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あれから早、三日が経った。依然、チョンもグレちゃんも眠ったままである。
この三日間、私はココちゃんたちと一緒に居た。本来ならロロたちとも話したいところだが、私が彼らの部屋を訪れてもなぜか誰もいないのだ。居るとすれば、たまにマシロさんがひとりでお茶を飲んでいるのを見かけるぐらいだろうか。
ロロとセイロンとあーさん。各々、どこで何をしているのかは分からないけれど、そこまで聞くほど私も野暮じゃない。

「心配しないでも平気さ。夜にはみんな帰って来ているよ。まあ、時間帯はバラバラだけどね」

苦笑するマシロさんと共に話したのは、昨日のこと。
……私は、今をとても痛感している。仲間がひとりでも欠けた瞬間、なんと空気の重くなることか。今回は原因が原因だから仕方の無いことかも知れない。けれど、ここまでバラバラになってしまうものだとは思ってもみなかった。
どうすればいいのか分からない私は、ただひたすらに二人が目覚めることを祈るだけ。……このままでいいとは思っていないけれど、たった一歩の踏み込み方すらわからない。

「……いい天気だなあ……」

カーテンを両端に寄せ、窓を開ける。そよそよと優しい風が入る病室に、二人はいた。
峠は越えたため、集中治療室から普通の病室へと移されたのだ。様々な機械やたくさんの管が蔓延っていることに変わりはないものの、面会規制も無くなったことは嬉しい。

「さて、今日は……何、しようかな……」

きっと探せばやることは沢山あるんだろう。けれど、何もやる気が起きない。かと言ってココちゃんたちにこれ以上甘えることも出来ないし、きっと今日も私はこの病室で一日を無で終わらせるに違いない。
……ふと、部屋にノック音が鳴る。
誰かと思ってゆっくりドアを開けると、美玖さんが立っていた。「やっぱりここにいたんだ」なんて苦笑いをしながら中へ入る。

「……まだ、目覚めないんだね」
「…………はい」
「大丈夫、きっともう少しで起きるよ」
「……はい」

美玖さんに頷きながら、視線を少し下げてしまった。
信じていたい。けれど本当に二人が目覚める日が来てくれるのか。どうしても分からない不安に駆られては、心が折れそうになってしまう。
美玖さんはそんな私の手を握ると、なぜか部屋の隅に設置されている簡易テーブルまで連れてゆく。されるがまま一緒に行って、促されるように椅子に座った。

「ひよりは、折り紙って知ってる?」
「?、はい。私のいた世界にもありましたよ」
「そうなんだね。……じゃん。沢山買ってきたんだ」
「わあ!なんだか……不思議な色の折り紙ですね……」

テーブルに広げられた、透明な袋に入ったままの折り紙。もしかするとこの世界ではこういう色は普通に出回っているのかも知れないけれど、私にはどれも何となく不思議と綺麗に見えた。
眺めていると、美玖さんが袋を開けて一枚手に取る。それから今度はペンを取り出して折り紙の裏面に文字を書いていく。

「昔、殿に教えてもらったことを思い出したんだ。……こうやって折っていくと……、ほら、鳥ポケモンみたいな形になるんだよ。これを千羽作って、最後に糸で綴じて束ねるんだって。そうすると、願い事が叶うらしい」
「──……千羽鶴、」
「へえ、ひよりの世界では千羽鶴って言うんだね」

興味深そうに頷くと、再び美玖さんは折り紙の裏面に文字を書いてから折りはじめる。
私も真似してペンを持ったものの、そのままなかなか動かすことができなかった。祈りをこの四角に収めることは出来ないし、他に何か書くことと言っても……何も、思い浮かばない。

「文字を書くと、心が落ち着いたり冷静になるらしい。ポケモンは文字を書くことがないからね、殿に教えてもらったときはなんだか不思議な感じがしたよ」
「……美玖さん、字も上手いんですね」
「それはまあ、……沢山練習したからね」

