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羽があるのに飛ばずに未だ地を踏みしめているあたり、わたしはまだ期待というものを捨て切れていないらしい。
もう彼女との繋がりは、見えぬ鎖は一切無い。……なのにまだ、こうしてこの街を彷徨っている。いったいわたしは何がしたいのか、自分自身が分からない。

……いつの間にか裏路地に入っていたようだった。
コガネシティはジョウト地方の中でも栄えている街であり、様々な店が軒並み揃っている。当たり前のように娯楽の店も並んでいた。
細かく入り組んだ道の両脇に並ぶ細長い建物。ほとんどが二階建てであり、窓側に取りつけられている背の低い木造の柵には綺麗な透かし彫りが入っている。

「……」

夜にこそ輝くこの場所は、お昼すぎである今は眠りについているようでとても静かだった。誰もいない街を一人で歩いている。そんな気がする。
建物を見上げた顔をそっと伏せ、あてもなく彷徨い続けていた。……これからどうしよう。野生で生きたことは一度もないけれど、きっとわたしなら一人でも生きていける。いや、一人で生きていかなければならない。
そう決めたから、自らの手でボールを壊してきたというのに。

「…………」
「──……心音、かや?」
「ッ!?」

突然。
呼ばれた自分の名前に驚いて立ち止まってしまった。
咄嗟に顔をあげて振りかえれば、うるさいほどの金色が目に飛び込む。……なんで、どうして。よりにもよって、なぜこのタイミングで会ってしまったんだろう。

「やはり心音ではないか。なぜこのような場所にいるのだ?」

こちらへやって来る殿に対し、後ろへ一歩後ずさりしてしまった。
平然を装わないといけないのに、これではもう妙に勘の良い彼には気づかれているかもしれない。

「……どうして殿がここにいるのよ。まだ昼間だけれど」
「わっちとて、日がある時間帯に動くこともあるのだぞ。それに昼間から飲む酒も美味なのだ。主には分からぬだろうがな」
「ええ、知りたくもないわ。それじゃあ、さようなら」

殿に背を向け早足にその場を去る。
……ああ、こんなところ来るんじゃなかった、なんて後悔してももう遅い。
やはり、予想はしていたものの、立ち去る前に手首を掴まれた。渋々視線を向けると同時に紅い瞳と視線がぶつかる。

「ひよりはどこだ?陽乃乃は?美玖はどうした」
「…………いないわよ」
「……ふむ。心音らしくもないが、ひよりたちと諍いでもしたのかや?」
「いいから離して。殿には関係ないわ」
「わっちが離すとでも?傷心しておる別嬪を放っておくなんて、男ではあるまい」

またふざけたことを言う。
仕方なく、大きく溜息をついて腕の力を抜くと、殿もすぐに離してくれた。……適当に話を作って喧嘩したということにしようかしら。

「そこの店ならすでに開いている。一杯ぐらい注いでくれてもよかろう」
「お断りするわ。こんなところで油を売っている暇なんてないの」
「そうか、ならわっちについて来い」
「……ちょっと。わたしの話を聞いていた?」

そういうとからんころん、と下駄を鳴らして裏路地を抜ける殿。少し離れた先、振り返ってはわたしがついてくるのを待っている。……本当になんなのよ。
仕方なく。ずっとわたしを待っている彼に向かって歩き出すと、満足そうに笑みを浮かべてから再び歩き出すその背をのろのろを追っていく。
──わたし、何をやっているのかしら。


「──……鈴歌?」

大通り。
先ほどの道よりも人で賑わう中、何年ぶりかに呼ばれたその名前に、またしても足を止めてしまった。
そんなわたしに気づいていないのか、今になって思い返えしてみれば随分と心地良かった下駄の音が遠ざかってゆく。からん、ころん。声に掴まれた自身の心臓の音が、完全に下駄の音を消し去ってゆく。
──そうして。恐る恐る振り返る。緊張に、表情が凍る。

「鈴歌!ぼく、ぼくだよ、分かるよね?久しぶり、元気だった?」
「…………」

どうして、そんな笑顔でわたしの前に来れるのか。
得体の知れない恐怖と嫌気、それから……怒り。
今すぐこの場から逃げ出したいのに、わたしの足は震えるばかりで一向に動こうとはしない。

「ぼく、何回かサーカスを見に行ってたんだよ。やっぱりきみの歌声はとても綺麗だ。世界で一番美しいだろう」

わたしを捨てた挙句、サーカスに売り飛ばしたことなんて遥か遠い記憶として頭の片隅にしかないんだろうか。……いや、片隅にあればいい方なのかもしれない。彼にとってわたしは、……その程度、だったんだ。

「ああ、鈴歌。あの頃のぼくは馬鹿だったよ。きみを手放すなんて、本当にどうかしてた」
「…………」
「きみがいなくなってから、ようやくきみの存在が大切だったことに気づいたんだ」
「……」
「ねえ鈴歌。もう一度、ぼくのポケモンになってくれないかな。
 ぼくは、きみを愛している。どうしても、きみが忘れられないんだ」

その言葉に。
俯いていた顔を勢いよくあげると同時に、思いっきり右手を振りあげた。爪を尖らせ、オーラを纏う。次の瞬間。自分が何をされるのか瞬時に理解したようで、驚きと恐怖で目を大きく見開く目の前の男。後ろに下がるも、足が絡まり整えられた道に尻餅をつく。

「すっ、鈴歌!待ってくれ!どうしてこんなことをするんだ!?」
「どうして、ですって?本当に分からないの!?」

周囲からざわめく声が聞こえる。足を止めてわたしたちを見ている人の視線も感じる。……それでももう、止められない。
愛しているだなんて。
わたしがどれだけ想いを伝えても偽りの愛しかくれなかったくせに。道具としか見ていなかったくせに!

「ぼ、ぼくを殺すつもりか!?みんな見ているんだ、バカなことはやめ、」
「そんなこと、どうだっていい。あなたにされたことと比べれば、なんてことないもの」
「……ッ!!」

まさか、簡単に殺すわけがないでしょう。一生残るような傷をつけて、同じ苦痛を味合わせなければ気が済まない。
……右手に力を込め、恐怖に歪む顔を見る。

「わかった!悪かった!ぼくが悪かったよ!だから許し、」
「……わたしを愛しているんでしょう?
 ──だったら、わたしの"愛"も受け取ってくれるわよね?」

ヒュン。風を切る音が耳元で鳴る。
とびきりの笑顔で、その顔めがけて真っ直ぐに右手を振りおろした。爪先に肉が引っ掛かり、そのまま力任せに剥ぎ落とす。
瞬間。……目を、見開いた。

なぜなら紅の雫が宙に飛び散るのと一緒に、金色の糸が舞い上がったのだから。



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