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"ひよりに、会いたいかい?"
マシロさんのその言葉に、皆が一斉に固まった。
……会いたいか。そんなこと、当たり前に決まっている。しかしまず、俺たちは何故ひよりがいなくなったのかすら分からない。いなくなったというよりも、キュウムの言葉から察するにひよりは元に居た世界へ帰ったというほうが正しいのかも知れないが。
「そうだね、まずは説明をしようか」
マシロさんが空いていた椅子に座る。そんな彼の姿を睨みながら見ていたキュウムに、回復をしてきたほうがいいと促してみたものの、やはり「こんなのすぐ治る」の一点張り。陽乃乃と一緒に肩をすくめて、マシロさんの話を聞く。
「そもそもひよりがこちらの世界に来た理由は、私が探していた、私を救ってくれるであろう"別の世界"の"その世から離れかけている"人間だったからなんだ。言ってしまえば、私を助けるためだけに呼ばれたのが、ひよりだ」
「……それって、」
なんだか、道具みたいな言い方ね。
心音の刺々しい言葉に苦笑するマシロさんを見る。
多分、話を簡潔に分かりやすくするためにあのような言い方になってしまったのだろう。しかし、伝説ポケモンならではのあえて他人との間に壁を作るような、まるで深入りさせないようにしているような。そんな言い方のようにも聞こえた。
「ひよりの肉体はあちらの世界に残ったまま、魂だけこちらの世界にいたんだ。つまり、私たちが見ていた、触れていたひよりの身体はレプリカってことさ」
「……そんなことも、出来てしまうんですか」
「創造神の力だよ。無から生命を生み出すことすらできてしまうんだ。魂だけでもあるならば、そんなことは容易く出来てしまうだろう」
美玖の言葉にそう返したマシロさんの表情は、その創造神とやらを思い出しているのか、何とも言えないものだった。
「そしてそのレプリカには期限が付いていた」
「期限……」
「本来ひよりはこちらに居るべきではない存在だからね、元より"私を助けるまでの命"しか与えられていなかったんだよ。だが、今度はキュウムを助けなくてはいけなくなり、また別の人間を連れてくるのも面倒だということでひよりの命の期限も延ばされたんだ」
その命が無くなると、こちらの世界では消えてしまう。しかし今までやってきたことの褒美として、あちらの世界へ生きて返すということだったらしい。ひよりがいなくなってしまったのは、その期限が切れたから。
とても簡単に言ってしまえば、ひよりも俺たちも、ただ厄介事に巻き込まれただけということだ。神の気まぐれでやってきた道具としてのひよりと、純粋な気持ちで集まった駒たち。……俺たちの旅は、神が見ていたのならばきっと猿芝居のような滑稽なものだっただろう。
「言っただろう。この世界の本質は残酷なんだ。美しく見せては騙し、気まぐれに牙を剥く。……本当に、酷い世界だ」
「……そうだけど、……そうでも無い、んじゃないかなあ」
俯きがちのマシロさんの隣、同じく下を向いていたロロがぽつりと呟く。それからゆっくり視線を上げ、マシロさんへ微笑んでみせていた。
──……ああ、そうだ。ロロの言う通り、彼が言うほどこの世界は酷くはない。
俺たちにとって今までの旅は。一日ごとが、一秒ごとが。どれもとても大切なもので、またかけがえのないものだった。例え滑稽で笑われたとしても、胸を張ってこう言える。「最高の旅だった」、と。
「マシロさん。ひよりと、出会わせてくれてありがとう」
俺の言葉にマシロさんが顔をあげ、驚いたように目を見開いては一瞬にして細くする。笑みを見せ、頷く。
そうして一度、そっと目を伏せてはゆっくり開き、前を見る。
「それでは、もう一度聞きたい。……死ぬ可能性があっても、ひよりと会いたいかい?」
「……え、?」
唐突な問いに、動きが止まる。それも分かっていたように、マシロさんは俺たちの様子を伺うこともなく話を続ける。
「言っておこう。まず、他の世界へ干渉することが禁忌に近いんだ。上がどうしても許してくれないものでね。よって、私たちに出来るのはこれしか無い」
