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ゲンガーは実体を持たない。捕らえたは良いものの、逃げられてしまうことが多々あるらしい。そこでやってきたのは、ロロの先輩とやらのポケモンであるヨルノズクだった。
現場は彼らに任せて、俺とロロは美玖と共に早急へポケモンセンターへ向かう。未だ殺気立つロロを宥めながら駆けこむと、急患だと勘違いしたのかジョーイさんが受付から出てきた。

「治療室はこちらです」
「いえ、オレたちは……」
「さあ、早く中へ」

確かに怪我はしていたものの、俺たちが知りたいのはひよりの状態だった。しかしラッキーに背中を押されて詰められるように部屋に入り、各々丸椅子に座っていた。結局、そわそわしながら大人しく治療を受ける。
……治療後、揃ってひとつの部屋へと案内された。ポケモンだけでは泊る部屋を確保できないはずなのだが……。

「心音さんから伺っております。あなた方のトレーナーはひよりさんでお間違いありませんか?」

擬人化しているラッキーの言葉に美玖が頷く。どうやら心音が配慮してくれたらしい。

「ひよりの様子はどうですか……?」
「素人が調合した薬を服用してしまったので完治するまで少々時間がかかりそうですが、問題はありません。ただ、やはり心配なのは精神面についてですね」
「そう、ですか……」

視線を下へ向ける美玖を見ながら、ラッキーが一度頭を下げてから静かに部屋を出ていく。

「ねえ、美玖くん。悪いんだけどさ、グレちゃんと話したいことあるから席を外してもらってもいいかな」

一度は静かになった部屋で、ロロがいつもの笑顔を作って美玖に言う。……とうとう、きたか。
ロロの言葉に美玖は顔を上げると、釣られるようにそっと笑みを作っていた。

「分かりました。ではオレも心音さんのところへ行ってきます」
「ありがとう、助かるよ」
「はい。ではまた後で」

ラッキーと同じく、静かに部屋を出ていく美玖の背を見送る。……きっと心音と合流してからひよりの病室へ向かうのだろう。面会を許されているのは手持ちのポケモン、または親族のみ。
──……今の俺とロロは、そのどちらにも当てはまらない。

「……猫を被るのも大概にしろよな」
「うん、グレちゃんにはしないよ。面倒だから」
「で、美玖がいなくなった途端これか?」

先ほどまでの気持ち悪い笑顔はどこへやら。人工色のような真っ青な瞳が鋭く俺を睨みつけている。……相当ご立腹らしい。太ももの横で握りしめられた拳は怒りで小刻みに震え、今すぐにでも殴りかかられそうな勢いだ。

「グレちゃんさ。……俺のところに来る前に、ひよりちゃんと会っていたでしょう」

長い前髪の間から鋭い眼光を向けられる。
──ひよりを見つけたら早急に仲間へ知らせることを、約束としていた。それなのに俺は事実を隠し、無かったことにしようとした。気付かれたら絶対に怒られるだけでは済まない。そう思ってはいたが、それは勿論覚悟の上。
しかし、これは……どう答えれば良いだろうか。

「黙っているってことは、やっぱりそうなんだ」
「…………」
「──俺もあのときは頭が回らなくて気付かなかったけどさ、」

今もひよりちゃんがポケモンの言葉が分かるままだなんて、どうして言い切れたのか不思議だったんだよね。
静かにそういうと、ロロは顔を伏せてから片手で目元を覆う。
……迂闊だった。俺自身が口を滑らせていたらしい。そう、気づいたときにはもう遅い。

急に。ロロが俺の懐に入る。と、思い切り胸倉を掴まれそのまま壁に叩きつけられた。そのまま視線を少し下へ向けると、すぐ目の前、紫色の髪が上下に小さく揺れている。必死に怒りを抑えているのだろう、フーフーと荒い呼吸の音だけが聞こえていた。俯いたままのロロの表情は分からない。

「……どうして言わなかった」

低音が響く。
……ああ。コイツは本当にとんでもない猫かぶりだ。長らく一緒に旅をしていたにも関わらず、こんな声を聞くのは初めてだ。俺に対しても敵意をむきだしていて、まるで喉元に凶器を当てられているような感覚にも陥る。

「……ひよりちゃんを必死になって探していたのは君だけじゃない。分かってんだろ?」
「ああ」
「なら、どうして。ッなんで黙っていた!?ひとり占めでもしたかったか?俺たちには隠して自分だけ会っていただなんて、ふざけるにも程がある!」

