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トウヤくんから再び連絡があったのはその四日後だった。プラズマフリゲートを見つけ、シキさんの案内もあり、中への侵入もスムーズに出来ていたそうだ。……彼が現れるまでは。

狭い空間での吹雪は、私たちからしたら本当に命取りだ。トウヤくんたちも戦闘態勢に入っていたものの、如何せんあの氷を溶かせるポケモンがいない。これ以上は限界だと判断し、今は一度船を出て外から様子を伺っているらしい。トウヤくんたちが至近距離にいることを分かっているのに、彼は追ってこないし船も飛ぶ様子がないという。……どうにも不自然だ。

「……行こう、ひより」
「セイロン、」

トウヤくんの事情を聞くと、私も行かなくては。と思う。ここまで来て引き返すことも出来ないけれど、どうしても立ち止まってしまうのはまだ身体に恐怖が残っているからだ。
チョンは未だ片翼が動かせないし、グレちゃんも時折傷が痛むのか表情を歪ませているところを見かける。こんな状態で戦闘に入りたくない。それが、本音だ。
……けれどもう、時間がない。
現在プラズマフリゲートが留まっているジャイアントホールは、すでに氷の世界になっているらしい。私がうじうじしている間にも、イッシュ地方の氷漬け計画は進んでいるのだ。

「うん。……行こう」

もう、後には戻れない。震える手を片手で包んで隠したまま、私は静かに頷いた。





セイガイハシティを抜け、以前アクロマさんと出会った場所へ再び来た。今度はその先を進み、洞窟の前で足を止める。……ジャイアントホール。ボールをひとつ取り出してスイッチを押す。

『ひより姉さん、大丈夫?』
「大丈夫。よろしくね、陽乃乃くん」
『うん。僕に任せて』

一歩足を踏み入れると、そこは闇だった。ぶるりと震えあがる前に、陽乃乃くんが背中の炎を大きく燃え上がらせて洞窟内を仄明るく照らし出す。なんだかエンジュジムを思い出すなあ。当時の陽乃乃くんは暗闇をずんずん進んでいたけれど、今はこうして頻繁に後ろを振り返っては私を気にしてくれているのを見ては、ついしみじみしてしまう。

「大人になったんだねえ……」
『……え?何?』
「ううん、何でもないよ」
『そう?何かあったらすぐ言ってね』
「ありがとう、陽乃乃くん」

成長を嬉しく思う反面、その過程を傍で見てあげられなかったことが悔やまれる。
そうして陽乃乃くんの後ろをゆっくり歩いていくと、外からの光が漏れている場所を発見した。大きな長い階段を一段ずつ慎重に降りる度に、冷たい風が顔に当たってどんどん頬を冷やしてゆく。一番下へと下りた時、吐いた息は真っ白になっていた。

「──……なに、ここ……」
『木も石も、全部凍ってる……』

洞窟を陽乃乃くんと一緒に抜けると、一面に白い森が広がっていた。
身体を震わせながら陽乃乃くんに寄り添い、その景色を唖然たる面持ちで見回す。まるで、ここだけ季節が冬になっているようだ。剥き出しの地面にも霜が降りていて、足を一歩踏み出すとシャク、と気持ちいい音が鳴る。空は灰色で塗りたくられ、今にも雪が降ってきそうだ。

『……姉さん、僕の後ろに』
「え?」

途端、陽乃乃くんが長い胴体で私を囲うように左から右側へと四つん這いで移動した。前足はしっかり地面を踏みしめたまま、ぐるる、と低い声を出す。……私には何も見えないし聞こえない。けれど陽乃乃くんの視線の先にある林に、きっと何かがいるのだ。息を飲み、両手は他のボールに添える。

『……待ってくれ、オレだ』

がさり。林が動いたと思うと一気に成長した。……、と思えば、そこから茶色の角と可愛らしい耳が顔を覗かせる。体勢を元に戻す陽乃乃くんの後ろ、胸を撫でおろしてからその林に近づく。

「なんだ、シキさんだったんですね。もう、驚かさないでくださいよ」
『驚かすつもりはなかったが、驚いたのなら謝ろう』

首を斜めに倒しながら、私の腰に付いているボールに鼻先を当てているようだった。激しく揺れているボールはきっとあーさんだろう。
シキさんの角に生えている青々とした緑色の葉っぱが容赦なく顔を埋めてくるから手で葉を退けていると、やっと気づいてくれたのか、シキさんが一言私に謝りながら再び背筋を伸ばす。

