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ドオン!と奥から音が鳴り、床が激しく揺れる。
何事かと思えば次の瞬間、目の前の空間が輝いた。……あれはセレビィくんの時渡り!光が円形を作り、青く謎の空間が出来る。そこから飛び出すように出てきたセレビィくんとチョンの姿に思わず私は目を見開いた。

『っひよりちゃん!今すぐ甲板に!……早くっ!』
「え……!?」

鈍い音と一緒に聞こえた、セレビィくんの叫び声。鈍い音の元は床に寝そべっているチョンだ。すすと滲む血で羽が汚れている。それにあの凍った片翼は、……!?
慌ててチョンのもとへ駆け寄ろうとしたが、フッと身体が浮いたと思うとどんどんチョンから離れてしまう。

「っグレちゃん離して!」
「だめだ!お前だけでもここから、ッ!」

グレちゃんが私を片脇に抱えて全速力で出口へと向かう。
……そうして外からの光が差し込んでいる距離まできたとき。入口に、突如氷の扉が現れた。反射的に思い切り目を瞑って歯を食いしばったものの、衝撃はやってこなかった。目を開けると目前に氷の壁が立ちはだかっている。グレちゃんが止まることができたからよかったものの、あと少しで思い切りぶつかるとこだった。

「グレちゃん大丈夫!?」
「……ああ。だが、」

低い声がお腹に響く。ゼブライカに戻ってはバチバチと威嚇のような電気を走らせる中、グレちゃんの視線を追ってゆっくり前を見る。
……灰色の、髪が揺れた。
こちらに歩いてくる彼をじっと見る。血が流れた跡があるがすでに止血されている、その姿は二年前と何ら変わりは無い。けれど今は、"彼"であって"彼"じゃない。それだけは、はっきりと分かる。

「よお、ひより。久しぶりだなあ?」
「……キューたんは私のことを名前で呼ばない。真似したって無駄だよ」
「……あちゃあ、そうだったの?完璧だと思ったんだけどなあ」

虚ろな瞳が弧を描き、楽しそうに私を見る。
……ふと、この場の気温が急激に下がった。ついでにパキパキと氷が蔓延る嫌な音が鳴りやまない。向こう側には倒れたままのチョンに寄り添うセレビィくんの姿が見える。
──ああ、思い出してしまう。首を掴まれた感覚や、仲間が傷付いてゆくこの恐怖。それも覚悟の上でここまで来たはずなのに。がたがたと震える身体を必死に抑えていれば、スッと、私と彼の間にグレちゃんが立ちはだかる。

「グレちゃん……、」
「またキミかい。とっととひよりちゃんを寄こしてくれれば、キミたちは無傷でいられるというのに」
『無傷でいるぐらいなら死ぬまでひよりを守っていたほうがよっぽど良い』
「……ああ、そう。──それじゃあ、お望み通りにしてあげよう」

興味が無さそうな返答をした彼の両手で、氷のナイフが妖しく光る。指で挟まれたナイフは両手合わせて計八本。ナイフそのものから冷気を放っている。……きっとあれは、当たるだけでかなり危ない。

……グレちゃんが体勢を低くする。炎を纏い、地を蹴りあげる。瞬間、纏った炎が一段と燃え上がった。それと同時に蹄が床を蹴飛ばす音と同時に突風が吹いた。投げられるナイフを炎で弾きながら奥へ奥へと追い詰めてゆく。

──そこでやっと、私は気づく。震えていたのは私だけではなかった。腰についているボール、全てがガタガタと揺れている。
不思議に思いながら少し震える手でボールを持ち上げてみれば、……なんと、ボールが全て凍っていた。開く部分が完全に氷で覆われており、スイッチすら押せない。みんな外に出たくても出られないから揺れていたのだ。

「グレちゃん、みんなのボールが凍ってる……!」
『……なに!?』

グレちゃんがこちらを向いたとき。片足に付けられたホルダーの中から彼がナイフを素早く取り出したと思うと、目にも止まらぬ速さで投げられる。
"グレちゃん、前!"、そう叫ぶよりも速く、ナイフはグレちゃんを通り過ぎた。一言すら漏らす時間は無い。……切っ先には、私しかいない。

