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柱へ何重にも絡まっている氷の茨は先ほどのものより頑丈であり、また鋭い棘を持っていた。
やっと整えた呼吸もすでにまた上がっている。それでもひたすらに、触れるたびに流れる記憶の映像を横目に茨を引っ掴んでは溶かすということを繰り返す。眩暈を感じるものの、痛みで意識を戻して目をこじ開ける。まだだ、まだ駄目だ。

「溶けろ溶けろ溶けろ……っ!」

もはや呪文のように同じ言葉を繰り返す。
ここの茨も溶かしてもすぐに再生する。すでに身体には何本か氷の茨が絡まっているが、気にしていたらいつまで経っても柱に触れることは出来ない。ギチギチと嫌な音が聞こえる足元は見て見ぬフリをして手前の氷の茨をどんどん溶かしてゆく。……いつの間にか氷の上に落ちていた人形にも気づかない。

"小娘、名を言え。"
"……。"
"はっ、俺様の言うことが聞けねえって言うのか。"
"……。"
"言わねえと、この両手首の骨が折れるぜ。"
"……ひより、です。"

「──…………これ、」

目の前で流れる記憶の映像に、思わず手を止めてしまった。色鮮やかに、あの日の記憶が目に映る。
……ついさっきまで私の知らない過去の記憶ばかりだったのに、とうとう私の記憶と重なってしまったのだ。それになぜだか、……無性に、泣きたくなった。自分でも説明しようの無い感情が込み上げて喉元を熱くする。

"せいぜい俺様を退屈させねえ旅にしてくれよ、小娘。"

「……はは……、退屈、させない旅に……なってたかな……」

俯いて、力を抜く。それから勢いよく顔を上げて目の前の茨を掴んでは、まだ完全に溶けないうちに狂ったように氷の茨を掻き分けてゆく。飛んできた氷の破片が頬に当たっては小さな傷を作った。私の血を啜る氷の茨は、夢のような現実だった日々の映像をただ淡々と流し続ける。

"……あれっ、キューたん。"
"……小娘か。"
"こんな遅くまで何やってるの?"
"てめえには関係ねえだろ。"

これは、ソウリュウジムに挑む前だったかな。何時になく威勢が無かったと思ったら、そうか、そういうことだったのか。もうこの時から私たちに情が移っていたなんて知らなかったよ。ああ、なんだか可笑しいな。
そうそう、ジム戦では負けそうになったときにキューたんが出てきたと思ったら暴走して、……力が抑えられなったのは、人間の手が加えられた身体だったからなんだね。……伝え方が不器用すぎて、あれじゃあ私、分かんないよ。

──……ぼろぼろと、涙が零れ始める。そのまま息を切らして茨を毟る。まだ姿は見えないけれど、きっと、もう少しで届きそうな気がした。
感覚が完全に無くなった手で輝きながら消える映像も一緒に掴む。

"……俺様は後悔するなんてまっぴらだからな。他人がどうであれしたいようにする。"
"他人がどうであれっていうのはどうかと思うけど……私も、後悔はしたくないな。"
"なら、もう寝ろ。電気が気になって眠れねえんだよブス。"
"ぶっ……!?"

「……っく、……ううっ、……っ!」

……他人のために、ここまで頑張ってくれてたくせに。
漏れる息と一緒に嗚咽も漏れる。この感情を抑えても、また記憶に心をぐちゃぐちゃに掻き乱されてしまう。
足を引き摺り、全体重をかけて前へ前へと進んでゆく。

"俺様に誰も歯が立たねえなんて、情けねえな。"
"小娘たった1人すら守れねえ。"
"よおくこの顔を覚えておけ。そして次は、殺すつもりでかかってこい。……それまで小娘が生きてるかわからねえけどな。"

「──……ああああっ!」

記憶と共に感情も流れ込んでくる。それに半ば八つ当たりのように、力任せに茨を折った。
憎まれ役を買って出たのは、グレちゃんたちに自分を殺させようとしていたからだった。死にたいぐらい、やってきたことに後悔していたのだ。それでも前に進むことしか出来ないで、不器用な彼はひとりで抱えてここまで来た。