苦笑いする美玖さんにそっと視線をあげると、ぽつりぽつりと話し出す。

「ポケモンには文字なんて必要ないだろう?なのになぜか殿がオレに覚えさせようとするからさ、反抗して家を飛び出したことがあったんだ」
「えっ、美玖さんも反抗期があったんですか?」
「そうだよ。こうみえて、カメールの時はすごく荒れていたんだぞ」

思わぬ情報に驚きながら、楽し気に話す美玖さんに釣られて笑みが零れる。……あ。私、まだ笑えるんだ。

「その時に、まあ……オレのせいで殿が大怪我したことがあってね。いい子になるから、どうか早く殿が目覚めてくれますようにって、文字を覚えるために泣きながら書いていたんだ」
「……そうだったんですね」

ペンを置いて、また紙を折りはじめる美玖さんの手元へ視線を向けた。迷いなく、折り進めている。

「必死でやっていたからね。文字を書けるようになってからは、今までのことや、これからのことを書いていたんだ」
「今までのことと、これからのこと……」
「過去はどうしても変えられない。だから過去を振り返って反省してから、じゃあ、未来はどうしたいのかを考えたんだ。……殿が目覚めたとき、暗い顔のままの自分を見せたくなかったからさ」
「…………」
「これからのことと言っても、大したことは書いていないよ。"殿より美味しい物を作れるようになる!"とか、まあ、やりたいことを書いていたかな。……未来を考えるのは、楽しいよね」

今の話、内緒だよ。、美玖さんがそっと人差し指を鼻先に当てながら私に微笑む。それに頷き返すと、美玖さんは手元にあった折り鶴をそっとテーブルの端に動かしてから立ち上がる。

「ヒノにバトル練習を頼まれているから、オレはそろそろ行くよ。ああ、折り紙はひよりにあげる。使っても使わなくても、どちらでもいいからね」
「……美玖さんっ!」

去る間際、美玖さんの手を咄嗟に掴んでは両手できつく握りしめた。彼は振り返ると目を見開きながら私を見下ろし、そうしてサッと屈んで目線を合わせてくれる。どこまでも、優しい人。

「美玖さん、ありがとうございます。……元気、でてきました。美玖さんがいてくれて、本当によかった」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。……うーん、そうだな。もっと元気になってもらえるように、今夜はひよりが好きなものを作ろうかな?」
「……いいんですか?たくさんリクエストしちゃいますよ」
「デザートばかりじゃダメだぞ」
「あ、やっぱりダメですかあ……」

二人で小さく笑ってから、再び立ち上がり部屋を出ていく美玖さんに手を振った。
それを見送ってから椅子に座ったまま、一度大きく身体を伸ばす。……それからそっとペンを握っては、折り紙に文字を書き始めた。

──やっと、私の"今日"が始まる。





「あっ!ロロ、おかえりなさい!」
「……おかえり、ロロにい」
「おせぇぞ、ロロ!どこまで行ってたんでぇ?」
「今日も随分と遅かったね、ロロ」
「…………た、だいま……、?」

幻聴、ではなかった。数日ぶりに誰かの笑い声を聞いたし、「おかえり」という言葉も久しぶりだ。
呆然としながら扉の前に立ち尽くしていると、椅子に座っていたひよりちゃんがすぐ目の前まで駆けてきたは「わあ、泥だらけ!」なんて言う。それから擦り傷をすぐ見つけると、笑顔が瞬く間にしかめっ面に変わっていた。

「まずお風呂、それから手当て!いい?」
「……う、うん、」

背中を押されて、唖然としている間に浴室へと押し込められた。なんだか……あれから今までのことが、全部夢だったみたいだ。
今朝、窓からこっそり見た時のひよりちゃんは、ひとり思いつめた表情を残したままだったのに。いったい、誰がどうやって彼女を引き戻したのか。俺には出来なかった、……いいや、やろうともしていなかったけれど、こういうことをやってのけてしまう存在がグレちゃんの他にも居たのだと思うと、……少し、納得がいかない。

