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「マクロが教えてくれた。キュレムが苦しんでいると……。ボクはポケモンを苦しめる身勝手なヒトを許さない!」

Nくんの言葉に、慌ててマシロさんの隣に駆け寄りマクロさんの足に触れると、ちらり私を見ては赤い瞳を面倒くさそうに動かす。それでも黒い身体に触れたまま、手に力を込めると固く閉ざしていた口が開いた。

『……俺の核はすでにキュウムに奪われています。だから、分かります。彼の"中"が今、どうなっているのかが』

それから言葉は続かず、私も静かに手を下ろす。
"苦しんでいる"、……そう、マクロさんは確かに言った。ふっと今までのことが頭を駆け巡り、込み上げてきたものを唇を噛みしめグッと抑える。

「それにボクは、イッシュが好きです。ひよりが、トウヤが、色んなヒトがボクに"ヒト"としての生き方を……、ポケモンとヒトが共にいることで奏でるハーモニーがあると教えてくれた場所、イッシュ!」
「──……、」
「だからこそ、そこに暮らすポケモンやヒトをボクは守る!!」

Nくんの真っ直ぐな言葉に、心が震えた。……この二年。様々なことを知って感じて、自分の意志でここにいる。以前の彼を知っているからなのか、表現できないぐらいの熱い感情が胸の中で燃えていた。彼の横、静かに足を運んで並ぶと、Nくんが私の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

「素晴らしい!胸を打つ決意の表れ!ワタクシが施した王としての教育、決して無駄ではなかったか」

わざとらしく拍手をするゲーチスさん。次に彼は杖を手前に持ってくると、地面に突き刺し両手を乗せる。

「探す手間が省けたというもの。もっとも、ソウリュウに氷を撃ち込めば異変を察知し姿を現すと読んでいましたが」
「美しくない数式です。ボクは認めない!」
「……何を、する気だ……?」

マシロさんの言葉に振り返ると、彼はマクロさんの後ろで目を細め、ジッとゲーチスさんを見つめている。私もゆっくり視線を移してみれば、ゲーチスさんの懐から現れる、"それ"。

「認めさせますとも!──……この、遺伝子の楔を使ってな!」
「遺伝子の楔……!?」

ソウリュウシティでダークトリニティに奪われ、最後まで取り戻せなかった遺伝子の楔。しかしそれは、私がシャガさんに見せてもらったときとは全く違う形になっていた。キュレムの色をしていた楔は、円球になっている。そして真ん中には不気味な黒い穴が見える。
──ガンッ!杖が、鳴る。
直後、ゲーチスさんの手元にあった円球が紫色の謎の光をぼんやり纏わせながら宙にゆっくり浮かびあがった。マシロさんにも、あれがどのようなことを起こすのか分からないらしく、睨んだまま動かない。……いや、誰も、動けなかった。

『──……さあ、楽しい舞台の始まりだ』

楽しげな声がした。円球はキュレムの頭上へ移動すると、浮遊したまま引き伸ばされて楕円形となる。瞬間、それが弾けて辺りに光りが飛び散った。かと思えば楕円形の玉は一本の糸となり螺旋を描きはじめる。地響きがする。赤、黒、紫。不吉な色が混ざり混ざった空気が生まれ、空間を埋め尽くす。
全てを吸い込みながら成長してゆく螺旋を、緊張の眼差しで見つめていた。どこまで大きくなるのか、息を飲んだそのときだ。再び弾けたと思えば最初の円球が今度は箱の形になっていた。丸、四角、そして三角形へと姿を変えた遺伝子の楔から真下へ向かって鋭い棘が生まれる。

「、見せてもらったときと同じ……」

そうして時間をかけて、ようやく元の形に戻った遺伝子の楔だが、かなり巨大化している。真っすぐ、切っ先がキュレムに伸びたまま、あろうことか急降下したのだ。声を上げる間もなくそれは真っ逆さまに落ちてキュレムに突き刺さる。……呻き声が漏れ、灰色の巨体が仰け反った。