「そ、それって……?」
恐る恐る訊ねる陽乃乃にマシロさんが頷き、真剣な眼差しを向ける。
「私とキュウムでひよりがいるであろう世界を予測し、そこに無理やり魂と肉体全てを送り込む。リスクとしては、予測でしかないためひよりがいない別の世界へ送ってしまう可能性がある。さらに送り込んだら最後、こちらに戻すことは出来ない」
「な……なんてぇハイリスクな……」
頭を抱えるおっさんに、息を飲むロロ。先ほどまで身を乗り出していたセイロンも、今ではビクとも動かない。
しかも。過去に例がないことため、魂と肉体の両方を完全に送れるかすらも分からないという。要は、廃人のようになったり手足のどこかが無くなる可能性もあるということだろう。その状態で見ず知らずの世界へ放り込まれる……。
「キュ、キュウムさん!こんなの方法って言わないよ!?」
「方法は方法だ。いちいちうっせーよ」
「すまないね、陽乃乃。他にも無いかずっと探してはいたんだけど、」
「、う……」
しおらしいマシロさんには、陽乃乃でも文句のひとつも言えないらしい。そんな中、ふと、キュウムと目が合った。なぜかニヤリと笑ってから、そのまま視線を外してマシロさんへと視線を向けていた。釣られて目を動かすと、射るように俺を見る淡い青色の瞳と視線がぶつかる。
「ちなみに、この方法で行けるのはただひとり。──……さて、グレア。君の答えを聞かせておくれ」
「ひとつだけ教えて欲しい。……成功確率は、どれぐらいあるんだ」
視線が斜め上に向き、再び戻り。
「確率は、1%だ」
マシロさんが立ち上がり、俺の前までやってきた。そうしてゆっくりと手を差し伸べられる。……それを見てから手を動かし、握り返しては握手を交わす。
直後、がたりと椅子が鳴る音がした。慌てたような足音を立てて、俺とマシロさんの間に割って入ってきたロロを見る。
「グレちゃん正気……っ!?今の話、ちゃんと聞いてた!?」
「勿論。0%で無いなら、上出来だ」
「は、──……っほんと、君には呆れるよ……」
絶句の後、額に手を当て首を小さく左右に振るロロを見ては小さく笑う。
「それではグレア、明日の夜に」
それから手を離すと、マシロさんが背を向け去っていく。部屋を出ていく途中、ついでと言わんばかりに床に座っていたキュウムの襟首を掴むとそのままずるずると引き摺りながら一緒に姿を消していた。
「……ねえ、ココちゃんはどう思う?」
「そうね、グレアなら即答すると思っていたわ」
「ええ……?」
「ロロだってそう思ってたんでしょうー?往生際悪いよー」
なぜか不服そうにしているロロの頬をチョンが突いているのを見る。それに一度ロロと視線が合うと、不思議とぎこちなく逸らされる。
「……だって。──……グレちゃんまでいなくなったら、どうすればいいのさ」
顔を背けながらそういうロロに、思わず自身の耳と目を疑う。冗談で言うならともかく、今のはそんな様子は少しもなかった。だから余計に、信じられない。
「なんでぇ、どうしたロロ?どうすればって、そりゃぁ今まで通りでいいんだぜぇ。行きたいとこがありゃぁ行けばいい。無ければ俺たちが遊んでやっから。なぁ?」
驚いて固まっている俺の背後、おっさんがのしかかってきては肩に腕を乗せる。それから空いている方の手をロロの頭の上に乗せては乱暴に掻き乱していた。
「……そういうことじゃないんだけど」
「なら、おめぇさんの目のことかぁ?仕方ねぇ、俺が嬢ちゃんの代わりにいつでも抱きしめてやっから、な!」
「ッ嫌だー!ひよりちゃんとあーさんじゃ雲泥の差だーっ!せめてココちゃんのオッ」
「殺すわよ」
本気の声だった。そんな心音からゆっくり隠れるように、ロロは美玖の後ろへ移動する。とんだとばっちりを食らっている美玖はと言えば、至って普通であった。流石だ。
それから視線を外すとセイロンと目が合い、肩と頭に人形を乗せたままゆっくり俺の前までやってきた。服の裾を掴み、顔をあげる。
「……グレにい、」
「悪いなセイロン。今回だけは譲れない」
「……分かってるよ。グレにいなら、いいよ」
「そうか」
