3


一室。明かりはひとつもない代わりに、立派な椅子の背後にはぐるりと設置された監視画面が不気味な色を放っていた。しかしすでにいくつかの画面には砂嵐が映されている。トウヤくんたちが破壊したんだろうか。

「ようこそひよりちゃん!よく来たねえ」
「どうして……さっきまで寝ていたのに、」
「おやおや。見られてしまっていたのかあ。まあ、別にいいけど」

睨む陽乃乃くんを軽くあしらい、組んだ足に肘を乗せては顎を支えて笑みを浮かべている。その後ろ、ダン!と何かが床に落ちる音がした。それが、ゲーチスさんが振り下ろした杖だと気づくには少々時間が掛かってしまう。

「アクロマめ!我々のイッシュ征服という崇高な使命よりも個人の興味を優先させるとは!」
「まあまあ、ゲーチス様、落ち着いて」

ダン。再び力強く振り落とされる杖の音を聞き、またそれをなだめる彼の姿を静かに見ていた。不意にゲーチスさんの視線が私に向けられ、噛みつくように言葉を吐く。

「貴女の目、不愉快です。ワタクシに刻まれた、唯一許せない記憶。……不愉快、不愉快だ!」
「もうー。ゲーチス様、"ここ"ではないでしょう?ねえ?落ち着いてくださいよー」

ここではない。確かに彼は今、そう言った。……別の場所が、すでに用意されているということか。
言葉通り、ここでは戦う気は無いらしい。彼の言葉にゲーチスさんが軽く頭を左右に振ると、右目についている赤いモノクルが妖しく光る。

「さて、貴女は幸運です。ワタクシ、ゲーチスの演説をたったひとりで聞けるのですから」

この場には陽乃乃くんも居ればシキさんもいる。けれど、彼は今も昔もポケモンを"生き物"として扱っていない。だからこそ、人間である私しか数えなかったんだろう。
内に静かな怒りを秘めながら、口は閉ざしたまま一歩もそこから動かない。……ワープパネルは、すでに緑色に戻っている。

「キュレムが秘めている本当の力をプラズマ団の科学力・技術力でピークまで高めイッシュを氷漬けにします!恐怖に支配されたイッシュの民、ポケモンは、プラズマ団の!いや、ワタクシの!足元にひれ伏すのです」
「ぱちぱちー!」

楽しげに手を叩く彼と、力強く述べるゲーチスさん。
……二年前と今。皆それぞれが成長している中、ゲーチスさんだけは昔と全く変わっていない。間違った道を一心不乱に今もなお走り続けている。正す人がいないのか、聞く耳を持っていないのか。……ああ、なんて可哀想な人。そう、思ってしまった。

「キュレムは虚無。とあるポケモンがレシラムとゼクロムに別れたときの余り……。ワタクシの欲望はイッシュの完全なる支配!そうです!キュレムという器にワタクシの欲望を注ぐのです!」
「ゲーチス様の欲望で満たされつつ、ワタクシの本来の力を取り戻す……──最高に幸せだと思わない?ねえ、ひよりちゃん?」

杖を突きながらこちらに歩いてくるゲーチスさんを睨みながら、肩をすくめて腿の横にある手で拳をぎゅっと握りしめる。
……最高?どこが。反吐が出る。ゲーチスさんは上手い口実を盾に、ただキューたんに自分勝手な欲望を押しつけているだけだ。その欲望のために作られた"彼"は、操り人形同然となってもなお「幸せ」だと口にする。おかしい。こんなの、おかしいよ。

そのとき。すぐ横だ。どこからともなく現れた白髪に黒い衣装を纏う男──……ダークトリニティが、跪く。そこから慌てて後ずさり、すぐさま前に出てくれる陽乃乃くんとシキさんの後ろからその姿を見ていた。

「……ゲーチス様、準備が整いました」
「準備……?」

ぽつり、呟いた瞬間、ダークトリニティの男と視線が合ってしまった。虚ろな瞳に心臓を掴まれた感覚に陥り、咄嗟に自分から視線を逸らす。

「いよいよ!いよいよワタクシがイッシュを完全に支配する素晴らしい時が来ました!では貴方たち、後は任せますよ」
「……!ま、待って、どこに……!」

背後にある長い階段へ足早に向かうゲーチスさんの後ろ。私の言葉で彼が振り返り、外からやってくる風に灰色の髪をなびかせながら、がらんどうな瞳を三日月に描く。

「──……ジャイアントホールの奥で待ってるよ」

小さくそう、呟いた。背中を向けて暢気に振られる手と消える姿を目に焼き付ける。
……以前、ベルちゃんから聞いた話だ。ジャイアントホールはキュレムのパワースポットとなっているらしい。だがキュレムというポケモンの存在すら不確定だったため、この地とキュレムにどういう関係があるのか詳しくは分かっていないようだった。そんな場所をわざわざ選んだということは、向こうも本気だということ。

「行かないと……、!」
「そうはさせない」
「!」

続いて一人、二人とダークトリニティが私たちを取り囲む。
出来るだけ体力を温存させるために戦いたくは無いけれど、ここは強行突破するより他はない。ポケモンの姿に戻る陽乃乃くんとシキさんを見て、指示を出そうとしたときだ。……階段から、慌ただしい足音が聞こえてきた。

「「ひより!」」
「トウヤくん、チェレンくん!」

息を切らしてやってきた二人。早い戻りを嬉しく思いつつ、すでにボールを構えている姿を見て察する。シキさんをちらりと見てから、その背に手を乗せ力を込めた。

「ゲーチスとキュレムが洞窟の奥へ向かっていくのを見た!」
「ここは僕たちに任せて、ひよりは早く行くんだ」
「……うん、ありがとう……っ!」

チェレンくんの言葉に反応したダークトリニティに捕まる前、陽乃乃くんが黒い煙を吐きだした。煙幕で彼らの視界を完全に奪えるとは思っていない。一瞬の隙をつき、シキさんに飛び乗る。
ダークトリニティを飛び越え、長い階段すらも飛ぶように駆け抜ける。その後ろには陽乃乃くんがいる。目まぐるしく移り変わる景色に酔わないよう、しっかり気を張り詰める。

……すぐに、追いついてやるんだから。



- ナノ -