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「……ということなのです。ひよりさん、きちんと聞いておりましたか?」

きっと間抜けな顔でアクロマさんの話を聞いてしまっていたのだろう。不服げな表情でコクコク頷く私を見ている彼は、"まあいいでしょう"と呟いてから次のページを液晶画面に映し出す。

「えーと……つまり、人格のひとつを人形に移したということ……ですか……?」
「その通りです!プラズマ団にてキュレムの研究を行う過程で、彼が多重人格者であると知りました。そこでわたくしはこの実験をいつかは行いたいと思っておりました!」
「実際にやっちゃうなんて、凄いよ……」

陽乃乃くんの言葉に同意を込めて深く頷く。こんなことも成功させてしまうなんて、科学のちからってスゲー。
ちなみに今、私の頭の上に乗っかっているキュレム人形には、僕キューたんが入っているらしい。生身の身体は僕キューたんのものだったのに、なぜ彼の方が人形に入っているのか。……きっと俺様の方に脅されたんだろうなあ。
勝手に妄想を膨らませては可哀想に思い、人形を摘んで手のひらに乗せては優しく撫でるとキュウキュウ声が鳴らす。……ご丁寧にお腹の中に鳴き笛まで入っているらしい。

「ところで、なぜわたくしが鳴き笛を入れたのか、ひよりさんには分かりますか?」
「……アクロマさんの趣味ですか?」
「誰が馬鹿な事を言えと言いましたか?いいですか、人形が突然話したり動いたりすれば、皆驚くものでしょう。あくまで鳴き笛は誰かに見られてしまったときのカモフラージュです。大いに活用して頂きたいものですね」

遠まわしに私のことを馬鹿と仰ったアクロマさんが、私に液晶画面を預けると今度はモニターの前へと移動する。そうして、そこにあった椅子には座らず、中腰のまま目の前のキーボードを華麗な速度で叩きだした。
その間、私はやっと陽乃乃くんから降りて点滴台を支えに立つ。……そのときだ。扉が開いた音がした。それに振り返ると、マシロさんが真っ直ぐに私の元へやってきては両手をしっかり握りしめられる。

「マ、マシロさん、どうしてここに?」
「ひより、まずは君が無事で本当に良かった。私が至らないばかりに、ひよりに怪我を負わせてしまった。……本当に、すまなかったね」
「そっそんな……!」

頭を下げるマシロさんに、私は慌てて顔を上げるように伝えるも元に戻る気配は無い。それにあわあわしていると、そっと手が離れて今度は腕が伸びてきた。そのまま包み込まれて抱きしめられる。背中で交差する腕に戸惑いながら、私もそっと抱きしめた。

「──……ひより。君は、私が君にあげた最後の力を"彼"にあげてしまったんだね」

マシロさんの言葉に、思わず伸ばしていた手が途中で止まってしまった。声はくぐもっていて表情も窺えない。だから余計、マシロさんの気持ちを読み取ることができずに緊張で心臓がどくどく音を鳴らす。
……怒られる。そう思うと緊張して、身体が離れてもなかなか顔を上げることができなかった。それでも名前を呼ばれては、顔をあげるしかない。恐る恐る、ゆっくり。

「君ならそうすると思っていたよ。……仕方の無い子だね」

……顔を上げると、マシロさんは困ったように微笑んでいた。それに目を丸くしながら、おずおず訊ねてみる。

「……怒らない、んですか……?」
「あの力は私がひよりにあげたものだ。君がどう使おうと、私はそれが正しい判断だったと思うよ。ひよりはそう思わないのかい?使うところを間違ったと思っているのかい?」
「いいえ」
「うん、いい返事だ」

そういってマシロさんは微笑むと、片手で私の前髪を掻き分け額に唇を落とす。……隣から聞こえてきた陽乃乃くんの声は、まるで蛙が車に轢かれたような声だったが、額に手を当てながら浮ついた気持ちでマシロさんを見上げる私にはそれを気にする余裕も無い。

「マ、マシロさ、」
「……これでも、あと数日しか持たないだろう」
「…………」

マシロさんの言葉に、一瞬緊張が走った。それでも、彼の言葉は真実だ。

「いいかい、ひより。それまでには……」
「──はい。マシロさん、貴重な力を私に下さって、ありがとうございます」

奥底から力が湧きでるような感覚。……身体が思うように動かなかったのは、マシロさんからもらった力が殆ど底をついていたからだったんだろうか。
もう何かを支えにしなくても歩けるほど、一気に回復する自分の身体に──……改めて、私はこの世界の人間では無かったことを気づかされる。

「おや、いつの間にかレシラムまで来ているようですが……キュレム、続けてしまってもよろしいのでしょうか?」
「……もう、時間もねえんだろ」

キューたんの視線の先には私がいる。それに何も言わないまま見つめ返していれば、彼はため息をついてからアクロマさんの横に設置してある大きな機械の中へと姿を消した。
いつの間にか私の頭の上からセレビィくんの背中へ移動していたキューたん人形が、私たちを機械の前へ誘う。

「ひより、姉さん……さっき、マシロさんやキュウムさんが言ってたことって、……?」
「……ごめん。今は話せない。……後でちゃんと、話すから」

不安げな表情を隠しきれない陽乃乃くんに作り笑いをして見せる。そうして機械へ視線を移すと、何か言いたげに口を開いた陽乃乃くんもまた閉じては視線を動かしていた。

「さて、ひよりさん。貴女は消えるはずだった"三人目のキュレム"に貴方の中にあったレシラムの力を与えたようですね?」
「はい」
「この際、貴女が何者なのかは問いません。なぜなら貴女のおかげでこうして二度も実験を行えるのですから!」

聞きなれない電子音が鳴り終わったとき。目の前の大きな液晶画面にサーモグラフィが映し出される。
キューたんの影の中心、真っ青な塊の中心に点のような赤がある。……間違いない、あれが"彼"だ。
未だに目覚めぬ、茨姫。



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