「キューた、ッ!」
「待つんだ、ひより」
「で、でも……っ!」
「……まだだ」

前のめりになると同時にマシロさんに腕を掴まれ止められる。その言葉に歯軋りをしたまま視線を前に戻すと、刺さっていた楔が消えて、光が飛び散った。
キュレムが動き、地につけていた前足を勢いよくあげた瞬間、凍っていた羽から氷が弾け飛ぶ。重い音と一緒に氷の塊が地面に落ちては私たちの足元を揺らしていた。不気味な美しさをもった光景だ。

キュレムの背中から伸びているのは細い灰色の骨組み。するとそれは正面へ向き、羽の先、爪のように尖っていた二つの切っ先が光り出す。
直後、掴まれていた腕が一気に引っ張られ気づいたら走りだしていた。緑色の髪がすぐ隣で揺れているものの、おぼつかない足元を見るときっとNくんも今どうして自分が走っているのか分かっていないんだろう。

「ッマクロ!!」
『──……ッ!』

投げられるようにマシロさんの背の後ろに押しこまれると、叫び声と共に地鳴りと土埃が起こる。強風が再び吹き荒れる。マクロさんが飛んだようだ。見れば、キュレムの羽の先からミサイルのような光が発射されていた。追尾性能があるかのごとく、ミサイルは宙で身体を回転させて避けるマクロさんをいつまでも追い続けている。避けられたミサイルは洞窟の壁に当たっては粉砕の繰り返し。

「N、ひよりを頼んだよ」
『ッ兄さん、来ないでください!』
「いいや、もう無理だ!」

早口にマシロさんから紡がれた言葉。見ていられなくなったのか、マシロさんの身体が光を吸収しながらレシラムの姿に戻る頃。

『……──ッ!』

今まで後ろから追っていたミサイルが前方からマクロさんに一気に迫った。危ない!、叫ぶ前にミサイルはマクロさんにはぶつからず、螺旋を描きながら黒い身体をがんじがらめにしていった。ミサイルが描いていた線は残ったまま、マクロさんの身体に纏わりついて羽の機能も奪い取る。──落下。ふと、落下速度が落ちたかと思えば、ゼクロムが丸く黒い石に姿を変える。

『……マクロ!?』
「!?、どうしてダークストーンに!?」
「キュウムよ!ゼクロムを取り込みなさい、吸収合体です!」

焦るNくんの声を打ち消すように、ゲーチスさんが両腕を広げて高らかに声をあげた。
それに頷くように身体を少しばかり上下に振って、体勢を前のめりにさせるキュレムの羽の先。薄紫色の強い光が生まれた。次第にそれは伸び、ダークストーンへと繋がる。上に視線をあげるキュレムと一緒にダークストーンも光に包まれたまま天高くへと持ち上げられた。……伸びている光が描くのは、何度見ても鎖だ。

刹那、空間に激しい稲妻が走った。容赦なく地に振りそぞぎ、巨大な穴を開けてゆく。恐怖と目も開けていられないような光に慄きながらも、ぐっと目を細めたまま堪えた。光が動き、形を変える。天に向かって伸びた二つの翼は、片方が黒、もう片方は氷で固められている。

『……まさか、そんな、……』

背中から青い管が太い尻尾へ数本伸びている先には強力な青白い電気がたっぷり蓄えられており、その身体は黒と灰色の二色で彩られている。虚ろな黄色い瞳が茫然と立ち尽くしている私たちを映す。

「ポケモンが合体だなんて……、そんな、……そんな数式があるものか……」

いつだったか、七賢人が言っていた。"分かれたポケモンを繋げる楔"。まさに、その言葉の通りだった。
黒い右手と、氷の左手。見覚えのある二つの姿が、不気味にも混ざってそこに立っていたのだ。



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