「──……でも、まあ、」

……また、戻ってきたんだ。
そう思うと嬉しくて、つい緩んでしまった表情が鏡に映って慌てて口元を引き締めた。でも嬉しいものは嬉しい。また緩む口は放っておいて、さっさと服を脱ぎ捨てた。





ロロたちがいる部屋で、夕方から待ち伏せをしていたのは大正解だった。
三人揃って、部屋の扉を開けて私の顔を見るなり、まるで化け物を見たかのような顔をするんだもの。流石にムッとしてしまったけれど、それからは以前と変わらず話すことも出来たから内心とても安心している。こんなことなら……もっと早くに私から歩み寄っていればよかったと、少し後悔もする。
でも美玖さんが言っていたとおり、過去は変えられないから。これからの、楽しいことを考えよう。

「折り紙?知らねぇなぁ」
「……俺も、知らない」
「聞いたことはあるけれど、実際に作ったことは無いね」
「じゃあ、一緒にやってみよう!」

イッシュ地方出身の彼らは、折り紙を知らなかった。当たり前のような意外な事実に驚きつつ、ゆっくり時間をかけて一緒に折れることが私はとても嬉しかった。一番最後に帰ってきたロロも入り、みんなでゆっくり丁寧に折ってゆく。

「ねえ、このしわしわのやつ、誰が作ったの……?」
「俺だぜぇ」
「……下手」
「おっ、俺ぁ細けぇ作業は苦手なんだよぉ!」

指で鶴を摘みながらいかにも「なんだこれは」という表情で見ているロロと、ぽつりと率直な意見を述べるセイロンにあーさんが食いかかる。そのやりとりにくすりと笑うと、ひとり、窓際で折っていたマシロさんも小さく笑う。

「でも、あーさんなりに丁寧に折ってくれているんだよね?」
「もちろんだ!」
「なら、それで充分だよ」
「流石嬢ちゃん、分かってくれてるよなぁ」

わしゃわしゃと頭を撫でられた後、あーさんは満足したように次の折り紙を手にとっては早速折り目を間違えていた。あれがしわしわになる原因だろう。そう思いつつも口は挟まず、乱れた髪を手で直していると横から別の手が伸びては私の髪をそっと摘む。

「これ、ひよりちゃんが思いついたの?」
「ううん、美玖さんが教えてくれたの」
「……なるほど、美玖くんだったか。ならいいや」
「?」

何がいいのか。よく分からないけれど、ロロは私の髪を直し終わると何事も無かったように折り紙をはじめていたからきっと大したことではないんだろう。セイロンに袖を摘まれ、私もロロから視線を外す。

……五人で一時間ほど作っただけだ。それでも束が何本かできそうなぐらいは溜まった。満足気に眺めていると、部屋の扉がゆっくり開く。そうしてやってきたのはココちゃんで、すぐさま睨みを利かせるセイロンに対抗しているのか眉間に皺を寄せていた。

「ココちゃん、どうしたの?」
「どうしたの、じゃないわよ。何時まで経ってもひよりが戻ってこないから心配で迎えにきたの」

言われて気づいて時計を見ると、すでに深夜二時を回ろうとしていた。慌てて折り鶴をかき集めて、紙袋に丁寧に入れる。その間にも繰り広げられる冷戦は見なかったことにしよう。私の服の裾を掴んだままのセイロンに謝ってから、ココちゃんの元へ行く。

「……ひより、こっちで寝ないの……?」
「あら、ひよりはわたしと一緒に寝るのよ。残念だったわねえ?」
「……あなたには聞いてない」
「あらそう?余計なこと言っちゃってごめんなさーい」
「…………」

ロロたちとアイコンタクトを交わす。無言の頷きにココちゃんの腕を引きながら、取っ手を握った。紙袋に入った色とりどりの折り鶴を上から少し眺めてから手を振りながら「おやすみ」の挨拶をする。
ばらばらに返ってくる「おやすみ」の一言が、今はとても嬉しかった。
また明日、「おはよう」が聞けると思うと……また幸せで、明日がとても待ち遠しい。



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