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どこか別の部屋に入ったことだけは分かった。
力なく両腕両足を伸ばしたまま大人しくしていれば、また突然身体がひっくり返される。と思えば、気付いたら今度は陽乃乃くんに横抱きにされていた。まるで物の受け渡しのような……。
さっきまで下を向いていたからなのか、立ち眩みのように目の前が不規則にチカチカと動いている。しかしそれもすぐに治り、ぎこちない動きで視線を横へ向けている陽乃乃くんと私を見ているキューたんが視界に入る。
「ひより、人形を貸せ」
「──……名前……、」
差し出された手に人形を乗せてから思わずその手を掴むと、視線が静かに私へ移る。
……以前ならこの手に触れることさえ出来なかったのに、今では当たり前のように触れる。何だか、不思議な感覚だ。
「なんだよ」
「キューたん、やっと私のこと名前で読んでくれるようになったんだね。……ふふ、嬉しい」
「……だからなんだよ。俺様の勝手だろうが」
「えーっとね……そう、やっと手懐けたって感じ?」
「ハッ。調子乗んな、ブス」
私の手を投げ捨てると人形だけを持ってくるりと背を向け歩きだす。それにしても、はは、ブスだって。何とでも言うがいい。もうそれぐらいで怒る私ではない。
抱えてくれている陽乃乃くんには申し訳ないけれど、すごく楽だ。陽乃乃くんに甘えて抱えられたまま視線を動かし部屋を見回す。
カラフルな太いコードが床に何本も伸びていたり、周りはパソコンやら見たことのない機械で溢れかえっている。こんなところがポケモンセンターにある……の……?
「陽乃乃くん、ここは……?」
「アクロマさんの研究室だよ」
「……はい?」
『そうそう、ボクが瞬間移動を使ったんだ』
「セ、セレビィくん!?いつの間に!?」
"ひよりちゃんが死んだように彼の肩で伸びてたときだよ"なんて言いながら笑う。その頬にはすでにいっぱいのお菓子が詰まっているのか、言葉が若干聞き取りにくかった。
「セレビィくん、どうしてここに?」
『ボクはねえ、彼にお礼のお菓子をもらいにきたんだ!見てこれ、全部貰ったの!幸せだよー』
セレビィくんが持っているバッグには、いっぱいのお菓子が詰まっている。ついでに言うと両腕もお菓子で埋まっていて、まるでセレビィくんがお菓子の妖精にでもなったようにも思える。
のんびり宙を漂うセレビィくんの背後、ふと、白衣が見えた。皮靴を鳴らしながら私の前までやってきた彼は、相も変わらず掴みどころの無い笑みをうっすらと浮かべている。
「貴女のように極限でもポケモンを信じるトレーナーならパートナーも全力を尽くす。……それがわたくしの知りたかった答えというわけか」
「……はあ、」
「それにしても貴女が勝って良かった。もっとも、わたくしはゲーチスがキライ!というのもありますがね」
「はあ……」
さらっと悪口も混ぜてきているところ、アクロマさんらしい。
そうしてふと気づく。あれから私はアクロマさんとは会っていないのに、先ほどの口ぶりは今までの戦いを見てきたかのようだった。それは何故だろう。
「全部見させて頂きましたよ。"精神世界"……ふふ、研究のしがいがありますね」
そう言う彼の手には、あのキュレムの人形が乗っかっている。なるほどねえ。しかしながら、人形のタネ明かしぐらいはしてもらわなければ。
次に私が訊ねることも察しているのだろう。彼はご丁寧に液晶画面を目の前に広げると、科学はさっぱりな私にも分かるように説明を始める。
「この人形には二つの機能があります。ひとつは身代わり人形としての機能。そしてもう一つはカメラ機能です。どうです、素晴らしいでしょう!……まあ、映像を見させて頂いた結果、やはりまだ試作品ですが」
「……というと?」
「身代りとなる対象の指定が不可能なのです。実際、身代りとなったのは所持していた貴女ではなく、貴女のポケモンでした。これは今後の課題ですね」
「……はあ」
数字が並ぶ画面を見ても私には理解不能なことばかりだ。それでも話し続けるアクロマさんだったが、キューたんの「話しが長え」の一言のおかげで途中で打ち切ることができた。流され続けていた私と陽乃乃くんにとっては、まさに鶴の一声。
「さっさと本題に移れ、クソ眼鏡」
「おっと、そうでしたね。それが貴方との約束でした」
「約束?」
「はい。実験体としてご協力していただく代わりににわたくしがひよりさんにきちんと説明を、」
「じ、実験体い!?」
待って待って待って。私、そんなの許可してない。
実験体というと、あれでしょう。メスを入れられて解剖……みたいな……ええ!?ま、まず、まさかそんなことをキューたんがアクロマさんに許すわけがない!
混乱する頭でキューたんを見れば、得意げに服を捲りあげては私を見る。上半身丸出しの姿を見て恥ずかしくなるよりもまず先に。真っ先に、綺麗に縫われた痕が目に入る。……すでに手遅れだったらしい。
「クソ眼鏡なだけあるぜ。コイツのおかげでやっと力が抑えられるようになった」
「……そう、なの?」
「ああ。それになあ……」
キューたんの視線がアクロマさんへ移り、釣られて私も彼を見る。
……そして、その光景に唖然とする。
……だって、そう。絶対にあり得ないようなことが、今目の前で起きているんだもの。
『ひよりさん!ぼ、僕、僕ですよー!聞こえてますか……!?』
「…………」
フリーズ。思わず固まったまま、それを見る。
「……陽乃乃くんにもあれ、見えてる……?聞こえてる……?」
「ひより姉さんにも……見えているんだね……、」
アクロマさんの手の上。……人形が。キュレムの人形が、……喋りながら動いていた。人形を動かすコントローラーなるものを持っているわけでもなく、誰かが代わりに話しているわけでもない。
「「人形が、動いてるううう!?」」
同時だった。
私と陽乃乃くんの声が研究室にこだまする。
……そんな中、とうとうアクロマさんの手のひらから飛び立ったキュレム人形は私の頭の上に乗っかると、縫い目の間から満足げなため息を漏らしていた。
いったいこれは、なんなんだ。