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服のボタンをゆっくり外していく。そうして全部外し終わった服から腕を抜いて床に静かに落とした。
纏っているものを全て脱ぎ捨ててから、浴室へ入る。壁に掛っているシャワーを眺めてから蛇口をひねると暖かいお湯が私の身体を濡らしてゆく。……両手を少しだけ持ち上げて目下で手のひらを見た。いつの間にか氷の破片で切れていたらしい皮膚から薄ピンク色の何かが覗いている。ずきん、ずきんと両手にまで心臓があるような疼く感覚にしびれが混じっている赤紫色の手。軽い凍傷だと、ジョーイさんが言っていた。

「……」

力なくそれを下ろして、排水溝へと流れてゆくお湯をじっと眺めていた。
うっすらと赤みを帯びているお湯はどんどん透明になり、私を綺麗にしてゆく。……鉄の、臭いがする。
その場にうずくまっては口元に手を当て、込み上げる吐き気を必死に抑えた。
お湯はまだ、降り続く。





ココちゃんが用意してくれた新しい服に着替え、髪を乾かし鏡の前に立つ。
鏡越しに見えてしまった、つい先ほどまで着ていた服が入った紙袋。すぐに視線を逸らしてから一度深呼吸をする。……よし。

「遅くなってごめんね。空いたよ」

扉を開けてすぐ、ソファに座っていた陽乃乃くんがバッ!と立ちあがると私の元へ駆けてきた。座ったままのココちゃんの目線も私に向けられていて、簡易キッチンに立っている美玖さんの手も止まっている。……気を、遣わせてしまっているのかも知れない。

「ひより姉さん、……あの、……」
「陽乃乃くん大きくなったねえ。身長、前は私と同じぐらいだったのに」
「え、……あ、うん。進化したら一気に伸びたんだ」

そういえば、陽乃乃くんはマグマラシに進化したときも一気に身長が伸びていた。ポケモンの進化とは本当に面白い。
そうして、困ったような笑顔を浮かべながら口籠っている陽乃乃くんの随分と変わった容姿をじっくり眺める。ココちゃんと美玖さんの容姿にそこまで変化が見られないぶん、どうしても陽乃乃くんに対して余計に興味が湧いてしまっているらしい。

「その、……ひより姉さん、」
「……そっか!すごく大人っぽくなったと思ったらそれだ!陽乃乃くん、前みたいに"ひよりお姉ちゃんー"って言って抱きついてくれないの?」
「そっ……っそんなこともうしないよ!僕だってもう子どもじゃないんだから!」

確かにそうだけど、私にはどうしてもまだ幼いように見えてしまう。不服そうに口先を少し尖らせている姿にクスクスと笑っていれば、ふと、ココちゃんが私を呼んだ。それに陽乃乃くんと一緒にソファまで行き、右横を手で軽くたたいて"おいで"の合い図を出しているココちゃんの隣に座る。陽乃乃くんは背もたれ越しに私たちの後ろでソファに寄りかかったまま背を向けている。からかいすぎてしまったかな。

「ひより」
「なあに?」

身体をそっと私に向けたココちゃんが、私の両手を膝の上で優しく包み込みながら名前を呼んだ。……ただ、それだけだ。私が答えたあとは、何も言葉が返ってこない。
ひたすら真っ直ぐに私の目を見ているだけである。何だろう。、動揺から瞬きを繰り返してみてもこの状況は変わらない。

「ひより」
「……なあに?」

そうしてまた、無言の時間が流れ出す。話していない時間でさえ、やけに居心地良く感じる。時折聞こえてくる食器が小さくぶつかる音や、陽乃乃くんの体重でギシ、と鳴くソファの音。それすらも心地いい。
……ここ最近少し、……いや、だんだんと張りつめていく空気の中にずっといた私にとって、言葉が無くてもありふれた日常の中に生まれる音があるこの優しい空間は、なんだかすごく、──……すごく、心に沁みてしまう。

「ひより」
「…………、」
「もう、我慢しなくてもいいんじゃないかしら」
「……──え、?」

綺麗な声が紡いだ言葉に目を大きく見開いた。……我慢。我慢。何のことだろう。すでに分かっているのにまだ知らないフリをして、聞き返す。
そうして目の前で透き通る水色の髪が揺れたと思うと、伸びてきた腕が私を優しく抱きしめる。柔らかな身体と暖かい体温に、目元がぎゅっと熱くなる。思わず零れそうになったところ、すぐに唇を噛みしめた。……今まで沢山やってきてしまったせいで、どうやら唇を噛むということが癖になってしまったらしい。

「コ、ココちゃん、……?」

やっと出した声はすでに震えている。……ああ、もう、隠せない。

「ひより、あなたはとても頑張ったわ」

……違う、私は何もしていない。ただ戦ってくれていた仲間を見ていただけだ。
私が"行こう"と言ってしまったから。あれから何度、"もしも"を考えただろうか。もしも私が彼のことを諦めていたのなら、グレちゃんとチョンはあんなことにならなかった。もしもあの時私が先に前へ出ていたのなら。……もしも、もしも、もしも。

「ひより、ひより」

背中に一定のリズムが刻まれる。……トン、トン。赤子をあやすような手つきで私を撫でる。耳元では優しい声色で名前を呼ばれ、……もう、我慢の限界だった。すでに目の淵には大粒の涙が溜まっているのが分かる。

「ほら、ここにはわたしたちしかいないわ。強がる必要はないの。
 ──……もう、泣いてもいいのよ」
「──……ッ、」

瞬間、声が漏れ出した。そのまま止まらず、ココちゃんにしがみつきながら思い切り吐きだす。
一気に部屋中にわんわんとわめき声が響く。慟哭。その言葉がぴったりだろう。
それでもなお、抱きしめてくれているココちゃんの首元に顔を埋めて泣き叫ぶ。湿った髪が顔に張り付き、鼻水も容赦なく流れてくる。それすらも構っていられないほど、私はただひたすらに涙を落としては声にならない声をあげていた。



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