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ワープパネルを踏んだ瞬間、緑色の光に包まれた。一瞬にして景色が変わり、瞬きをゆっくり繰り返す。空間を見回し、手に汗を握る。
……どうやらここは、船の先端部分のようだ。
一面ガラス張りになっているものの、今は外の景色が何一つ見えず、その代わりにこの機械仕掛けの空間を窓に映しだしていた。いくつも設置してある操縦席のような椅子には誰も座っていない。中央には階段が鎮座していて、一段高い場へと繋がっている。ひとつだけ立派な椅子があり、またその前の画面には薄明るい光を発している画面が浮かび上がっていた。……その手前、ひとりの男が私たちに背を向けている。
「ようこそ、ひよりさん。またお会いしましたね」
「……お久しぶりです、アクロマさん」
「まさか、顔見知りだったとは……」
驚きの声を漏らすシキさんに苦笑いをして、目の前に佇むアクロマさんを見る。丈の長い白衣を翻して私たちの方へ振りかえる彼は、やはり向こう側の人間だったらしい。"知り合いに頼まれ、研究を手伝っていました"、そう語るアクロマさんは、ゲーチス派プラズマ団の表側のボスとなっている科学者だろう。
ワープする前からバクフーンの姿に戻っていた陽乃乃くんに片手でストップをかけたまま、暢気に話を続けるアクロマさんを見つめる。見極める。
「ずばり、わたくしの望みはポケモンの能力を完全に引きだすこと!それができるなら、手段は何でもいいのです。その結果、世界が滅ぶとしても、ね」
この人は、ただ己の望みを叶えたいが故、今ここにいる。
きっとキュレムの力を引きだすため、大砲や特殊な氷を生み出す機械を発明したのも彼だろう。悪気があって発明したわけではない。純粋な気持ちでここまでやってきたのだ。だからこそ厄介であり、また……こちら側に引き入れるチャンスでもある。
「わたくしは、これまでイッシュ各地で数多くのポケモントレーナーと勝負をしてきました。それはなぜか、貴女には分かりますか?」
眼鏡の奥で瞳が細まる。……ふと、アクロマさんが以前言っていた言葉を思い出す。
「トレーナーとポケモン、それぞれを想う気持ちでポケモンの強さが引き出せるかどうか、見ていた……?」
「その通り!そこのバクフーン、以前よりも強くなっていることが数字で明らかになっています」
『……ほん、と?』
アクロマさんの手元に透明な液晶画面が浮かび上がる。それを指先でゆっくりスライドさせる仕草を見せながら、楽しげな笑みを浮かべていた。アクロマさんの言葉にぽつりと漏らす陽乃乃くんの声を聞きつつ、視線はそのまま外さない。
「この短期間でなぜこれほどまで強さを得られたのか。先日の貴女の状況を考えれば容易く想像出来ますね。トレーナーを守りたい、大切に想うがゆえ、強くなるポケモン。……実に興味深いです!」
アクロマさんの手が、白衣のポケットから何かを掴んで取り出そうとしていた。空かさず陽乃乃くんが前に出て、背中の炎を一気に燃やす。ゴウ、と揺れる炎の向こう側、アクロマさんの笑顔が見える。
「……さあ!わたくしの望む答えを持つのか教えなさい!」
「陽乃乃くん、お願い!」
放たれたボールから飛び出してきたのはレアコイル。ふわふわと浮かぶ姿に目がけて、すでに走り出している陽乃乃くんを目で追いかける。空間を不規則に走る電気を簡単に避けてゆく。
「レアコイル、ラスターカノンです!」
「火炎放射!」
光と炎がドッ!とぶつかり爆発した。風圧に片腕を前に出して盾代わりにして目を細める。視界の悪い中、煙が動くのが見えた。陽乃乃くんの姿はない。……そうだ、グレちゃんとバトル練習をしていたとき。大きく迂回して、背後をとる!
「『オーバーヒート』!」
炎が陽乃乃くんの身体を包んで暴れるように弾け飛ぶ。直後、レアコイルと衝突した。鈍い音と共に煙を散らすほどの威力で浮かんでいた身体を地面に叩きつけられるレアコイル。炎は未だ消えず、空間をぐつぐつ煮え滾る鍋の中のように変えていた。額の汗を拭い、煙が完全に晴れるのを待つ。
「──……もっと、」
アクロマさんの声がした。それと同時に地面に赤い閃光が伸びるのが見え、レアコイルをボールに戻したことを把握する。私の元に戻ってくる陽乃乃くんを撫でてから、別のボールを片手で握る。
「もっとです!もっとポケモンの力を引き出しなさい!!」
興奮気味のアクロマさんに、思わず顔が引き攣ってしまう。ついでに後ろからシキさんの「うわあ、」なんて完全に引いている声も聞こえてしまった。
彼は、今を楽しんでいる。どうなるかは分からない。けれど今、私に出来ることは精いっぱいやってみよう。
「行きなさい、ジバコイル、オーベム!」
「ダ、ダブルバトル!?」
目の前に浮遊する二体のポケモンを見ながら慌ててボールを両手に持ち、スイッチを押した。……ダブルバトル。やるのも久しぶりだし、数をこなしたこともない。だから余計不安になってしまっているのか。それでもやらなければならない。頭を振って、目の前に立つ二人を見る。
『ひより、大丈夫だよ』
『わたしたちに任せなさい!』
こちらをちらりと振り返る美玖さんとココちゃんに大きく頷く。一度心を落ち着かせるために深呼吸をしてから、ぎゅっと拳を握った。……大丈夫、大丈夫!!
