4
外は真っ白だった。どうやらタラップが伸びていた方向とは逆の方へと出てきたらしい。
木や地面が氷に覆われ、凍っているのは当たり前。岩までも凍ってしまっている。
シキさんの角を必死に握りながら、容赦なく襲いかかってくる寒さと戦う。角から生えている緑色の葉っぱもうっすらと白に染まりながらキラキラ光っていた。凍ってしまうのも時間の問題だろう。
岩を飛び越え、白い森を駆け抜ける。すると、また長い階段が見えてきた。船の出口からここまでの道はひどく曲がりくねっていたが、分かれ道はひとつも無かった。この階段は何故か凍っておらず、シキさんから降りて自力で上る。そうして上り終えた先……、洞窟への入り口があった。乱暴に作られたのか、入口の土がぱらぱらと落ちてきている。
「……」
『この奥だ。間違いない』
鼻をひくひくと動かすシキさんを見てから、陽乃乃くんを先頭にゆっくり足を踏み入れた。
……雫の落ちる音がする。洞窟特有の匂いと冷たい空気。でこぼこの地面を歩いて行くと、小さな湖が道の両脇にあった。地底湖、だろうか。どこまでも澄みきった青い水。底が見えずとも、恐怖よりも感動が先にやってくる。
それも通り抜けると、また入口のような穴があった。ふと、足元を見ると私たち以外の出来た手の足跡がある。……この先だ。ひとつ、ボールを手に取りスイッチを押した。赤い閃光が弾けて現れたのは、薄暗い洞窟には不釣り合いの純白。
「──……ひより。本当に、いいのかい?」
「……はい。これしか道がないのなら」
「……そうか」
小さく頷くマシロさんの表情は浮かない。
数日前、マシロさんと話して私自身が決めたことだ。悩んで悩んで、でもやっぱり助けたくて。苦渋の選択の末の答え。
だからもう、迷わない。
「いいかい。私が左手を横に真っ直ぐに伸ばしたら、それが合図だ。私の左手を握り、目を閉じて」
「分かりました」
「大丈夫、ひよりにはボディーガードも用意したからね」
「ボディーガード?」
「誰かなのかは、向こうの世界にいってからのお楽しみさ」
──……それでは、行こうか。
マシロさんが背中を向ける手前、笑みが消える瞬間を見てしまった。息を飲み、先陣を切るマシロさんに続いて入口へと足を踏み入れる。
両脇には岩がいくつも積み上げられていて、一本道を際立たせていた。天井には鉛色の曇り空が広がっている。どうやら洞窟から出たようだ。先ほどまで何とも無かった地面には、ところどころ氷柱が出来ている。鋭く尖った切っ先は真っ直ぐに上を向き、通り過ぎる私たちの姿をぼんやりと映しだす。
そうして、開けた場所に出た。そこに佇み、うっすら霜の降りている地面に杖を突き刺しているゲーチスさん。……彼の姿は、どこにもない。
「ジャイアントホール!此処こそがキュレムのパワースポット。此処でならキュレムは最大限のパワーを発揮し、イッシュ全土を意図も容易く氷漬けにできます!」
声高らかにそう言い放つと、ゆっくり右へ歩いてゆく。そうして杖を力強く振り落とした。
「いでよ、キュレム!」
「……ッ!」
瞬間。冷たい強風とともに、吹雪が洞窟内で巻き上がる。真っ白になる視界。なんとか目を開けていようとしたが、とてもじゃないが出来なかった。
次に目を開けた時、目に飛び込んできたのはアシンメトリーな氷の翼。灰色の巨体はしっかりと地を踏みしめ、光ひとつ無い虚ろな瞳はただ真っ直ぐに私たちを見ている。
「貴方には、ここまで来たことに敬意を表しプレゼントを差し上げましょう」
キュレムが一歩前に歩み出る。次にまた、杖が地面にカンッ!とたたき落とされた瞬間、キュレムの身体から冷気が一気に溢れだす。波紋を描いてはどんどん広がり、容赦なく私たちに襲いかかる。異様なほど、寒い。
