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私という人間は、死んでいる。……いや、正確に言えば現在進行系の死にかけだ。
トラックに撥ねられ意識不明の重体中。そうだ、ついでに言っておこう。かの有名な真っ白い伝説ポケモン様が見せてくれた映像からすると、多分私は"植物状態"とやらである。──……そう、それが「現実」なのだ。





"ばいばい、ひよりちゃん"

出会いが突然であれば、別れもまた突然である。何とも気まぐれなセレビィくんらしいお別れだなあと思いながら、あっという間に消えてしまったその空間を眺めていた。

そうして、気が付けば部屋の扉の前に居た。
前を歩くマシロさんが扉を開くと、長い廊下が見える。どこかふわふわした気持ちで部屋を出ると、廊下の手すりを支えに歩いている人の姿やナースコールならぬジョーイコールに速足で音の元へ向かうタブンネの姿があった。……ポケモンセンターに、戻ってきたらしい。

「二人とも、絶対に動いちゃダメだからね」
『ひよりちゃんの仰せのままに』
「……ほんと都合がいいんだから」
『褒めてる?褒めてるの?』
「褒めてないよ」

肩に乗っている人形が「ワタクシ」、頭に乗っている人形は「僕」に戻ったようだった。堂々と大股で歩いている目の前のキューたんを見れば、あれは「俺様」だとすぐに分かる。

「そういえば、どうして私と陽乃乃くんを一緒に連れてきたの?」
『あ、えと、それはですね……』

言ってる傍から喋り出す頭の上の人形に慌てて手を伸ばすが、触れる前に横から先に取られてしまった。人形を鷲掴みしているのは、……俺様キューたんだ。

「実験の成功率をあげるために、少なからずモヤシ野郎の力を持つテメエと陽乃乃を連れてきたんだよ」
「……陽乃乃くんもそうなの?」
「みてえだな。どうしてなのかは俺様も知らねえ」

それだけ言うと人形を再び私の頭に戻してから、少し先を歩いていたマシロさんと陽乃乃くんを追い抜かし先頭へ歩み出ていく。

「──……ところで、」

不意に、前を歩いていたマシロさんが振り返った。ちょうどその時、私は通りすがりの男の子の「あのおねえちゃん、ヘンなポケモンの人形二つももってるー」、という何の悪気も無い言葉が鋭く突き刺さり、さりげなく両腕に抱えて直しているところだった。
猫背になっている私に"体調が悪いのかい"と心配してくれるマシロさんに思い切り首を左右に振る。

「それで、何ですか?」
「ああ。ひよりはいつ、陽乃乃に話してあげるのかと思ってね。ほら、見てご覧。先ほどからずっとそわそわしているんだ」
「……本当だ」
「え!?え、えーっと、僕は、……その……」

病室を目前に廊下の途中で立ち止まる。
口籠る陽乃乃くんと、どうやって切り出そうかと悩む私の間には、すでに言いようのない気まずさが流れているようにも思う。

「……正直に言うと、すごく気になってるよ。だって、ひより姉さんのことだもの」
「陽乃乃くん……」
「マシロさんやキュウムさんは、もう知っているんでしょう?」
「え……キューたんも……?」

素早く人形に目を向けると、どちらも小さく頷いて見せていた。そして陽乃乃くん越しに見えている彼もまた、無言で私を見ている。……そう、なんだ。

「ねえ、ひより姉さん。僕には、言えないことなの……?」
「…………ううん、」
「あのね。僕は姉さんが話したくないなら話してくれるまで待とうって、いつもならきっとそう思ってた。だけど、今回は待てないよ」
「…………」
「──……ねえ。"あと数日しか持たない"って、どういう、こと……?」

陽乃乃くんが消え入るような声で私に訊ねる。その顔を見て、慌てて彼の両手を掴む。それからハッとして、ゆっくり視線を下げながら無意識に口を閉じていた。

"私、あと数日でこの世界から消えるの"

そう、言葉に出してしまったら。今すぐにでも全部本当になってしまいそうな気がして。

「……ひより、姉さん?」
「──……、」

陽乃乃くんの手を力強く握りしめながら、やはり声に出すことができない。
……頭の中ではあんなにも簡単なフレーズだったのに。頭の中の私は、いつだって笑顔でスラスラと言えていたのに。どうして、どうして。

「……ええっ、ひよりー!?」

──直後。
後ろから聞こえてきた声に、私と陽乃乃くんが同時に飛び上がる。そうして振り返ってみれば、チョンが私に向かって両腕を広げながら走ってきては思い切り抱きついてきた。後からやってくるココちゃんの姿も見える。リハビリをしていたのか、湿布の匂いがした。

「さっきまで支えが無いと立ってられなかったのに、もう治ったのー!?」
「あ、う、うん。……え、えーと、そう、マシロさんが治してくれてね、」
「そうなんだー。マシロさん、ありがとー!」

嘘を吐くときには、少しの真実も含むと本当のように聞こえる。そう、どこかで聞いたことがあった。今の言葉がまさにそれだ。
……が、マシロさんを訝しげに横目で見るココちゃんに気づいて、思わず緊張が走る。

「それにしても不自然なぐらい早い回復ね?ひより、何もされていない?大丈夫?」
「おや、心音は私がひよりに手を出すと?」
「ふん、わたしは見た目では騙されないんだから」
「これは参ったなあ」

チョンに抱きしめられたままココちゃんとマシロさんという珍しい組み合わせを眺めてから、同じく場に流されている陽乃乃くんの片手に手を伸ばす。視線が合ったものの、申し訳なさそうにそっと静かに逸らされた。……今一度掴んだ手をゆっくり離し、私も視線をゆっくり落とす。

「ハッ、この女顔見てよく言えるぜ!いいか小娘、俺様たち伝説は性別不明って、」
「こらキュウム、余計なことは言わないで良いんだよ」
「ッてーっ!」

足の上に足が乗っている。そうして容赦なく食い込むかかと。ひとしきり左右に動かしてからやっと下りたかと思えば、当たり前のようにキューたんがマシロさんに食いかかる。
が、マシロさんの胸倉を掴むも笑顔でその手は叩き落とされていた。まだやるのかと見ていたが、なんとキューたんは睨みながらも大人しくマシロさんから手を離して病室へ入って行くではないか。……敵わないと分かったのかな。

「まさに白い悪魔ね」
「お褒めの言葉として受け取っておこうかな」
「ふふ、是非そうしてちょうだい」

続いてココちゃんとマシロさんが中へ入る。最後、私に抱きついたままのチョンと陽乃乃くん、三人で部屋に入った。
やっとチョンが離れた直後。私を追いかけるように掴まれた手に顔を上げると、困ったようにぎこちなく笑う陽乃乃くんが目に映る。

……きっと、これが今陽乃乃くんができる精一杯の気遣いなんだろう。そう思うと、思わぬ展開によりあの状況から逃げられたと安堵のため息まで零してしまった自分自身がとても情けなく思えた。……ほんと、ダメだなあ。



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