「ジバコイル電磁砲、オーベムは回復封じです!」
「ココちゃん、しんぴのまもり!美玖さん岩なだれお願いします!」
先に動いたアクロマさんに一歩遅れて指示を出す。速さはこちらの方が上だ。
ジバコイルたちの頭上に岩が現れ、容赦なく降り注ぐ。そして電磁砲が届く前に、しんぴのまもりの効果が発動されて麻痺になることはなかった。けれども回復封じを防ぐことは出来ず、ココちゃんの白い羽と美玖さんの甲羅部分に赤い×マークが付いている。……私にとっては大きなプレッシャーだ。二人をなるべく無傷のまま、バトルを終わらせなければ。
「ジバコイル、エレキフィールド」
瞬間、電気が空間を走り抜ける。カッ!と真っ黄色の光がこの場を支配した。床からも電気が生じ、足元を脅かせる。……電気タイプであるジバコイルはココちゃんと美玖さん、どちらにとっても厄介な相手だ。まずはジバコイルから倒すべきか。
「ココちゃん、りゅうのはどう!」
「カメックスにスパークです!オーベム、サイコキネシスで迎え撃ちなさい!」
「!」
りゅうのはどうとサイコキネシスが宙でぶつかりド派手な音を鳴らす中、研ぎ澄まされた電気が走る。額に浮かぶ汗を拭う暇もなく、間近で光が弾けた。甲羅が若干下向きになっている姿が見え、慌てて声をあげる。
「みっ、美玖さん!」
『大丈夫、なんてことないよ』
美玖さんの身体に纏わりつくように動く電気が見える。しんぴのまもりのおかげで麻痺はしていないものの、確実にダメージを受けているのは私にだって分かる。隣に並ぶココちゃんの目線も美玖さんに向いている。
「……ッ、追いつかない……!」
テンポ良く二体に指示を出せるアクロマさんと違い、私はそんな器用なことが出来ない。いくらココちゃんと美玖さんが強くても、私がきちんと指示を出せなければ意味がないのだ。歯を食いしばって目線が左右に行ったり来たり。状況は、一秒ごとに変わってゆく。
「ジバコイル、超音波!オーベム十万ボルトです!」
『ひより!』
「ッ美玖さんミラーコート!ココちゃん空を飛ぶ!」
風圧に髪を揺られながら、透明な壁が十万ボルトを弾き返すのをしっかり見る。ココちゃんの方も超音波をしっかり避けてジバコイル向かって羽を叩きつける。浮いていたジバコイルがふらついたが、すぐに体勢を整える。……ふと、淡い光が飛び散った。しんぴのまもりの効果が切れたようだ。
『……く、』
『美玖!?』
ココちゃんの声に視線を向ける。……美玖さんが、麻痺している。どうして?オーベムの十万ボルトは全てミラーコートで防いだはずなのに……、
「"シンクロ"。オーベムの特性ですよ」
ハッと視線を上げてオーベムを見ると、あちらも麻痺をしていた。
無意識に鞄を開けて傷薬を握っていたものの、甲羅にある×マークが目に飛び込んできては乱暴にそれを再び詰め直す。
「ひより」
「グ、グレちゃん……」
突然、肩に乗せられた手に驚いて振り返るとグレちゃんがいた。いつの間にボールから出ていたのか。驚きながら彼を見上げてから、真っすぐ前を見たままの視線に釣られて私もまた前に戻す。
「慌てるな。焦るな。もっと心音と美玖をよく見るんだ」
「見てるよ……っ!でも追いつかない!」
「追いつく。お前なら出来る」
「…………、」
「いいか、ひより。二人をもっと信じろ。お前が思っているよりずっと強くなっている。……本当に心配なんていらないぐらいに、な」
ふと、ココちゃんが動いた。美玖さんの横、瞳を閉じてから羽を大きく広げる。瞬間、美玖さんの身体が緑色の光に包まれた。緑と黄色が入り混じる不思議な光は波紋のように広がっては消えている。その光景に息を飲み、またアクロマさんの液晶画面に置いている手が引っ切り無しに動いているのが見えた。
『リフレッシュ……』
『ひとつ貸しよ、美玖』
『はは、分かってます。ありがとうございます、心音さん』
美玖さんに纏わりついていた電気が消えた。それと同時だろうか。床からも電気が消えて、元の色へと戻って行く。エレキフィールドの効果も切れたようだ。
『ひより、指示を!』
『今がチャンスよ、ひより!』
振り返り、私を真っすぐに見てくれる二人に目を大きく見開き、いつの間にか開いていた拳を再びゆっくり握りしめる。
「──……ひより、お前は最高のトレーナーだ」
だから、大丈夫。
それだけ言うと、グレちゃんはゼブライカの姿に戻っては自分でボールのスイッチを押して戻っていった。ボールを撫で、手を下ろす。……根拠なんてどこにもないくせに。でも、でも。
目の前の景色が変わる。ふつふつと湧きだす自信と、輝く舞台。そうだ。私は、ココちゃんと美玖さんの"トレーナー"だ!