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「ひより、少しいいか」
宴もお開きになり、テーブルから皆が散らばったあたりだろうか。椅子から立ち上がる私をグレちゃんが引きとめた。
少し迷ったが、大人しく再び椅子に座りなおして椅子ごと体を傾ける。……あれから吹っ切れて馬鹿みたいにはしゃぎながら旅の話に乗っていた名残なのか、うきうきと何の話をされるのかと暢気に思っていた私に、鋭い言葉が突き刺さる。
「さっきの、……本当に、嬉しくて泣いていたのか?」
「……、……」
ここにきて追及されてしまうのか。思わず石のように固まり、目の前の彼から視線を外すことが出来ない。思わず息もつまる。
そんな私に気付いているのかいないのか、グレちゃんが「別に責めているわけじゃない」なんて慌てて言葉を繋いで気遣う素振りを見せた。
「ただ、何と言うか、……様子が少しおかしいと思ってな。……いや、俺の気のせいかも知れないんだが……」
「グレ、ちゃん……」
「あの場では流れで決定してしまったが、……お前が旅をしたくなければそれでも、」
「っ私は!」
勢いよくグレちゃんの片手を両手で握りしめると、驚いたように青い瞳が丸くなる。それに思わず「しまった」と青ざめるも、もう遅い。
掴んだ手を離そうとすると、今度は逆に捕まえられてしまう。握りしめられた手に怯えるように顔をあげると、真っ直ぐな視線が私にぶつかる。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。……シャワーの音や、扉を一枚挟んだ向こうから楽しげな声が聞こえる。
握りしめられた手の中で拳を握っていた。
また、言葉にできない。言わないといけないのに、どうしても、……いや、グレちゃんには尚更言えない。でも、言わなくちゃ、
「ひより」
不意に呼ばれた名前にハッとしたときには、手はもう離れていた。グレちゃんが椅子から立ち上がり、私の頭に手を乗せたと思えばそっと撫でて通り過ぎてゆく。
それに慌てて振り返り立ち上がると、グレちゃんも足を止めて振り返っては驚きに立ち尽くしている私を可笑しそうに見ていた。
「グレちゃん、……あの、……聞かないの……?」
「ああ。お前が話してくれるまで待とうと思っていたが、それもやめた」
「ど、どうして……」
「ひよりが話したくない話なら俺は聞かない。無理に聞きたいとも思わないしな」
椅子の背もたれに添えていた手を胸元に持っていき、片方の手を隠すように覆いかぶせる。
「私とみんなに関わる大事な話だったとしても……グレちゃんは、聞かないでいてくれるの……?」
ゆっくり身体をこちら向けて、静かに私を見つめる。今の言葉の意味を考えているのか、それともただ単に間を空けているだけなのか。
緊張の面持ちで待っていると、小さく笑う声がした。眉を下げ、困ったように笑う表情に思わず目を見開く。
「ああ、聞かないでいよう。ひよりにも何か話せない理由があるんだろう?なら、仕方がない」
「…………」
「人のことは言えないが、お前は自分だけで何とかしようとする癖がある。それは悪いことではないが……そんなひよりを心配しているヤツはたくさんいるということだけは覚えておいてほしいな」
無言で頷くと、ふと、リビングへと繋がっている部屋のひとつ、扉がゆっくり開いた。視線を下げると、ロロが仰向けのままこちらを見ている。お腹のあたり、添えられている両手に何か扇状のものも見える。
「ねーねー、グレちゃんとひよりちゃんもトランプやらない?二人とも弱くってさー」
「ロロさんが強いんですよ!イカサマしているんじゃないですか……!?」
「やだなー美玖くん、そんな訳ないじゃん」
「こんなところまで殿にそっくりなんて、本当にロロさんにはうんざりです」
「そういうこと言われると……はい、4が四枚。美玖くん、同じカード持ってないでしょう?」
「はいはい、十六枚取ればいいんですね分かりましたよ」
「うわー、ロロえげつないー!」
ロロを睨むように見ながら山札からカードを取っている美玖さんの姿が見えた。その横、チョンは楽し気に笑いながらお菓子を頬張っていた。夕飯、あんなに食べていたのにまだ食べられるんだ……。
「あれでは美玖が可哀想だな。……仕方ない、俺も負け戦に参加するとしよう。ひよりはどうする?」
「……私は、……今日は遠慮しとこうかな」
「そうか」
そう言って再び歩みを進めるグレちゃんに、どうしようもない感情からその背を追いかけては手を取って握りしめていた。……肝心なことは言えないままなのに、どうしても引きとめたくなってしまう。
「……ごめん、グレちゃん。……ありがとう」
なんとか絞り出せた言葉を言うと、フ、と笑っては彼が言う。
「何がごめんで何がありがとうなんだか、さっぱり分からないんだが」
「……そこは突っ込まないでいいよ」
手を引きよせてから腕を伸ばして静かに抱きしめる。一瞬飛び跳ねた身体が次の瞬間には固まっていた。
「ひより……、?」
戸惑いを含む声が上から聞こえる。それからすこしした後、私の頭に手のひらが乗っかった。撫でる手つきはひどく優しく、泣いてしまいそうになるほど愛おしい。
「お前が思うようにやってみればいい。それでどうなろうが、俺が全部片付けてやろう」
「──……頼りにしてるよ、相棒」
「ああ」
最後に一度力強く抱きしめてから、名残惜しくも腕を離す。そうして今度こそ、部屋の中へ消えてゆくまでその背を見送った。
……扉が閉まり、隙間ギリギリに見えた手を振るチョンに振り返すと、リビングは一気に静まり返っていた。
まるで、私だけ取り残されてしまったような。……そんな気さえした。