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「……お、……お見苦しいところをお見せしました……」
散々泣き喚いたあとだ。次第に落ち着くにつれ、ココちゃんに埋めていた顔をあげにくくなっていた。
しかしそれすらも見透かされているように、肩を後ろから突かれ恐る恐る顔をあげると美玖さんがいたのだ。何となく恥ずかしくて目線を下にしたまま、差し出されたマグカップを受け取り今に至る。両手で包むように持っているマグカップはあたたかくて心地良い。
「ひよりになら、いつでも胸を貸してあげるわ。だから、これからは我慢しないでいいのよ」
「……うん。ありがとう」
頷いてみせるとココちゃんがそっと微笑む。……心底、彼女がいてくれてよかったと思う。本当に、……また、泣きたくなってくるなあ……。
ふと。──部屋に備え付けられている電話が鳴る。
その音に一瞬にして身体を強張らせてから、そっと受話器を取る美玖さんの背中を見た。急激に鼓動が速くなる。
「ひより、ジョーイさんからだ。……手術が、終わったって」
飛び上がるように立ちあがり、即座にスリッパから靴に履き替える。
そうしてドアノブに手をかけたとき、やっと振り返ってはココちゃんたちを真っすぐに見ることができた。そっと、片手をあげて手を振る。
「いってらっしゃい、ひより」
「……ありがとう。いってきます」
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どうしてこんなことになる前にポケモンセンターに来なかったのだと、治療を施してくれたジョーイさんからきつく注意を受けた。事情を詳しく話すことは出来ないが、怒られるのも当然だと思い私は黙って聞いていた。
私も少しばかり怪我をしていたから、きっとジョーイさんも何かを察してくれたのかも知れない。彼女は内なる怒りを静めるようなため息を一度だけ小さく漏らしてから去って行く。
そうして部屋に残されたのは、二人のトレーナーである私だけ。面会制限がかけられてしまう事態にまでなってしまったことに、ひとり、部屋の隅にぽつんと置かれた簡易椅子に座ってから膝の上で拳を強く握りしめる。
「…………」
寝台の上には透明なガラスケースが蓋のように被さっている。その中にはケンホロウ姿のままチョンがうつ伏せで眠っていた。空気や温度管理のための太い管がケースから伸びていて、見たことのない機械に繋がっている。片方の羽はしっかり身体に収められているものの、もう片方は大きなギブスに白い包帯を何重にも巻かれては広がったまま。
"あと少し遅かったら完全に片翼は無くなっていましたよ。ですが、鳥ポケモンは外傷に対する抵抗力、回復力が優れています。なので骨や翼はこのまま安静にしていれば元に戻るでしょう。……ただし、"
「──以前のように飛べるかどうかは、分からない、なんて……っ!」
膝の上に肘を突き、両手で顔面を覆った。歯を食いしばり、息を漏らす。
……私は、知っている。チョンがどれほど、鳥ポケモンにとって当たり前のような"飛ぶ"ということが好きかということを。
ジョーイさん曰く、本人も"飛べなくなっても構わない"という覚悟が無ければここまで深い傷は受けていないだろう、と言っていた。……つまり、チョンはこうなることを分かっていながらあの場で身を引かなかったのだ。
「……、……っ」
私のせいだ、と泣き叫ぶたびにココちゃんは「違う」と力強く否定をしてくれた。それが今、少しの心の支えになっているものの。……気を抜けばすぐに押しつぶされるに違いない。
座ったまま無意味にうずくまってから。
厚いガラスの向こう。一定の音を静かに、けれどしっかり鳴らしている先にゆっくり視線を向ける。
「……グレ、ちゃん、」
ふらり、立ちあがって近寄ってはガラスに指先をそっと当てる。
白いベッドの上、色とりどりの管が身体中に伸び酸素マスクを付けている彼はぴくりとも動かない。
いつ、目を覚ますのか。……その問いに、正確な答えは出なかった。
"この出血量で生きていること事態が不思議です"、そう言われた時、私は動揺を隠すことが出来なかった。これは二人に当てはまることで、また両者に該当していたという事実が重くのしかかっては息苦しくなったのを覚えている。
「……」
ガラスに額を当てて目を瞑る。謝罪、祈り、哀情……。何でもいい。何でもいいから、何か浮かべば良かった。けれど何も思い浮かばなくて、考えることすらできない。
そうしてガラスに寄りかかったままずるずると下り、真っ白な床に座り込む。
「……ひよりちゃん」
その声にハッとして、慌てて振りかえるとロロが中腰のまま私に手を差し伸べていた。……いつの間に入ってきていたのか。少しだけ顔を背けて片手で目元を乱暴に拭ってからその手を握る。引っ張られるがまま立ちあがると、下に向けた視線の先、ぎこちなく密かに私へ向かって伸ばされた腕が静かに元の場所で戻るのを見た。
「面会時間、終わりだって」
「……そっか」
にこり。いつもならできるはずの完璧な作り笑いが、綻びを見せている。その細まる双方で色の違う瞳が潤んでいるように見え、思わず手を伸ばしてしまった。しかし、ロロが空かさず頬に触れる私の手を掴むと静かに下ろして、すぐに離す。
「行こう。みんな、待っているよ」
ロロに頷き、立ち上がった時からずっと繋がれている片手を見る。そうして重たい足取りのまま、一歩一歩とドアに向かって歩き出す。
ロロと私。二人して、何かに縋るようにその手だけはどうしても離すことが出来なかった。
──冷たい空気が漂う中、きつく握りあう手は熱い。