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まだ雪が残っているというのに、桜が咲いていた。みんなにとっては見慣れた景色かもしれないが、私の目には珍しい景色として映っている。やはりこの世界は四季の巡りが早いみたいだ。

──久しぶりのワカバタウンだ。
私たちは、新米トレーナーとともに旅立つ準備ができたヒノアラシくん、ワニノコくん、チコリータちゃんに会いにやってきていた。
慣れない飛行後、少し休んでからココちゃんと並んで歩いている。みんな元気かなあ。会うのが楽しみだなあ。

「あらまあ、あんなに急いでどうしたのかしら」

ふと、ココちゃんが言う。何のことを言っているのかと目線の先を追ってみると、……前方から凄い勢いで草むらを駆け抜ける少年の姿が見えた。一旦歩みを止めた私たちの横を走り去るのは赤髪の少年。
……はて。どこかで見たことがあるような気がする。赤い髪に、黒っぽい服を着た少年……──、

「あっ!?」
「なに?」

ココちゃんが私を見ながら首を傾げる。
……分かった。見覚えがあると思ったら、彼は度々主人公の前に立ちはだかるライバルだ。確か名前は、シルバー。

「まてーですう!……あっ、おねえさま!?」

前方、彼と同じく全速力で走ってきたのはチコリータちゃんだった。
私たちに気づくと息を切らしながら少しずつ速度を落としては立ち止まり、肩で息をする。
……ゲームでは。
主人公のライバルであるシルバーくんが、ウツギ博士の研究所からポケモンを盗み出すというイベントがあったはず。……まさか。

「ちー、何があったんだ?」
「美玖さん!え、ええと!あの……っ!」

すかさず美玖さんがボールから出てくると、チコリータちゃんが即座に目に涙を浮かべなが美玖さんを見上げていた。女優すぎる。
……なんて、のんびりしている場合ではない。とりあえずシルバーくんを追いかけなくては。

「美玖さん、チコリータちゃんのことお願いします」
「ひよりはどうするんだ?」
「私は、」
「──っまって、おねえちゃん!」

声が聞こえて顔をあげると、ヒノアラシくんが走ってきた。不安げな表情で溢れていて、今にも泣き出してしまいそうなのを必死に我慢しているのが伺える。
……盗まれたのはワニノコくんか。

「ぼく、ぼくもおいかける!」
「なにいってるの!?ヒノはあしでまといになるだけよ!」
「っそれでも、ぼくはいく!ニコをつれていかれて、じっとなんかしてられないよ!ぜったいつれてかえるから、」
「だめよ!ここはおねえさまたちにまかせて、」

二人のやりとりを見ながらソワソワしていると、瞬間、ボールからグレアとロロさんが飛び出してきた。
驚きながら彼らの姿を見上げているヒノアラシくんをロロさんがひょいと担ぎあげ、ついでになぜか私まで一緒に抱えられる。そうして気づいたときには、ゼブライカの背にヒノアラシくんと一緒に乗せられた。

「お、おにいちゃん、だれ……?」
「取り戻したいんだよね」
「!、……うん」

微笑むロロさんにヒノアラシくんが大きく頷く。しっかり話せてはいるものの、目の前に座る小さな身体は小刻みに震えていた。後ろからそっとその手を包み込むと、ヒノアラシくんは一度私の顔を見てから、何も言わずに道の先を真っすぐ見据える。

『──それじゃあ、行こうか』

ロロさんがレパルダスに戻ると同時に、光の如く走り出す。それに続いてゼブライカも走り出す。
いくらシルバーくんが速いと言っても、ポケモンの走る速度とは比べ物にはならないのは明確だ。すぐに追いつけるはず。
先頭を走るレパルダスは的確な道を選び、道順からシルバーくんと思われる足跡を探ってゆく。流石、元国際警察。

「おねえちゃん、ニコ、見つけられるよね……?」
「もちろん。すぐに追いつくよ」

前を見続けるヒノアラシくんの小さな声に、そっと答える。
……直後。レパルダスがぴたりと止まり、それに合わせてゼブライカも歩みを緩めてはその隣に並んだ。

『あはは、心音ちゃんに先を越されちゃったみたい』

私にもシルバーくんと対峙するココちゃんの姿が見えた。空から探していたココちゃんの方が先に見つけてくれていたらしい。
ヒノアラシくんがポケモンの姿に戻り、ゼブライカの背から飛び降りる。それに続いて、私も素早く降りてココちゃんの元へと駆け寄った。
目の前にいるのはシルバーくんと、……そして、なぜかやる気満々で対峙しているワニノコくん。

『ニコ!』
「そのヒノアラシ……研究所でもらったポケモンか。お前みたいに弱そうなヤツにはもったいないポケモンだぜ」

……明らかに、私を見ながら言っている。私が弱そう、?否定はできないけど、それにしても、普通初対面でそんなこと言う……?言わないよね……!?

