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トウヤくんとチェレンくん、そしてシキさんの三人は、私たちがプラズマフリゲートからテレポートする以前にダークトリニティによって船外に連れ出されていたらしい。
そんな彼らはその時の私の見てくれや尋常ならぬ雰囲気を察してなのか、何気ない挨拶程度の言葉だけを交わしてプラズマフリゲートが飛んで行った先へいち早く向かっていた。
「俺たちで片付けるよ。だから、ひよりはゆっくり休んでいて」
笑みを浮かべるトウヤくんに甘えて、静かに先行く彼らの背を見送った。
内心。彼らがここに留まるということにならなくてよかったと安心してしまった自分に気づき、また相当自分に余裕が無いことを知る。
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正直、なんと言葉をかければいいのか分からなかった。それは俺だけではなく、きっとボールに入ったままだった彼らもまた同じだろう。
ひよりちゃんが、俯いたまま小さく震えては謝る姿は見ていることすら辛かった。しかも謝る彼女に返す言葉が誰一人見つからず、無言のまま、逃げるように部屋を去っていく姿を見送ることしかできなかった。
パタン、と閉まる扉とともに、再び訪れる無音。
……ひよりちゃんに会いたくないわけじゃない。けれど、顔を合わせにくいのだ。謝るのはこっちなのに、それすらもできる雰囲気ではない。
あの場に立つことすら許されず、本当に何も出来なかったこの居た堪れ無い気持ちはどうすればいいんだろう。
「…………」
──雨が、いつの間にか降ってきていたようだ。まるで誰かの涙のように、静かにしとしとと降り続ける雨を窓から眺めては拳を握っていた。
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顔を合わせることができなかった。ただ、謝るしかできなかった。
それに何も返される言葉もなく、結局逃げるようにあの部屋を出ては、またココちゃんたちのいる部屋で慰めてもらっている。……本当に、情けない。
「ロロさんたちにも色々思うことがあるんだろう。……今はそっとしておいたほうがいいかもしれないね」
「そうね、美玖の言う通りだわ」
やっぱり、この空間は居心地が良い。それにまた泣いてしまいそうになるのを抑えて、スッとソファから立ち上がる。
私も心身ともに疲れてしまっているのは事実だ。これ以上心配をかけないためにも、早く気持ちを切り替えなくては。今日はもう寝ることを告げると、不意に陽乃乃くんの名前が呼ばれる。
「陽乃乃、ひよりに付いていてあげなさい」
「……ぼっ、僕……?」
「ココちゃん、別に私は一人でも、……」
「あら、誰かがそばにいたほうが良く眠れると思うのだけれど」
若干楽しそうな表情が引っかかるものの、ココちゃんの言葉はきっと正しい。
目を閉じるとソウリュウシティでの爆撃の音が耳を掠めることもあるし、実のところ今日は特に眠れない気がしていた。またしても甘えてしまい、陽乃乃くんに手招きをすると慌ただしくマグカップが置かれる音がする。
「み、美玖さんも一緒に……!」
「オレ?」
「美玖」
「、だそうだ」
するどい眼光に制止された美玖さんが肩をすくめる。それに陽乃乃くんがわなわなしてから諦めたように立ちあがった。……な、なんだろう。もしかして私、陽乃乃くんに嫌われてしまった……?
謎のやり取りに不安になりつつ、それでも来てくれた陽乃乃くん越しにココちゃんと美玖さんに「おやすみなさい」と声をかけて扉を閉める。
「……」
「……」
部屋に入ると雨の音が聞こえてきた。窓を見れば水滴がいくつも付いている。……いつの間に降り始めていたんだろう。
それを見てから後ろを振り返り、視線を下へ向けている陽乃乃くんを見上げてみる。
「……私、陽乃乃くんに何かしちゃったかな」
「え、?」
「その、さっきも私に付き合うの渋ってたし、もしかしたら嫌われちゃったのかなあって、」
「そっ、そんなことあるわけない!だって僕はひより姉さんのことが好、……っあ!」
陽乃乃くんが顔を真っ赤にしては目を泳がせる。その表情が可愛くてクスリと笑うと、下唇を噛んだまま横目で見られてしまった。それすらも可愛くみえるけど、もうからかわないでいてあげよう。
それからゆっくりベッドに潜って肩まで毛布をかけてから、身体を横にしながら片腕で毛布を少しだけ持ち上げた。
「陽乃乃くん、おいで」
私の言葉に陽乃乃くんが視線を上げて、立ち尽くしている。
どうしたの?、声をかける前に、陽乃乃くんが話し出す。
「……ひより姉さん。姉さんは、……僕のこと、どう思う?」
「陽乃乃くん?もちろん、大好きだよ」
「……そう、だよね」
困ったように笑い、頷く。
質問の意図がよく分からないけれど、陽乃乃くんがバクフーンの姿に戻るのを見ては忙しく手招きをしてしまう。だって、なんだろうこの可愛い耳は!もふもふな尻尾は!