"もしも、もしもだ。"
"うん。"
"……俺様がおっさんに捕まったら。テメエはどうする。"

……死にたい、死にたくない。矛盾した強い思いが、渦巻いていた。戦って、悩んで、考えて。その繰り返しで二年経つ。結局、目の前の眠る彼が手遅れになってからやっとできたのは。

"そういえば、──助けに来るって、言っていたよな。

──助けてくれよ、なあ、ひより。"


「ッ馬鹿……ばかああ……っ!!」

──……ドン!、やっと見えた氷の柱の中で眠る彼に向かって両手の拳を叩きつけた。
氷の外側から見ても分かる、彼の身体に未だ残る生々しい傷跡に思い切り歯を食いしばる。何度拳を叩きつけても柱はビクともしないし、彼の睫毛は震えない。ただ私の血が柱を汚してゆくだけだ。
瞬間。
身体の自由が利かなくなる。両足に絡まっていた氷の茨がとうとう腕にまで絡まり付いてきた。棘が容赦なく刺さって身体は痛いはずなのに、もう痛覚すら麻痺しているのかそれほど痛みは感じない。足元も浮き、無理やり前のめりになって腕を柱に向かって思い切り伸ばす。まだぎりぎり、触れることはできる。これで最後だ。……最後、残りの力を全て込めて。

「早く起きてよ馬鹿あ……っ!キューたんに言いたいこと、いっぱい、……っいっぱいあるのに!!」

ドン、ドン!、鈍い音が響く中、私が抜けてきた氷の茨の手前で息を飲む音がした。それに咄嗟に振り向くと、茨のすき間から薄ピンク色の髪が見えた。……どうして、ここにセイロンが?とうとう私は幻覚まで見始めてしまっているんだろうか。

「……ひよりっ!」

セイロンが一歩踏み出し声を上げる。指差す先は、氷の柱のてっぺんだ。眩暈で歪む視界のまま上を見ると、なんと、氷の茨が砕けてはじめていた。パキパキと音を鳴らしながら細かくなった氷の破片が頭上から降って来る。それを見てから慌てて視線を戻しては、再び力いっぱい拳を振るう。
……声よ、届け。

「後悔したくないんでしょう!?死にたく、ないんでしょう……っ!?」

加速する音に混ざる声。
……出会いが必然的だったとしても、きっと私がこの世界で彼と出会ったことにもきっと意味があったのだ。だから一緒に旅も出来たし、今ここに、私がいる。本来、いるはずのないこの私が。ここにいる。

「キューたんには、このイッシュ地方で、みんなと一緒に生きてほしい……っ!!今この時のことだって、いつか笑い飛ばせるぐらい……幸せになってほしいの……っ!」

身体に絡みつく茨は私の血を吸うように締め上げ、身体の自由を奪ってゆく。伸ばしていた腕も離れてしまった柱の手前。……とうとう、身体は上に持ち上げられて宙ぶらりんになってしまった。もう顔をあげることもままならず、どこか遠くの方で聞こえる私の名前を呼ぶ叫び声に耳を傾けた。そうして霞む視界に柱を捉え、そこに大きく入るヒビをぼんやりと眺める。

「──……助けに、きたよ。キュー、たん、」

……掠れる声を、氷の割れる音が掻き消した。
高い音、低い音。全てが混ざり合っては辺りに散らばり、ガラスを混ぜ合わせたような音を生む。霞む視界に飛び散っては真っ白の空に輝く細氷を映す。……ああ、なんて綺麗な光景だろうか。

瞬間、落ちる感覚がした。あんなにもきつく絡みついていた氷の茨も柱と共に砕け散り、今では景色を美しく魅せる一部となっている。
落ちる、落ちる。
背中から風が舞い上がり髪をなびかせては私に輝く世界を見せていた。どんどん先に行っては消えて見えなくなる砕氷は、まるで流れ星のようだった。



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