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ひたすらに歩く。私たちが歩く度に聞こえる水音にも、もう慣れてしまった。
キューたんを先頭に、その後ろ、私とセイロンが横並びでいる。目の前で猫背がちに狭い歩幅で細々と歩くキューたんの姿は若干頼りないものの、居てくれるだけで大分気持ちは落ち着いた。
「そ、そろそろ、です……」
「……まだ戦っているみたい」
セイロンの言葉に頷くキューたん。どうやら二人にはすでに見えているようだけど、私には何も見えない。そんな中、先ほど三人で話したことを思い返していた。
まず、やるべきことは二つ。三人目を凍らせること。そしてもうひとりのキューたんを助けること。
マシロさんは氷を溶かすことができるが、彼を凍らせることは不可能だ。よって今一緒にいるキューたんもそちらの戦闘に加わるのは確定している。戦況次第ではセイロンもそちらに加わるかも知れないが、当の本人は断固拒否している。"俺はひよりを守るためにここにいる"、そう言って頷くことは一度も無かった。ありがたいけれど、どうにも複雑な気持ちだ。
そして、私は。もちろん助けにいく。
「──……おやおや、やっと王子様のお出ましですねえ!」
「ッ!?」
一瞬だ。風を切る音がした。すぐ横に現れた灰色に驚く間もなく、氷の刃が目前まで来ていた。しかし、次の瞬間、私の前から刃が消えた。
手首を思い切り掴まれている。後ろに倒れかけている。感覚的なことは分かるものの、一体何が何だかすでに頭がこの状況に追いつけていない。
「……っひより!怪我、無い!?」
「セ、セイ、ロン、……」
尻餅をつく前にセイロンに抱きとめられた。焦るような声に視線をあげて頷くと、セイロンは顔を上げては眉間に思い切り皺を寄せ、敵意剥き出しの表情を浮かべてる。それに釣られてゆっくり視線を移すと、"彼"と私たちの間には二人が立ちはだかっていた。並ぶ白と灰色に思わず目を瞠る。
「……マシロ、さん、」
「ひより、よくやってくれた。上出来だ。怪我はないかい?」
「だっ、大丈夫です!」
「それは良かった」
にこりと微笑むその表情に、一気に安心してしまう。
マシロさんも服が赤く染まっているものの、どうやら足元のものが跳ねただけの様らしい。服の裾がところどころ切れてはいるが、目立った外傷は見当たらない。
「久しいね、キュウム」
「マ、マシロ、さん……っ、その、っ!」
キューたんが胸の前で両手を絡ませたまま、言葉を途切れ途切れに紡いでゆく。また、泣きそうな表情をしていた。きっと、ずっと前から伝えたかった言葉を言おうとしているのだ。
それをまた困ったような表情で見守るマシロさんだったが、ゆるりと口を開いてキューたんの言葉を遮った。
「謝ることはないさ。君だって、あんなことになるなんて思ってもみなかったのだろう?」
「で、でも!それでも、ぼ、僕のせいで、……」
「君は悪くない。……仕方の無いことだったのさ」
マシロさんが手を伸ばすと、キューたんの頭を優しく撫でる仕草を見せる。まるで弟に接する兄のような姿だ。撫でられている本人は、ぽかんと口を開いたまま驚いたように目を見開いている。
「キュウム。私はまた、君と話ができて嬉しいよ。これからもよろしく頼むよ、兄弟」
「!、ぼ、僕も……っ!嬉しいです……っ!」
──……ぱちぱち。軽やかな拍手が聞こえた。私も含め、みな一斉にそちらへと視線を移す。彼は視線を浴びてもなお、楽しげに拍手を続けている。
「兄弟!素晴らしい!ならワタクシも兄弟ですね?ね?」
「おっ、お前は、違う!僕たちの偽物だ!」
「……偽物?──……偽物、ねえ」
片手で顔を覆い、俯きながらクツクツと笑う彼を皆が静かに見守る。直後、笑いが消え、一瞬無音となった。……空気が震え、一瞬、呼吸が止まる。
「このワタクシが、偽物?……偽物は、貴様らのほうだ」
背筋が凍り、鳥肌が一気に立つ。その眼差しに、身体が石のように固まってしまった。ビリビリと空間を揺らす、見えない何かに震えが止まらない。思わず隣にいたセイロンの手を力強く握りしめると、答えるようにまた力いっぱい握り返される。混ざる冷や汗に、恐怖の色は隠せない。
「ひより、これを君に」
恐れ慄き金縛りにあっている中。ひとり平然としているマシロさんが私に手を伸ばす。目だけでそれを追い、握られた拳が開かれたとき、そこには黒い石があった。
「これはダークストーンだよ。今はその石の中でマクロが眠っているんだ。少々手こずったけれど、大事な弟を取り戻すことができたのは本当に良かった」
動かせない私の腕を握って上に持ち上げると、指を一本一本丁寧に開いてダークストーンを私の手のひらに乗せては包み込むように手を握られた。暖かい手とわざわざ屈んで合わせてくれる青い瞳に少しずつ身体が動き出す。
「ひより、君ならできる。そうだろう?」
「……勿論、です、……!今までだって、こんなの私には無理だって思ってたこと、みんなと一緒に乗り越えてきたんです……!」
「そうさ。ひよりが乗り越えてきた壁は数多い。そしてそれは、全て君の力になっているはずさ。大丈夫、できるよ」
「──……はいっ!」
手から離れた片手が頬に優しく添えられたと思うと、ぐっと距離が縮まった。びっくりしている間にも視界は暗くなり、思わず力強く目を瞑る。
心臓の音が加速する中、ちゅ、というリップ音と共に額の一点から身体中へ熱が急激に回り始めた。掻きあげた私の前髪から片手も離して再び距離を置くと、マシロさんがにこりと微笑む。
「さあ、ひより。思う存分、私の力を使っておくれ!」
「は、はいい……!」
火照る身体は、どちらの熱なのか分からない。
私の決意を唯一知っているマシロさんは嬉しそうにそう言うと、未だ恐怖でびくびく震えているキューたんの隣へと戻る。そうして肩に手を乗せて、希望の言葉を送るのだ。マシロさんにゆっくり頷き、前を見据えるキューたんの姿を見る。
「本物、偽物。その"真実"は、どうだろう」
堂々と思い一歩を踏み出しては、糸のように細く白い髪を揺らす。その隣、キューたんはグッと体勢を低く構え、その手には氷のナイフを握る。己自身と向き合う彼が切り裂くのは、一体何なのか。
そしてまた、私もセイロンと共に歩きだす。
「さあさあ!楽しいパーティーの続きといこうじゃないか!」
両腕を広げて楽しげに笑う"彼"の先。
赤い海と、透明な氷の空の間。……ぼんやりと蜃気楼のように揺れる"その場所"。私が向かうべき場所である。