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溶かすのが早いか再生するのが早いか。ただひたすらに氷を溶かしては先へ進む。棺探しといい、ここへ来てからは気が遠くなりそうなことばかりだ。終わりの見えないものほど恐ろしいものはない。
棺のときは、それはもう本当にゾッとするぐらい先が見えなかったけれど今は違う。もうほら、目の前に、終点はある。届きそうで届かない、いつまでも縮まらないその距離がもどかしい。
「──……、?」
ふと、何かが氷の茨の間を掻い潜って私の目の前に降ってきた。真っ赤な、小さな羽のようなそれはふわふわと舞い降りては氷に乗っかる。途端、燃えては氷の茨を溶かし始めた。驚きながらチャンスを逃すまいと羽の力を借り、鈍り始めてきていた歩みを再び加速させてゆく。
"──……"ひより"?誰だそいつは。"
"ゲーチスさんが言っていたんだ。その人が、マシロさんの力の一部を持っているって。探して、監視をしろってさ。"
"……監視ねえ。いよいよ胡散臭くなってきたな、あのおっさん。"
"で、でも、やるしかないよね……?"
"ったりめーだ。グズグズすんな。行くぞ。"
氷が解け、再び目の前の茨を真っ赤に染まった手で握る。その度に彼らの過去の記憶が映像となって現れていた。この氷の茨は、彼らの記憶の茨でもあるのだろうか。
……ひとつ、気づいたことがある。
この映像が流れるのはいつも私が氷に触れた時だった。それから初めてこの映像を見たときのことを思い出すと、現れるとき、いつも私の手には"私の血"が付いていた。他者の血に反応しているのか。
「……──、見えた……っ!」
絡まる氷の茨のすき間。ようやっと、柱の根元部分が見えた。それだけでも嬉しくて少しばかり緊張で強張らせていた肩を下げたときだった。
背後。バキバキ!と先ほどまでとは比べものにならない音がしたと思うと、直後、身体が前のめりになった。ちょうど目の前の茨を溶かした時でもあり、足元に未だ広がっている茨の中にうつ伏せで倒れこむ。鋭い棘が服を突き破って皮膚を刺すも、そちらにはどうも意識がいかない。
「……ど、……して、……っ」
──片足が、動かない。
訳が分からず、どっと冷や汗を流して白い息を慌ただしく何度も吐きだす。そうして動かないほうの足へ、茨へ寄りかかったまま視線を向けた。そこでやっと、何故動かないのか理解して、血の気が引く。
……長く鋭い氷の茨が、私のふくらはぎに突き刺さっていた。
急に頭が真っ白になって動けないままでいれば、茨がまるで生き物のように動きだす。貫通していた茨が勢いよく引き抜かれた瞬間、身体がびくん!と弓なりになったと思えば痙攣を始めて激痛が走る。
「っああああああッ!!」
咄嗟に足を抱えて蹲り、経験したことのない痛みに叫び声があがる。訳が分からないまま無意識に傷口を両手で力強く押さえて呻き声をあげていた。
上手く吸えない空気を死に物狂いで何とか体内に入れようと荒々しい呼吸を繰り返す。じわじわと茨の上を濡らす血と、次第に冷えてゆく身体に恐怖で震える。
……痛い、痛いよ。寒い。痛い。血が止まらない。私、……いやだ、死にたくない……!私は、私は……!!
"──……見てる。ひよりのこと、ちゃんと見てるから!だから、絶対、絶対、"
「──…………"戻ってきて"、」
霞む視界からぼんやりピントを合わせて、蠢く氷の茨へと無理やり意識を戻してゆく。
「そうだ……セイロン、──……ッ、」
『──ひよりッ!!』
「!!」
飛び上がり、絡まる茨を手で溶かす。周りを見回して見たものの、当たり前のようにセイロンは近くにいない。氷の茨の中には私だけだ。けれど、ついさっき、私の名前を呼んだのは間違いなくセイロンの声だった。
胴体にまで絡んできている茨を溶かし、痛みで濡れた瞳を乱暴に拭う。ズキン、ズキン、と内側から音を鳴らしている自身の足は何か別の生き物のように感じる。
「……セイロンが、見てる。……まだ、歩ける……っ!!」
まだ足はある。……なら、進もう。
茨を掴み、歯を食いしばりながら氷を溶かす。片足を引き摺り、一歩ずつ進む。後ろ、氷の茨が動く音がした。一瞬身体を強張らせて止まってしまったけれど、また一歩、踏み出した。
今までを思い出してみるがいい。先へ進もうとする私のために、みんなこれ以上の怪我を負っていたのを何度も見た。それに比べたらこんな傷、大したことないでしょう。今は私自身が戦う番だ。負けてなんか、いられない。
「──……もうちょっと、……もう少し……っ!」
掻き分けるように氷の茨を溶かしてゆく。無我夢中に、一心不乱に。
溶かして、進んで。
茨と茨のすき間がどんどん広くなってゆく景色に思わず泣きそうになるのをグッと抑え、最後に掴んだ氷の茨を両手で薙ぎ払うように溶かす。
そうして全身が茨から抜けた瞬間、前のめりに転げ倒れる。氷が冷たい。寝っ転がっても刺さるものが何もない今、この瞬間。
「抜け、た──……ッ!!」
氷の茨に、勝ったのだ。
ゆっくり身体を捻じって仰向けになり、大の字になっては乱れに乱れた呼吸を整える。髪も顔もぐしゃぐしゃだし、服もぼろぼろ、手も足も見るに堪えないぐらい血だらけだ。