何が、とは聞かずに頭を撫でると目を細める。ついでに人形も同じように撫でてから各々散らばって行く皆を眺めた。
"またあとで"なんて言ってキッチンへ向かう美玖と、手伝いに陽乃乃とセイロンも連れ立って行く。チョンは心音と共にポケモンセンターに備え付けられているバトルフィールドへ向かい、おっさんは風呂場へと消えて行った。
……そうして未だ、未練がましく残っているのがこのにゃんころである。椅子に座れば、俺の向かい側に座って言葉を待つ。
「……いいか。俺はどうやってもひよりの代わりにはなれないんだぞ」
「……」
「ただ他の仲間と違うのは、お前の過去を知っているかどうかというだけだろう?何をそんなに固執しているんだ」
陽乃乃がマグカップを持ってきて、テーブルに置いてはキッチンへ戻っていく。きっと、気を遣って淹れてくれたんだ。立ちのぼる湯気を見ては、ロロは手元から少し離れた場所にカップを置いていた。
そうして俺を見てから片肘をついて頬を支え、テーブルに置いてあった青い折り鶴を人差し指で軽くつついてみせる。
「俺の面倒も見てくれるって言ったの誰だっけ?グレちゃんだよね?」
「そんなことは一言も言っていないぞ」
「グレちゃんは俺とひよりちゃん、どっちが大切なの!?」
「ひよりだ」
「そんなこと即答されなくても知ってるよ馬鹿!」
……なんなんだ。いったいこの馬鹿猫は何を言いたいんだ。分からない。いつにも増して得体が知れない。
カップを両手に持ち、ぶーぶー言いながらも息を吹きかけ冷ましている姿を見る。そうしてそろりとカップを傾けては、一度肩を飛び上がらせてから舌を出して涙目になっていた。馬鹿はどっちだ、馬鹿。
「……ああ、分かったぞ。寂しいんだろう。最後ぐらい俺から抱きしめてやろうか?ほら」
「うわ、何にも分かってない!ていうか気持ち悪いからやめてくれない?」
いつもそれをやられていた俺の身にもなってほしい。
叩き落とされた腕を戻してカップを掴む。まだ熱いコーヒーをゆっくり流し込んでいれば、ロロがひとつため息を吐く。
「……ねえグレちゃん」
「なんだよ」
「普通にこのまま生きていれば、もしかしたらもっと他の安全な方法でひよりちゃんと会えるかもしれないよ。……それでも、行くの?」
「ああ。そう決めたからな」
「その理由って、なんなの?」
……理由。それは、ただひとつ。
「必ず迎えに行くとひよりに誓った。だから、行くんだ」
「…………それだけ?」
「?、そうだが」
二色の瞳が大きく見開いたと思えばすぐに細くなる。それからクツクツと笑うロロは無視して立ち上がると、不意に袖口を掴まれた。立ったまま睨むように下を見ると、ロロは笑みを浮かべていた。これは、俺をからかうときにいつも見せる表情だ。
「笑ってごめん。いや、実にグレちゃんらしい理由だと思っただけだよ」
「それで、なんだよ」
服を引っ張り再び俺を椅子に座らせると、今度はロロが立ち上がる。
どこへ行くのかと思えば、いつの間にか人がいなくなっていたキッチンに向かって歩いてゆく。そうしてニヤつきながら戻ってきたロロの腕には大きな酒瓶が数本抱えられていた。おっさんが隠していた高級な酒も、ロロには知られていたらしい。
「まあ、きっとグレちゃんなら大丈夫なんじゃない?根拠は無いけど、多分みんなそう思ってるよ」
「だろうな。そうでもなければ今頃ここにお前と二人きりにはならなかっただろう」
「ま、それが俺たちだから仕方ないよ。……ってことで、せめて俺だけはグレちゃんのためにお別れ会を開いてあげようと思ってね」
渡されたグラスを受け取り、注がれる酒を眺める。人様の酒だというのに、遠慮無しに注ぐところは、ロロらしい。
「まあ……そういうことにしておいてやろう」
自分のグラスにも注ぎ、ロロは片手で持ち上げ笑みを見せる。
「乾杯」
「乾杯」
グラスがぶつかり、小さく心地よい音が鳴る。……と同時に、ロロの背後からおっさんの叫び声が聞こえた。
ばたばたと慌ただしくなる部屋に、おっさんの声に驚いた陽乃乃たちが別の部屋から顔を覗かせていた。
……これはまた、一段と盛大なお別れ会になりそうだ。