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「……おかしい。やっぱりおかしいねえ。キミ、どうしてワタクシの氷を溶かすことが出来るのかな」
『溶けない氷は無いんだよ』
「答えになっていないじゃないか」
氷で出来ているナイフ。これなら僕の炎でも燃やすことが出来る。燃やしきれなかったら美玖さんが銃で全て弾いてくれる。何の問題も無い。
それよりも……僕は今、明らかな怒りを覚えている。
──僕らが氷の扉を砕いて中へ入った時。それはもう、酷い有様だった。
薄暗い空間は隅々まで氷で張り巡らされていて、床にも霜が降りていた。そこに充満していた鉄の臭いと、複数の血だまり。そして、現在進行形で行われていた残虐行為。
そんな中、僕は見つけてしまった。
……空間の奥。血だまりの中に座り込んでいる彼女の姿を。
一瞬見ただけでも気が狂いそうな空間に、彼女は居た。……それを見て、何とも思わないわけがない。
「おかしい、おかしい。キミは一体何者ですか?」
氷のナイフに数の制限は無いからキリがない。
少しばかり息を上がらせながら手足で床を踏みしめる。
……ドン。前足を踏みならす。瞬間、薄暗い空間が一気に明るくなった。氷が見るみるうちに溶けてゆき、蒸発していく音がする。少しでも有利にするために、今の僕ができること。
「"にほんばれ"か。うん、いい選択だね」
『あなたは、……』
後ろからやってくる人……いいや、この人はポケモンだ。白い服の裾が若干赤く染まっているのは、つい先ほどまで彼女の傍にいたからだろう。
正面、気だるげに舌を出しながら手で仰ぐ姿を見せる彼を捉えたまま、僕の横で立ち止まる。
「はじめまして、私はマシロ。レシラムというポケモンさ」
『伝説のポケモン!わ、え、えと、僕は陽乃乃、です。見ての通り、バクフーン……』
「良い名だね。ところで陽乃乃、君の特性は何だい?」
『特性ですか?……"もらいび"です』
ウツギ博士が言っていた。"もらいび"の特性を持つバクフーンは今のところ僕だけだと。そしてそれは、ちーとニコも一緒だ。小さなときは分からなかったけれど、今になってどうしてなのかと不思議に思うこともあった。でも、父さんと同じ特性ならそれでいい。
「……もらいび、か。やっぱり君はあの花屋の、」
『え?』
「いいや、こっちの話さ。……さあ陽乃乃、私の炎を使いなさい」
『!』
マシロさんが僕の背に触れたとき。身体中から力がドッと湧き溢れてきた。熱くなる身体に目を見開いてから後ろを少しだけ振り返る。マシロさんが、僕を見ては頷く。
「あはは、これはちょっとピンチかもー……ゲーチス様に報告しないと」
踵を返してこの場から去る彼に気づいて、全速力で追いかける。このまま逃がすものか!
走って、走って、追いかけて……──後ろから、彼の肩に噛みついた。
「っ!」
氷でガードされても何の問題もない。しっかり噛みついたまま上に振りあげ、背中の炎を燃やす。今までに無いぐらいに大きく燃え盛る炎。思い切り力をお腹に溜めてから、全てを一気に吐きだす……!
一瞬だ。自分でも驚くぐらいの威力だった。小さく聞こえた呻き声は光の速さで遠退いて、一緒に船も壊していく。見張り台に彼がぶつかり、バキバキと崩れるような音がした。
「陽乃乃、こっちよ!」
『!』
心音姉さんが、僕に手招きをしている。その頭上にはセレビィくんがいて、瞳を閉じては謎の光を放っていた。
その後ろから倒れていた二人をそれぞれ抱えているマシロさんと美玖さんが慎重に歩きながらその場に集まっていた。それを今にも泣きそうな表情で見ている彼女が最後に出てきて、視線をゆっくり僕に向ける。
「陽乃乃くん……っ!」
『……──!』
3、……
光がじわじわと膨れ広がり、カウントダウンが始まる。
衣服を真っ赤に染めた彼女の腕が、僕へとそっと伸ばされた。
船が緊急離陸しようとしているのか、揺れ始める甲板を駆け抜ける。走りながら彼女と同じ人間の姿に変わり、伸ばされた手に向かって必死に腕を伸ばす。
2、……
指を絡ませ手の平を合わせる。いつの間にか僕の方が大きくなっていて、不思議な気持ちになる。それから小さな手をしっかり握り、僕を見上げる彼女を見た。
……あのときもそうだった。涙を浮かばせながら意地でも笑顔を作っていて。そんな彼女は今もなお、僕を笑って迎え入れようとしている。
……そしてやっぱり思うんだ。
1、……。
無理やり笑ってみせる、その表情も──愛おしいと。