「ひより、下がっていておくれ」
「マシロさん、」
手前、真っ白いコートが冷気でバタバタと音を立てながら激しく揺れる。マシロさんは背を向けたまま、静かに前を見据えていた。その言葉に従って風圧に押し倒されないよう、慎重に一歩、また一歩と後ろへ下がる。
どんどん威力を増している冷気の中、うっすら、何かが見えてきた。強風の中、目を細めて見ると鋭く尖った氷のつぶてがキュレムの周りに浮いているではないか。その切っ先は、当たり前のように外側に向いている。あれを飛ばされでもしたらひとたまりもない。
「レシラム様……!」
「大丈夫。これぐらいなんてことないさ。さあ、シキも下がっておくれ」
「……っ、」
渋々と下がり、私の横につくシキさん。浮遊している氷のつぶては肥大していく。
どんどん、どんどん。
すでに地面から生えていた氷柱の大きさなんて、とっくの昔に超えている。あれがこれからどう動くのか。すでに恐怖に捕らわれて動けず、身体の芯から震えていた。けれどもパニックにならずに済んでいるのは、私たちの前にマシロさんがいてくれるから。
『マシロさん、僕にもお手伝いできるかな』
「おや、陽乃乃もやってくれるのかい?」
『半分ぐらいなら溶かせる、……と思うよ』
「十分だ」
陽乃乃くんの背中の炎が消えた。と思うとさっきよりも大きく燃え上がり、風に煽られ火の粉を散らす。
……キュレムの周りに浮いていた氷塊がくるりと回転し、内側に切っ先が向く。それに驚いている暇もなく、今度はそのままそれが私たちの真上へやってきては、広がり囲むように素早く回転を始めた。逃げ場はもう、どこにもない。
マシロさんの横に居た陽乃乃くんが素早く私とシキさんのところに戻り、体勢を整える。前後をマシロさんと陽乃乃くんに挟んでもらっている私は、この恐怖の瞬間を目に焼き付けることしか出来ない。
「ここで氷漬けとなり、イッシュの行く末を見るがいい!」
回転していた巨大な氷塊がぴたりと止まる。刹那、ぐわっ!と広がり間隔を開けたと思うと、一気に私たちに向かって飛んでくる。
……咄嗟に目を瞑るのが早いか、氷塊の切っ先に襲われるが早いか。風を切る音。冷たすぎる風。全部、全部が一瞬のうちに光りの速さで過ぎ去った。
「クロスサンダ―!」
「……──!」
声が、聞こえた。次の瞬間、何かが弾ける音がした。轟雷。全方位を暴れまわる凶悪な音に耳を思い切り塞いではその場にしゃがみ込む。頭にガンガンと轟く音が、低く這いつくばるように腹の奥を震わせる音が、音という音全てが混ざって襲いかかる。背中に添えられているのはシキさんの手か。それを唯一の支えとし、場が治まるのをひたすら待った。
「……来ましたか」
焦げた臭いに眉間に皺を寄せながら、ゲーチスさんの声を拾った。それに恐る恐る顔をあげ、ゆっくりと目を開ける。
硝煙が立ち込める中、粉々に砕け散った氷が綺麗に輝きながら地面へと降り注いでいた。そんな中、私たちとキュレムの間に堂々と立っていた人物に、大きく目を見開く。立ちあがり、未だ震える足を引き摺るように一歩、二歩と動かす。
『兄さん、お怪我はありませんか!?』
「ああ。マクロのおかげで何ともないよ」
『良かった、です』
黒き伝説のドラゴンポケモン、ゼクロムであるマクロさん。マシロさんの双子の弟で、また誰よりもマシロさんを想っている。笑顔を浮かべるマシロさんの姿を見て安心したのか、黒い巨体の肩がグルルル、という低いため息と一緒に少しばかり下がっていた。
そしてそのマクロさんを従えるのは、横にいる彼。
「N、くん」
「人の心を持たぬ化け物、Nよ」
ゲーチスさんの言葉が耳に突き刺さる中、目の前で黄緑色の髪が揺れ、少しばかり視線がこちらに向けられる。絡み合う視線。その瞳に、光を見る。