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「体調良好、精神面も安定していますね。もう大丈夫ですよ」
「!、ありがとうございます」

問診が終わり、ジョーイさんとラッキーが部屋を出てゆく。
今回の事件に関して、このポケモンセンターでは他の被害者の診察もしていたらしく、私の平常さに驚きを隠せない様子だった。あの時の恐怖を忘れられず不眠症になる患者が多いらしいが、私は昨晩グレアと話したおかげで昨晩はよく眠れた。自分が思っているよりも、もしや図太い……?なにはともあれ、後遺症もなく退院が決定して一安心できる。

「あーあ、グレアに沢山聞こうと思っていたのに、また逃げられちゃった」
「本当よね。ひとつぐらい教えてくれたっていいのに」
「グレアにはグレアなりの事情があるんだよ、きっと」
「それはまあ、分かりますけど……」

いつもならここまで執拗に聞きだすことはないけれど、私が聞いているのは私自身のことなのだ。なのに彼は言い渋る。それが分からないし、気に食わない。

「思い出したいから聞いているだけなのに……」

私をなだめる美玖さんから視線を外す。
──……瞬間。

「……うっ!」
「っひより!?」

突然だった。一気に頭が痛くなる。締め付けられるような痛みに呻き声をあげると、すかさずココちゃんが私に駆け寄ってくれる。が、それに返事をすることもできないぐらいに頭が痛い。
慌しく心配の言葉が頭上で飛ぶ中、私は歯を食いしばって痛みが治まるのを必死で待っていた。

「ッ美玖!ジョーイさんを呼んで!」
「……じょぶ、だいじょうぶ……っ!」
「で、でも、」
「大丈夫……もうちょっと待てば、きっと、!」
「……ひより、?」

何かを思い出せそうなときと感覚が似ている。けれど、ここまでの痛みを伴ったのはこれが初めてだ。
もしかするとこのまま全てを思い出せるかもしれない。そう思ったものの、パキパキという高音が頭の中で鳴り続けるのと一緒に痛みは続いている。

「……っ、」

片手でシーツを力強く握りしめて痛みに耐えていた。
──……ふと、その手が不意に掴まれ持ち上げられると、代わりに誰かの背中に回される。

「……大丈夫、大丈夫。……大丈夫だよ」

ズキズキと痛む度に顔を胸元に埋めながら服を握りしめると、その度に「大丈夫」という言葉が聞こえていた。
そうして次第に痛みが治まり、聞こえていた音も無くなる。……結局、何も思い出せなかった。
力任せに掴んでいた誰かの服から手を降ろして息を吐く。そうすればスッと身体も離された。ゆっくり視線をあげ、心配そうに私を見つめる隻眼と目が合う。

「痛いの、治まった?」

(痛いの……治まった……?)
(……うん、……なんとか)

頬に手が触れてから、スラリと伸びる人差し指が私の目元を拭う。
なんとなく……今と同じようなやり取りを、どこかでしたことがあるような気がする。気がするだけで、気のせいかもしれないけれど、

「ひよりちゃん」
「……ロロさん──……ロロさんッッ!?」

素直に身を任せてしまってから、やっと今この状況に気が付いて慌てて顔をあげる。と、すぐ近くに整った顔があってまた慌てて下を向く。
なにっ、何がどうなっているの!?どうして私、ロロさんに抱きしめられているわけ!?

「こうやってまた、ひよりちゃんを抱きしめられるなんて夢みたいだ」
「な、ななななっ……!?」
「俺が"夢じゃない"って実感するまでこのままでいさせて」
「!?!?」

上がる心拍数と全く働かない頭。離れようにもしっかり抱きしめられていてビクともしない。どう、しようか……。
内心焦りに焦っていると、やっと体が離れた。火照ったままの顔を上げると、グレアがロロさんの襟首を掴んで後ろに引っ張っていた。ありがたい。とてもありがたい。
ところで二人はいつの間にここへ来ていたんだろうか。ふと視線を動かすと、美玖さんがココちゃんの手を掴んで必死になだめていた。対するココちゃんは、すぐにでもロロさんに飛び掛かりそうな勢いで睨みつけている。……このままなら美玖さんが異性に触れられるようになるのもそう遠くはないかもしれない。

「何をしているんだ、馬鹿猫」
「グレちゃんもひよりちゃんに抱きつきたいの?」
「ちっ、ちが……っ!」
「はいはい分かったよ、離れるよ」

ベッドの端に座り直すロロさんを見ながらそっと自分の頬に触れてみる。……まだ熱い。

「と、ところでロロさんとグレアはどうしてここに?」

私を見ながら嬉しそうににこにこしているロロさんに対して、グレアはどこか不満げに口を閉ざしたままロロさんに視線を向けていた。
それからロロさんが私に手を伸ばす。差し出された手には、モンスターボールが乗っていた。