──……でも、生きてる。それだけで十分だ。
このまま寝てしまいたいところ、やっとの思いで上半身を持ち上げてから茨で切れ切れになっているスカートの裾を切った。それから片足に巻きつけ強く縛る。形だけの止血のようだけれども、やらないよりはマシだろう。
「……あ、」
ポケットにも穴が開いてしまったのか、氷の上に落ちている人形を拾い上げては手のひらに乗せてみる。アクロマさんから貰ったキュレムの小さな人形だ。
結局、ここまで来ても何の役に立つのか分からないままだけれど、こんな場所で思わぬ癒しを与えてもらっただけで大満足である。仕舞うところが無くなり、スカートのウエスト部分に挟んで入れておく。
「あとはこの茨だけ……」
ゆっくり立ち上がって、柱に何重にも絡まっている茨を睨む。ついさっきまでこれ以上の氷の茨をこの手で溶かしてきたのだ。これぐらい、どうってことないだろう。
透明な柱の中で未だ深い眠りについているであろう彼を想い、茨を握る。
……さあ、あと、もう少し。
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「マ、マシロさん……っ!」
『大丈夫、かすり傷さ』
「──……」
大きく翼を広げ、真っ白い空高く飛ぶ姿。やはり茨の方はマシロさん自らが盾となり防いでくれていたようだ。俺たちの方にもそれほど被害が無かったのは、その炎で大半を燃やし溶かしてくれたおかげだろう。
けれどもここはアイツの精神世界。言葉通り、奴の思うがままである。
再びの地響きと一緒に巨大な氷柱が生まれては俺たちに襲いかかる。何時までもマシロさんに頼っては居られない。けれど俺は戦えない。だってひよりにお願いされたのだ。"私をちゃんと見ていて"と。
「は、はわわわ……!セ、セイロンくん!」
『……っ分かってる!』
上空から降り注ぐ炎が氷柱に触れた瞬間、コジョンドの姿に戻って波動弾で打ち砕く。それでも氷柱は無限に生まれては俺を妨害する。……これじゃあ、ひよりを見ていることができない……!
歯軋りを立てながら波動弾を打ちつつ飛んでくる氷も蹴り落としていた。本当にキリが無い。隣で腰を抜かしたままの奴のことでも苛立ちは募り、それと一緒に奴の泣きごとも増してゆく。
『──……おいッ!』
「は、はひい!?」
振り返って声を荒げると、奴が涙目で肩を飛びあがらせた。擬人化をして奴と同じ姿になってすぐ目の前まで歩いていけば、座ったまま後ずさりをする始末。
……ふざけるな、ふざけるな!立ったまま腰を屈めて奴の胸倉を思いっきり掴むと、一気に青ざめる顔。
「……いつまで、」
「セ、セイロンくん……?」
「みんな必死で戦っているのに、いつまでここに座っている気なんだよ!?」
「!、だっ、だって……!ぼ、僕は一番弱いし、さっきだって僕のナイフは全部落とされた!ひとつも届かなかったんだ!セイロンくんだって見てたでしょう!?無理だよ、……僕は、弱いんだ……っ!」
「──……っ」
拳を握ったままの手で思い切りその顔をぶん殴ると鈍い音がした。そのまま掴んでいた胸倉も離して見下ろすと、奴は目と口を大きく開いたまま唖然と俺を見上げている。
殴った方の拳は未だ怒りで震えが止まらず、隠すようにもう片方で抑えた。なんで俺がコイツに怒らないといけないんだ。なんでコイツのために俺も拳を痛めなければいけないんだ。すべてに納得がいかない。……くそ、くそ……っ!
「っお前は泣きごとばかりだ!少し駄目だっただけですぐ諦める、だから弱いんだ!」
「…………」
「ひよりだって前に進んでいるのにお前はここで立ち止まってて!……何とも思わないのか!?」
「…………、」
後ろに広がる氷の茨へ目線を向けると、ゆっくり奴も目を動かす。お前にも見えるだろう、あの、小さな背中が。
……ひより、ひより。そんなになっても、前に進んで行ってしまうんだ。俺は、グレにいたちと比べて自分でも分かるぐらいに未熟だ。それを分かっていて俺にこんな辛いことをお願いするだなんて……、ひよりは本当に、意地悪だ。
苦しいぐらいに締め付けられる胸元を思いきり片手で握ってから、再びヤツを睨む。それから跨いでいた足を動かして背を向けると、鈴の音が鳴った。やすらぎの鈴は、こんなときにも心地のいい音を鳴らすのか。
「……ここは"アイツ"だけの精神世界か?……違うだろう!」
「……!」
「"お前の"精神世界だろう!?だったらお前にも、アイツがやっているようなことが出来るんじゃないのか!?このままじゃ、お前たちの方が本当に偽物になるぞ!?」
「そ、それは……、で、でも僕は、!」
「やってみろよ馬鹿!!……っ、このままだと、ひよりがあ……っ!!」
「……セイロン、くん、」
思わず滲んできた視界に慌てて唇をきつく噛みしめ、腕で拭う。
……ふと、後ろで奴が動く音がした。もう姿を見るのすら嫌気が差すため背を向けたままでいれば。
刹那。耳元で電子音が聞こえた。驚いている暇もなく、浮遊に何かと似たような感覚を抱く。まるでモンスターボールの中に入るときのような。
「セッ、セイロンくん!?」
瞬きをする前、最後に聞こえたのは奴の声だった。
そうして次に目を開けて、聞いたのは、。