「ちょうどいい。そのヒノアラシと戦わせて肩慣らしさせてもらうぜ」
「え!?あ、あの!ヒノアラシくんは私のポケモンでは、」
「ワニノコ、ひっかく!」

全然話を聞いてくれないし、ワニノコくんも指示に従って真っすぐヒノアラシくんへ向かって飛び出す。どうして盗まれたはずのワニノコくんがシルバーくんの指示に従っているのか。

『はじめてのバトルがヒノになるなんてな!へへっ、ぜったいかってやる!』
『ちょ、ちょっとニコ!?まって、っ!』

ヒノアラシくんが身体を丸めて転がるように爪を避ける。あの子もあの子で状況が理解できていないらしい。逃げ惑うヒノアラシくんとは対照的に、ワニノコくんは楽しそうに攻撃を繰り出し続けている。

「みずでっぽう」
「っヒノアラシくん、避けて!」

素早く背を反り、ワニノコくんが思い切り水を発射する。避ける間もなく、水はヒノアラシくんに直撃して背中の炎が消えてしまった。
急いで駆け寄りヒノアラシくんを抱きかかえると、嬉しそうにワニノコくんが私の足元までやってくる。

『ねーちゃん、おかえり!』
「た、ただいま……」
『おれ、シルバーといっしょにたびにでるんだ。やっとぼうけんできるんだぜ!』

この状況を分かっていないのか、ワニノコくんは目を輝かせながら私に言う。

「あのね、ワニノコくんのトレーナーはシルバーくんじゃないよ。よく聞いて、君は盗まれたポケモンで、」
『ぬすまれた?ねーちゃん、おもしろいこというんだな!』
「冗談じゃなくて、!」
『たとえば、それがほんとうのことでもさ。おれのトレーナーはシルバーなんだよ、ねーちゃん。おれはもう、シルバーといっしょにたびをするってきめたんだ!』
「…………そう、」

分かっている上で、言っているのか。よく分からないが、すでにワニノコくんの意志ははっきり決まっているらしい。ワニノコくんが決めたことなら、私はもう……何も言えない。

「ワニノコ、なにやってるんだ。戻ってこい」
『はーい!』
「……フン!全く、弱過ぎて肩慣らしにもならなかったな」

ワニー!と鳴いたあと、ワニノコくんは擬人化してから私の腕の中でぐったりしてるヒノアラシくんにそっと触れていた。それから少し困ったように笑ってみせる。

「ねーちゃん。おれのかわりにヒノにあやまっておいてくれねーかな。あと、みんなに"またな"っていっておいてほしいんだ」
「……分かった。伝えておくね」

笑ってみせると、ワニノコくんもはにかむような笑顔を浮かべる。それから私に両腕を伸ばしたと思えば横から遠慮がちに抱きしめられた。少し驚いてから空いているほうの手で抱きしめ返すと、小さく笑う声が聞こえる。

「ねーちゃん、おれとまたあそんでくれよな。やくそく、わすれるなよ!」
「今度は私がワニノコくんの顔面に雪玉当てるからね」
「やれるもんならやってみろよ!…………ねーちゃん、だいすき」
「うん、私もだいすきだよ」
「……へへっ」

離れて照れ笑いをするワニノコくん。それから一度、確認するようにシルバーくんの方を見てはその場で忙しく足踏みを始める。……というのも、シルバーくんはすでにしびれを切らして先に歩き始めていた。置いていかれないように焦っている姿を見ると、ワニノコくんはすでにシルバーくんをきちんと自身のトレーナーとして見ているのだろう。

「お、おれっ!いかなきゃ!」
「またね、ワニノコくん。無理はしないでね」
「おう!またな、ひよりねーちゃん!」

──そうして駆け出す小さな背中に手を振った。
桜の木々が花を綺麗に揺らす中、ひとつの旅立ちを見届ける。
……私の腕の中、すでに気が付いているであろうヒノアラシくんにそっと視線を落としてから、抱きかかえたまま立ちあがった。



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