「これは俺のボールだよ」
「えっ!?ポケモンだったんですか!?」

そうだよ、なんて何でもないように笑う彼。慌てて周りに視線を向けるが、驚いているのは私だけだった。みんな知っていたんだ……。

「俺はレパルダスっていうポケモンだよ」
「レパルダスというと、イッシュ地方のポケモンですね」

美玖さんの言葉でハッとする。イッシュ地方ということは、……。
ゆっくり視線をロロさんに向けると、青く綺麗な瞳が私を真っすぐに見つめていた。私の言葉を待っている。

「ロロさんも、……私のポケモンだった、……?」

わずかに目を見開いてから、少し眉を下げては目をゆるりと細める。

「"だった"、じゃないよ。……俺のマスターは、今も昔もひよりちゃん、君だけだよ」
「でも、私……、」
「知っているよ、覚えていないんだよね。それでも俺は、君だけのポケモンだ」

片手をそっと引かれたと思えば、彼のボールを乗せられる。新しい物ではないけれど、きちんと手入れをされているのかボールはとても綺麗だ。
次いで、もうひとつボールを目の前に置かれた。手に取ってほしいと視線で促され、おずおずと指先で触れる。

「それでこれが、グレちゃんのボール」
「"グレちゃん"って、グレアのことですか?」
「そう。可愛い呼び方でしょ?」

楽し気にそういうロロさんに同意しながらこくこく頷くと、ロロさんの後ろに立っているグレアが「わ、笑うなよ!」と少し恥ずかしそうな慌てた様子で言っていた。そういわれると余計意識して可笑しくなっちゃうんだけどな。

それから持っていたふたつのボールをロロさんに返そうとすると、そのまま両手でそっと止められる。

「ロロさん、」
「ひよりちゃんに、受け取ってもらいたい」
「…………」

すぐには答えられず黙ってしまう。……私は、グレアと話す度に彼を困らせたり悲しませてしまっていた。だから今回も話を聞ければよかっただけで、彼をずっと引き留めておくつもりはなかった。
グレアはどう、思っているのだろうか。少し視線を彼に向けると、わずかに視線が宙を彷徨う。

「俺から離れておいてこんなこというのはおかしいと分かっているが、……出来るなら、……ひよりの傍にいさせてほしい」
「……ダメ、かな」
「──……私は何も覚えていません。だから、……知らない間に言葉で二人のことを傷つけてしまうかもしれない」

もうすでに傷つけていることも分かっている。だからこれ以上そうするのは嫌だ。……と言いつつ、半分は自分自身のために言っていた。お互いに傷つくようなことはできるだけ避けたい。それが、私の本心だ。

「……俺は、言葉で傷つくよりも君から離れてしまうことの方が耐え難い。……ずっと、ひよりちゃんのことを探していたんだ。俺もグレちゃんも、ずっと」
「私、を……?」
「そうだよ。俺は君を探すために、国際警察になったんだもの」

冗談……、ではなさそうだ。ボールを持ったままの私の手を包むように置いているロロさんの手に力が入る。……言葉で傷つくのを恐れているのは、私だけ。

「……私で、いいんですか?」

ポツリと呟いた言葉に、ロロさんとグレアが同時に顔をあげていた。それを見て気づく。彼らの願いは、私がボールを受け取ること。言葉で傷つくことなんて考えていない。彼らにとってはその程度のことなのか。
──……私に、それほどの価値があるのだろうか。

「ひよりちゃん」

ロロさんに名前を呼ばれて視線を向けると、手を握りながら彼は微笑む。

「俺は、ひよりちゃんがいいんだよ」

そう言ってから、ロロさんが後ろに立っていたグレアの腕を引っ張ってから前に出す。静かに見ている私の手前、ロロさんが肘で横からつついていた。何かを促している。それに気まずそうに視線を逸らしてから、グレアが私と視線を合わせるように体を屈めてベッド横に立つ。

「……何も覚えていないとしても、ひよりであることに違いはない。だからひよりがいいんだ」
「……うん」
「それにひよりは俺たちのことを心配していたが、お前は大丈夫なのか?……今も勝手に思いをぶつけて困らせてしまっているのは分かっている」
「……私は、大丈夫……」

気づいて、いたんだ。……正直とても驚いている。
それからお互いに困らせていたことを知って、少し面白くなってしまった。お互い様、だったんだ。
手元にあるボールを見つめて、考える。二人と一緒にいることで少しずつ思い出すこともあるかもしれない。それに彼らは私といることを望んでいる。
……視線をそっと上げてココちゃんと美玖さんを見ると、そっと頷いてみせていた。ココちゃんは渋々、といった感じだったけれど。
そうして──……持っていたボールを引き寄せて、そっと自分の両手で包み込む。

「ボール……受け取らせていただきます」
「……なら!」
「はい。これから、よろしくお願いします」
「──……っうん、よろしくね、ひよりちゃん!」

ロロさんに片手を差し出すと、逆に引かれてまた抱きしめられていた。今度こそココちゃんがやってきてはロロさんを思いきり引きはがす。容赦なく頬を抓っているのを見ながら笑っていると、ふと、グレアと目が合った。なんとなく一度視線を外してから、ゆっくり手を差し出すと目を丸くしていた。

「グレアも、よろしくね」
「……ああ。よろしく、ひより」

握り返された手に、やはりどこか懐かしさを感じながらそっと離す。
……ボールを受け取ってよかった。彼の笑顔をみて、少しだけそう思った。



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