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ばちり。ポケモンセンターにあるバトルフィールドの自動扉を抜けると、電気が走る音がした。
しばらくセイガイハシティにいるけれど、本当に観光客ばかりである。トレーナーを見ることが少ないおかげで、今日もこのバトルフィールドは貸し切り状態だ。

「うん、だいぶ動きも良くなってきたんじゃないかな」
「あ、あんなに動いて大丈夫なんでしょうか……?」
「それは本人が一番良く分かっているだろうし、心配ないよ」

炎がフィールドを埋めつくす。こんなに距離があるのにこっちまで熱さを感じるなんて、すごい威力だ。階段を上りながら美玖さんの後に続いて客席に座り、冷やしてきた飲み物すらも生ぬるくなってしまいそうだなあとぼんやり思った。

炎が燃え盛る中。土を蹴りあげ走りだすグレちゃんを、その場で体勢を低くした陽乃乃くんが目で追う。距離はすぐに縮まって、もう目の前にやってきたというときだ。グレちゃんが思い切り前足を上げて身体を斜めに仰け反らした。瞬間、直下に落とされた足が地面を揺らす。つい先ほどまでそこにいた陽乃乃くんの姿は無く、土埃に紛れて大きく迂回しながら走っている姿が見えた。

「陽乃乃くん、本当に強くなってる……!」
「毎日欠かさず、ひとりでも特訓しているみたいだし、オレもバトル練習に付き合っているからね。素直にアドバイスを聞いて、ひたむきに頑張るのもヒノの良いところだよ」

後ろ、陽乃乃くんが素早く動きを止めてぐっと空気を吸い込む。咄嗟にグレちゃんも身体を捻って振り返り二本の角を光らせた。一瞬、フィールドが光で真っ白になったと思うと炎と雷が地面を抉って爆発する。
風圧に目を細め、黒い煙に咳をすると、ふと、二人がぴたりと止まった。

「……なるほどね。これならオレでも、心音さんに教えてもらわずに分かるな」
「?、何がですか?」
「さあ?」
「……美玖さんの意地悪」
「ほら、行こう。ヒノもグレアもへとへとみたいだよ」

笑いながら階段を下りてゆく美玖さんに促され、私も席を立つ。

──……グレちゃんが目を覚ました次の日からバトル練習は行われていた。
まだ完全に治っていないのに。なんて心配をしているのは私ばかりで、本人は早く感覚を戻したいとベッドを勝手に抜けだすし、他のみんなも"好きなようにやらせておけ"と放任しているんだもの。チョンのリハビリがゆっくり進んでいくことしかできないぶん、余計グレちゃんの行動が目に付いてしまうのか。まあ、言ってもこういうところは曲げてくれないことは分かっているから私もすでに放任気味ではあるけれど。

「二人ともお疲れ様。まだ続けるの?」
「ああ、もう少しな」

擬人化してからのんびり歩いてフィールド外に出る二人にタオルとペットボトルを手渡した。すでに大量の水滴が付いてしまっていたものの、きっとまだ冷たいはず。汗を拭いながら私の問いに答えてペットボトルに口を付けるグレちゃんを見てから、陽乃乃くんの元へ向かう。

「ひより姉さん、いつからいたの?全然気づかなかったよ」
「ついさっきだよ。陽乃乃くん本当に強くなったね。……あのね、すごくかっこよかったよ!」
「……んぐっ!?」
「ああっ、陽乃乃くん零してる!ほら!」

急に咳き込む陽乃乃くんの前にしゃがんで、タオルで零れた水を下から順に拭いていく。そうして口元まで行ったときに、少しばかり尖らせている口先に「ああ、またやってしまった」と慌てて手を引っ込めた。……ど、どうもまだ陽乃乃くんは小さい弟のような感じがしてしまって、つい余計なお世話をしてしまう。

「ひより姉さん、手を出して」
「手?」

そういうと、陽乃乃くんも手のひらを正面にしたまま私に向けた。それを真似して私も手を広げたまま前に出すと、手の平が下から順にゆっくり重なってゆく。私の方から陽乃乃くんの重なっていない部分の指が見える。横幅も陽乃乃くんの方がはみ出ている。

「……陽乃乃くんの方が、手大きい、」
「そう、僕の方が大きいよ。それに、」

合わせていた手が離れたと思うと手首を掴まれ、ぐいっと前へ引っ張られた。そのまま前へ身体が傾き、一瞬で倒れて陽乃乃くんへとダイブする。

「ひの、」
「それにほら。……僕の方が身体も大きいし、力もある」
「男の子、だもんね……?」
「"男"だよ、ひより姉さん」

濃緑の髪の下、赤い瞳が細まるのが見えた。それに一度目を見開いてから、目線をさりげなく外して小さく静かに頷く。
……そ、そうか。きっと陽乃乃くんは、"もう子どもじゃない"ってことを私に思い知らせたんだ。うん、よおく分かった。分かったけど、なんだろう。大人っぽすぎて、妙にドキドキしている。

「……なんてね!急に引っ張っちゃってごめんなさい。姉さん、大丈夫?」
「う、うん……」

手を握って立ちあがる手伝いをしてくれる陽乃乃くんに頷くと、にこりと笑顔を返される。それもなぜか直視できなくて、火照る頬のまま曖昧な笑顔で返すと陽乃乃くんが小さく声を漏らして笑っていた。なんとなく満足気に見えるのは気のせいだろうか。

「……ひより」

斜めに逸らした目線の先、座っていたグレちゃんが私に向かって小さく手招きをしていた。陽乃乃くんに目配せをしてから再びグレちゃんのところに戻ると、無言のまま私を見上げる。なぜ私を呼んだのか。その意図も分からずジッと見つめてくるグレちゃんとにらめっこをしていると、不意に伸びてきた人差し指におでこをズン!と突かれた。

「なっなに!?なんなのグレちゃん!?」

熱を帯びるおでこを片手で押えながら食いかかってみるけど、返ってくる言葉はない。
代わりにグレちゃんはペットボトルを地面に置いてから立ちあがると、私の頭の上に手を乗せて思い切り掻き乱す。……こ、これはあーさんに負けず劣らずの撫で方だ。そう思いながら無言で通り過ぎてゆくその背を見る。それに続いて陽乃乃くんも再びバトルフィールドに駆け足で戻っていた。

「確かに、これは見ているぶんには面白いなあ」
「美玖さん!?どういうことですか!?」
「さあ。自分で考えてごらん」
「美玖さんの意地悪!!でも好きです!!」
「お。おしいなあ」
「なんのことですか!?」

美玖さんと話しながら客席へと戻る。下で炎と電気の激しいバトルが続く中、上でも私と美玖さんで他愛のない話で盛り上がる。
リハビリを終えたチョンとそれに付いていたココちゃんとあーさん、そして二人で何やら話していたセイロンとマシロさん。なんとみんなが揃うまで、バトルは続いていたのだった。



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