のしのしとやってきたバクフーンがベッドに潜るとギイ、と小さく音が鳴る。私の真横、うつ伏せになるその姿は、まるで潰れた大きなお餅の如し。
「うわあー……もふもふだあ……!」
『……ね、姉さん。触りすぎじゃないかなあ……』
「今日だけは許してえ……」
ぎゅうっと思い切り抱きついては頬を擦り寄せる。シャンプーのいい匂いがするし、ふわふわで温かい。愛おしさが爆発してしまう。
ひとしきり撫でたあと、バクフーンに顔を埋めたまま今日のことを思い出す。
「……陽乃乃くん、今日は本当にありがとう。陽乃乃くんのおかげで助かったよ」
私の言葉のあと、わずかに間を開けてから陽乃乃くんがそっと話し出す。
『……あのね。ひより姉さんがいなくなった後、心音姉さんと美玖さんと僕でポケモンリーグまで行ったんだ。沢山特訓して、沢山戦って。──全部、この日のために頑張ってきたんだと思うんだ』
「…………うん」
陽乃乃くんにとって、あれからすでに二年は経っている。色んな経験をしてきたうえで"この日のために"と言われると、……なんとも、複雑な感じがした。
「……」
『……』
とても暖かくて心地いい。しとしとと降る雨音は聞いていて心が落ち着く。私の目はもう完全に閉じていて、いつの間にかバクフーンに抱きついたまま眠っていた。……背中にそっと回された腕に気づかないほど、深い眠りに落ちていた。
「……」
そうしてすぐ、穏やかな寝息が聞こえてきた。心身共に相当疲れていたはずだ。すでに僕が擬人化しても起きないぐらいには寝入っている。
恐る恐る腕を伸ばして少しだけ抱き寄せると、自ら僕の懐に入っては擦り寄る彼女に思わずグッと声を詰まらせた。
僕にはまだ、分からない。
もしかすると、幼い時からずっと抱いている憧れの延長線なのかもしれない。いっそその方が良かったとも思う。だって……僕と彼女には、もう「姉と弟」のような関係が出来てしまっている。壊してしまいたい、壊すことが恐ろしい。矛盾した感情が渦巻いている。
「……っ、……うぅ……」
「……ひより、姉さん、……」
ふと、聞こえた声に慌てて視線を向けると、目を閉じたままなのに苦しそうな表情を浮かべては頬を濡らしているのが見えてしまった。衝動的に抱きしめ、目を閉じる。
……今まで自分から身を引くことが多かった僕が、初めて自ら選んだのが彼女だった。だから当時の僕は、彼女がいなくなってしまうことに本当は全然納得が出来なかったと今になってそう思う。僕がもっと強ければずっと一緒にいられたかも知れない。そう思うと悔しくて、がむしゃらにここまで走ってきた。
「……やっと、やっと追い付いたんだ」
グレアさんたちが倒せなかった相手を僕が抑えたことは、ひとつの自信となっている。これを糧にしてしまうなんて罪悪感を感じるけれど、事実、そうだ。
まだ、勝負はついてない。きっとまた一戦交えることになるだろう。その時は僕がひより姉さんを守るんだ。僕ならひより姉さんをこんなに泣かせたりしない。あんなに悲しい表情もさせないよ。
──それでもやっぱり。
姉さんの心の中にいる人が僕になることは、……きっとこの先、もう、無いから。
「……大好きだよ、ひより」
明日には、今この瞬間のことは全部無かったことにしよう。
……だから、今だけは。
どうか、僕だけのあなたでいてほしい。