「シキさん、これは……」
『キュレムの力だ。プラズマ団の機械を通して作られた氷で厄介極まりない』

そう言いながら目を細めて不満げに鼻を鳴らし、角で私と陽乃乃くんに"ついてこい"と合図を送る。ゆっくり歩みを進めるシキさんの後ろ、どんどん先へ進んでゆくにつれて地面すらも凍っていて、歩みも次第に遅くなる。

「うわ、ここ本当によく滑る……わっ、!」
『……っと、!危なかったあ』

後ろに傾いた直後、陽乃乃くんが背中を押してくれたおかげで倒れずに済んだ。そんな私に見兼ねたのか、カッカッと音を鳴らしながら戻ってきたシキさんが足を曲げて胴の位置を低くしてから私を見る。

『ひよりさん、オレに乗れ。危なっかしくて見ていられない』
「で、でも、」
『それなら僕が乗せようか?』
『いや、陽乃乃も擬人化して乗ってくれ。さっきから何度も滑っているだろう』
『うっ……み、見られてたんだ……』

そういいながら陽乃乃くんが渋い表情を浮かべる。
シカよりもトナカイ寄りなのか。なんてどうでもいいことを考えながら、シキさんのお言葉に甘えることにした。大人しく擬人化をする陽乃乃くんを見てからシキさんの背中に手を添えると、なぜか空かさず"ストップ"がかけられる。

『ひよりさん、陽乃乃を前にしてくれ』
「どうしてですか?」
『以前グレアに乗っている姿を見たが、思い切りしがみついているようだった。あれでは当たるだろう』
「当たる?何がですか?」
『胸が』
「胸」

抑揚の無い声に加えてポケモンの姿だから余計分からない表情で、自分の耳を疑うような言葉を発したシキさん。私も思わず無表情で聞き返せば、やはり返ってきた言葉からは何の感情も分からない。
そんなシキさんを見つめてから、静かにグレちゃんのボールを鷲掴みして自身の目の前まで持ち上げた。……ボールは静寂を保っている。

「グレちゃん、後でゆっくり話そうね」
『ま、待て。誤解だ。俺はそんなこと一度も考えたことはない』
『その話し合い、わたしも参加するわ』
『あ、じゃあ俺も!グレちゃんの情けない顔が見れると思うとわくわくする!』

ようし、帰ったらグレちゃんとココちゃんとロロと私、四人で楽しい話しあいをしよう。にこにこしたまま静かにボールを腰のベルトに戻して、いつの間にか先にシキさんの上に乗っていた陽乃乃くんの後ろに乗った。
そうして改めて瞬きを数回繰り返す。……掴まるところがどこにもない。迷ったあげく、陽乃乃くんのお腹あたりに腕を伸ばしてぎゅうと掴んだ瞬間、肩が大きく飛び上がる。それにびっくりして思わず小さく声をあげると、言葉にならない声が聞こえた。

「あ、……」
「突然掴んでごめんね、びっくりしたよね」
「うっ、ううん!?そんなことないよっ!?」

行くぞ。シキさんの声がして視線がグッと高くなった。慌てて陽乃乃くんにしがみ付き直して、氷を蹴り上げる蹄の音を聞く。
待てよ。もしや陽乃乃くん、……シキさんがあんなことを言うから変に意識してしまっているのかもしれない。いや、だけど、あえて腕の力を抜いて冷たい氷の上に落とされるなら少しだけ陽乃乃くんに我慢してもらったほうがいいのでは。
……──グラリ。何かを跨ごうとしているのか、シキさんが少しばかり斜めになる。咄嗟に力強く陽乃乃くんにしがみつくと、ひくりと喉が鳴る音が聞こえた。

「かっ、顔!押し付けてるのは顔だからね、陽乃乃くん!?」

分かっているだろうけど、一応すぐさまフォローを入れると思い切り頭を上下に振り回す陽乃乃くんが見えた。……なんだかちょっと面白いな、なんて思ってしまったのは内緒だ。



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