしく感じているのかもしれない。

「美玖お兄ちゃん?」
「…………」
「美玖お兄ちゃんー、早く行きましょうよー」
「……ひよりの意地悪……」

ぼそっと呟いた言葉を聞いては、面白くて笑ってしまった。
そうして耳まで赤くする美玖さんの手を、導くように引いては歩きだす。……夕暮れまではまだ遠い。



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