『ひよりッ!!』

思い切り目を瞑りながら聞こえてきたのはグレちゃんの叫び声。
……次の瞬間、またしても浮遊感を感じたもののすぐにお尻に軽い衝撃が走る。どしん、と床に尻餅をついたような感覚だ。驚いて目を見開くと、つい先ほどまで座っていた氷の扉が向こう側に見えた。すでに扉にはナイフが数本突き刺さっており、新たに氷を蔓延らせている。

『……も、もう無理ぃ……!』
「セレビィくん!」

へろへろとチョンの上に寝そべるセレビィくんを思い切り抱きしめる。……間一髪、セレビィくんの時渡りのおかげて助かったのだ。
それからすぐにチョンを抱き起こし、様子を伺う。片翼は凍ったままではあるけれど、傷はそんなに深くない。よかった。安心しながら何故かすんなりと開いた鞄から傷薬を吹きかける。

「チョン、チョン!?聞こえる!?」
『……うん、ごめんひより。動けるにはもう少し時間がかかりそう。……でも大丈夫、またすぐに戦える』
「……うん、ありがとう……」

唇を噛みながらチョンを抱きしめ、また私の前に立ってくれているグレちゃんを見る。
……もうセレビィくんの時渡りは当てに出来ない。今度また私に刃が向かってきたら、自分で避けなければならない。白い息を吐きながら、目線は絶対に逸らさない。不思議ともう寒くはなく、寧ろ手元は暖かい。

「あーあ、仕留め損ねちゃった。チャンスだったのになー」
『お前、最初からひよりを……っ!』
「最初からもなにも、二年前からずっと、ワタクシが欲しいのはひよりちゃんだけさ。だからキミが離れた隙を狙ったんだけど失敗してしまったよ」
『……っ!』
「さあさあ、続きをはじめよう!」

突如、吹雪が発生した。この狭い空間でやられたらひとたまりもない。
急激に悪くなる視界に、なんとかグレちゃんの姿を捉える。すでに攻防戦は始まっているようで、キイン!とナイフが弾かれる音と雷鳴が響く。

「おやおや、すごいね。ワタクシのナイフをこんなにも弾くとは!けれどまあ、後ろを気にしてばかりいると、……こうなる、よ!」
『……ぐっ!』
「グレちゃん!?」

鈍い音が真横あたりで聞こえたが、未だ視界が悪くて何が起こっているのか全く分からない。音も吹雪にかき消される。

「滑稽、滑稽。ニンゲンとは、こんなもので視界を奪われてしまうんだねえ」

猛吹雪の中、チョンとセレビィくんを抱えたまま手探りでグレちゃんを探す。音はすぐ横で聞こえたはずなのに、いつまでも触れられないということは私の聞き間違いだったのか。

「レシラムは何も考えてこんな小娘に自分の核ともなるものを預けたのか。ああ、ああ。ワタクシは不思議で仕方が無い」

──ふと、吹雪が止んで視界が徐々に晴れてゆく。
横、ぼんやりとグレちゃんの姿が見えてきたことにホッとしたのも束の間。氷が擦れる、音がした。
私へと向けられる殺気に肩をびくりと飛びあがらせて、ゆっくり視線を前へ戻す。

「まあ、そのおかげで簡単に力を取り戻せそうだけど。
 ──……さようなら、ひよりちゃん」

微笑む彼の手元から、氷のナイフが放たれる。
それは真っ直ぐ私に向かい、刃先が目前に迫る。避けられない。瞬時にそう思っては、刃先を睨む。
今までだって今だって、戦って傷付いた仲間がいる。ナイフの数本ぐらい、私だって堪えてやる。

、そのとき。

横から腕が伸びてきて、視界がぐっと暗くなる。力強く抱きしめられ、またそこから鈍く嫌な音が聞こえるたびに痙攣のような振動も伝わった。
……目を見開いたまま、静かに床を濡らしていく赤を見る。次第に力を無くしてゆく私の背に回っていた腕。

「──……え……、?」

──……目の前。ぐらりと傾くその身体が、私に向かって崩れ倒れる。膝の上で重みを感じ、服すらも真っ赤に染めているその背にそっと、手を置いた。……生暖かい赤が、私の手のひら一面に付く。

そうしてやっと、震える声を絞り出し。
名前を、呼ぶ。

「──……グレ、ちゃん……?」



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