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折り紙が一枚、床に落ちた。
慌てて立ちあがった椅子が大きな音を鳴らして床を擦る。
『……おはよう、ひよりー』
「―……ッチョンンンっ!!」
クルルルッ、という鳴き声に混じって聞こえる暢気な声に、私は大きく息を吸い込んでから床を力強く蹴り上げた。
ふわりと、彼は笑う。
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今日も晴天。カーテンを開けて窓を開く。そして椅子に座って、一人黙々と鶴を作っていたときだった。
ふと、何かが動く音がした。ゆっくり視線と顔を上げてベッドへ視線を向けると、片翼が動いていたのだ。台をグッと押して全体重を片方の翼にかけているからか小刻みに震えているのが見えた。それでもなんとか体勢を整えてうつ伏せから仰向けになったチョンは、確かに私に"おはよう"と言ったのだ。
「……はい、特に身体に問題はなさそうですね」
「はいいいっ!」
「ただ、起きたばかりで体力もかなり落ちているので無理をしてはいけませんよ」
「はいいい……っ!」
半泣き状態でチョンを抱きしめたままジョーイさんの話を聞いていた。重要なことは私の口から伝えたいため伏せておいてもらったこともあり、診断はあっという間に終わり、部屋には私とチョンだけ残される。
『ひよりー、そろそろ放してよー』
「もうちょっと……っもうちょっとだけだからあ……っ!」
『……仕方ないなあー』
ここ最近、泣きすぎではないか。いや、私自身分かっているけれど、これは嬉し泣きだからノーカウントだ。ケンホロウはこの胸の部分が特にふわふわしていて気持ち良い、んだけど、……急に硬くなってしまった。それにすこし残念に思いつつ、それでもやっぱり"生きている"という証拠を感じたくて構わず抱きついていると、そっと頭に片手が添えられる。もう片方の腕は、動かない。
「……オレ、もう飛べないかも知れないんでしょう」
ハッとして顔を上げると、泣きそうな顔で笑顔を浮かべるチョンがいた。その表情にグッと息が詰まっては、また唇を噛みしめる。
「だって、オレの身体だもん。言われなくても分かるよ」
そんな顔、見たくない。でも、そうさせているのは私だ。すぐにでも目を逸らしたいところを堪えて、絞り出すようにやっとの思いで声を出す。
「……ごめん……っ本当に、ごめんなさい……、っ!」
「……謝らないで、ひより。オレが欲しい言葉は、それじゃない」
親指で目元をそっと拭ってもらうと頬に添えられている手に雫が零れ、チョンの手の甲をゆっくり伝って落ちてゆく。
謝って済むものではない。それはよく分かっているけれど、どうにか許しを乞いたくてやっとの思いで言葉にした。けれど、違うと言われて。……謝罪のほか、私が思っていることは、。
「チョン……生きていてくれて、ありがとお……っ!」
なんとか言い終えてむせび泣きとともに胸元へ顔を埋める前。チョンが目を見開いているのが少し見えた。
「ちょっと違うけど、……まあ、いっかー」
久しぶりに聞くゆったりとしたその声に、また涙が止まらない。私の背中に回っている片腕にしっかりと抱きしめられながら縋るように鳴いていると、ふと、名前を呼ばれる。
「ひより、見て」
「……?」
ゆっくり顔をあげると、チョンはそっと腕を広げて見せる。大きく広がる片腕と、びくともしないもう片方のうで。
「オレの翼は、まだあるよ。……だからまた、飛べる。ううん、絶対に、飛んでみせる」
「……っ、」
「──……オレ、絶対にまたひよりを乗せて、あの大空を飛んでみせるよ。だから……楽しみに、待っていてくれると嬉しいな」
どうして。
「……っうん、うん……っ!待ってる、待ってるよ……っ!」
どうして、もう飛べないかも知れないと分かっているのに。どうしてそんなに自信満々に言えるのか。どうして笑いながらそう言えるのかが、分からなくて。でも、その言葉を信じたくて。
「あー、ひより、泣かないでよー……オレ困っちゃうよー……」
「っうう、……困らせて、ごめん……っ」
また思いきり抱きつきながら顔を埋めると、あやすように私の背中を撫でてくれる。
──……見ていてね、ひより。
呟くように言いながら、開け放たれた窓の向こう側。青く澄み渡る大空を見ては目を細めていた姿から、私はしばらく離れることができなかった。