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ピシ。
音が、した。
ヒビの入るようなその音に、ゆっくり視点を戻した。今まで自分がどこを見ていたのか分からない。けれどその音のおかげで、その音のせいで、再び現実へと戻されてしまった。
手を動かしていた彼がピタリと止まり、その手も離す。それと一緒に崩れるようにチョンが血だまりの中に倒れた。……見えたその光景が、何度も瞼の裏で流れては呼吸が乱れる。上手く、息が吸えない。
「……来る」
彼が呟く。──瞬間、氷の扉が割れた。
破片がバラバラと床に落ちては弾けている。外からの光を浴びて煌びやかに散るそれがとても綺麗だと思ってしまった。そのまま飛び散る氷を見ていると、次の瞬間、一気に溶ける。
「──っ!」
声にならない誰かの声が聞こえたような気がした。息を飲む音、慌ただしい足音。全てがこの状況を変えてゆく。
何かが閉鎖されていたこの空間に飛び出してきた。黒い巨体が素早く動く。そうして彼との距離が縮まったとき、真っ赤な炎が燃え盛った。
よろめく彼を通り過ぎ、チョンの襟首を咥えて私の元へとやってくる。静かに口を離すと、私たちに背を向けた。冷え切った手をゆっくり伸ばしてチョンに触れながら、今もなお、背中から業火のような炎を燃やしているポケモンをそっと見上げた。
「──……バク、フーン……?」
『遅くなってごめんね。……僕が、ひより姉さんを守るから』
「……もし、かして、……」
ぐっと体勢を低く構えた瞬間、炎が真っ直ぐに放たれる。その中で聞こえた銃声と迂回してやってくる羽音に緊張の糸がプツリと切れた。
歪む視界で駆け寄ってくる彼女に気づき、伸ばされた腕を縋りつくように掴んでしまった。思いきり抱きしめられた瞬間、今まで我慢していた嗚咽が漏れる。
「──……ッココちゃんっ、ココちゃん、っ、!!」
「……よく頑張ったわね、ひより。でも、まだ泣いている暇は無いわよ」
まだ縋っていたかったのに、速やかに身体を離されてしまった。それから両頬に手が添えられたと思うと、数センチ離したところから勢いをつけてバチッ!と叩かれてから両手で頬を挟まれる。びっくりと、じんじんする頬で視界が一気にクリアになる。
「ひより、あなたはこの二人のトレーナーでしょう。ひよりがしっかりしないでどうするの!」
「……っ!」
「大丈夫、グレアもこの彼もまだ助けられるわ。だから、まだ諦めないで」
ココちゃんの言葉でハッと我に返っては、血に染まった服で乱暴に目元を拭う。
……私は、もう諦めていた。この場から早く逃げたくてどうしようもなかった。けれどこうなったのも、ここまで来たのも全て私が決めたことだ。……泣いている、暇はない。
『伏せて!』
「!」
ゴウ、と炎が揺らぐ音と一緒に声がした。背中に添えられていたココちゃんの手に押されて私も身を前へ倒す。その間、転がったボールを再び拾って両手で包みこんだ。……だいぶ氷が薄くなったのが分かる。もう少しでマシロさんが、。
──ふと、もう一つ足音がやってきた。滑り込むようにバクフーンの後ろに回り、私の前へとやって来た青い髪の彼。肩で息をしながら目線を下に向けるとその表情を歪ませる。
「……美玖、さん、」
ぽつり、呟いた私に視線を向け、伸ばした手は頭へ優しく乗る。そのままゆっくり撫でてくれる手に、また泣きそうになってしまう。
「ひより、よく頑張ったね。……もう少し、一緒に頑張ってくれるかな」
「っはい!もちろんです……っ!」
私に微笑みかけてから銃を構えてバクフーンの隣に出る美玖さんの後ろ。
──……やっと、ようやくボールの氷が溶けた。
血と水が混ざった手でスイッチを押す前にマシロさんが出てくる。出てくるや否や、何も言わずに私を一度抱きしめてからグレちゃんとチョンを見ては整った顔を歪めていた。
「……不覚だ。完全に私の落ち度だ」
「っマシロさん!グレちゃんとチョンの血が止まらないんです……!」
「凝固阻止とは、やってくれる」
そう言いながら床に落ちていたナイフを拾ってはすぐに放り捨て、私に寄りかかっていたグレちゃんの身体をゆっくり動かし床にうつ伏せにさせる。
「……少々手荒だが、仕方ない。ひより、少し下がっていておくれ」
ココちゃんに肩を掴まれ後ろに下がると、マシロさんが二人の傷口へ手を添えた。瞬間、小さな爆発音とともに黒い煙があがったのだ。その後も、何度もそれが数秒置きに繰り返される。
「マ、マシロさん……」
……長い息を漏らすマシロさんへ、恐る恐る視線を向けると私を見て口を開く。
「心配はいらないよ。傷口を焼いて覆ったのさ。ただ、早くポケモンセンターに行かなければいけないことには変わりはない。……急ごう。セレビィ」
立ちあがるマシロさんの横、セレビィくんがふわりと飛ぶ。
そうして激しい攻防を繰り返している中へ向かっていくマシロさんと、その真ん前にセレビィくんが向かって行く。
『マーさんの合図と一緒にテレポートするよ。心音ちゃん、美玖と陽乃乃もこっちに連れてきて』
「分かったわ」
頷き駆け出すココちゃんを名残惜しく見送ると、セレビィくんの小さな手が私の頬にそっと触れた。申し訳なさそうに視線を斜めに下げている。
『……あのね、氷が結界の役割もしていてテレポートできなかったんだ。時渡りするには人数が多すぎるし……』
「……」
『言い訳じゃないよ、……でも、ごめん。伝説っていっても、ボクは下のほうなんだ。だから、』
腕を伸ばしてセレビィくんを捕まえた。それから思い切り抱きしめると、耳元でそっと笑う声が聞こえた。
ありがとう。言葉にできなくても、上手く伝わっているだろうか。