相当、頭に血がのぼっているようだ。全くもってロロらしくない。……が、今のがロロの本音ならば、こちらも真剣に受け止めなければ。それに、好き勝手言われるのには慣れているが、黙ったままでいられるほど俺も穏やかではない。

「お前の言い分はよく分かる。……独占したいという気持ちが無いとも言わない」
「……本当にそれが理由なら、俺が殴っても文句は言えないぞ」
「本当の理由を教えてもいいが、この前のようにぶっ倒れるのだけはやめてくれ」

前髪から微かに覗く瞳が細まり、さらに眉間に皺を寄せていた。何を言っているのだろう、とでも思っているに違いない。いつもは取り繕っているようだが、今のロロは完全に感情を剥きだしているから、表情で何を考えているのか容易に分かる。

「言っておくけど、"俺のために隠していた"なんて言われても絶対に倒れないからな」
「そんなので倒れられたら気持ち悪くて堪ったもんじゃない」
「いいから、早く言えよ」

鋭い瞳が刃のように突き刺さる。それを睨み返してから、未だに掴まれている胸倉にある腕を掴んで、力づくで下へ降ろした。それにロロが不満を露わにしながら、俺の手を払い落とす。

「望みとおり教えてやる。いいか、よく聞け」
「…………」

覚悟はできているんだろう。
ロロを見下ろし、口を開く。

「──ひよりは、……俺のことを覚えていなかった」
「……え……、?」
「俺だけじゃない。イッシュ地方にいたときのことを、忘れているんだ。何も覚えていない。……何もかも、全て」
「……冗談を、……言っている場合か……?」

ゆっくりと顔を上げたロロが言う。青い瞳が揺れている。それを見て、思わずフッと笑ってしまった。

「──……冗談だったら、……どれほど、良かっただろうな」

わずかに声が震えてしまった。それを隠すように一度咳払いをすると、瞬間、ロロが一歩大きく後ろへ下がる。そのまま倒れるかと思ってみていると、覚束ない足取りでなんとかソファへ向かっては崩れるように座り込む。そうして背もたれに思い切り身体を任せては、腕を目元に乗せ覆い隠していた。


「…………本当、なんだね」
「信じられないようなら、ひよりが目覚めたら会いに行けばいい。それで本当かどうか分かるだろう」

そういうと、グレちゃんは自身の荷物を手に取ってからベッド横へと移動させていた。それから簡易キッチンへと向かい、何事も無かったかのようにお湯を沸かし始める。

「…………」

……俺は今、彼女と会う前に知ることができて心底良かったと思っている。再会した最初の相手がグレちゃんでよかったと、思ってしまっていた。
もしも俺だったなら……今頃、どうなっていただろうか。話を聞いただけでも絶望しているというのに、知らないまま実際に彼女の口から「誰ですか」、なんて言われてしまったら。……考えたくもない。

「やっぱり、俺のために隠していたんだね」
「お前のためではないと言っているだろう」

湯気が出ているマグカップを持って戻ってきた彼から、差し出されたそれを受け取る。もうひとつは持ったまま俺が座っているソファには座らず、窓際へ向かっては壁に寄り掛かりながらゆっくりカップを傾けていた。

「……」

眼帯を付けていてよかった。そう思いながら、そっと外した布切れを眺める。……全て忘れている彼女は、この瞳をみてどのような反応をするだろうか。
もしも、奇怪の目で見られたら。畏怖されてしまったら。……もう、立ち直れる自信がない。
あんなにも会いたかったはずなのに、今は会うことがとても怖い。

「……なあ、ロロ」
「……なに」

ソファに寄り掛かって天井を見たまま、俺に話しかけてくる彼の声を聞いた。それに返事をしてみたものの、一向に言葉が続いてこない。仕方なく顔だけ起こして見てみると、グレちゃんの視線は窓の外に向けられたままだった。……窓は白く曇っている。

「ひよりがイッシュでのことの全て忘れているのは、……多分、キュウムの力だと思う」
「そう、だね。何も覚えていないというわけではなく、イッシュでのことのみ忘れているなら、可能性としてはそれが一番高いだろう。まあ、それはそれで色々と分からないことがあるけど」

仮にそうだったとしても、どうしてイッシュでの記憶だけ凍らせて忘れさせているのだろうか。そもそもキュウムはひよりちゃんが持っているマシロさんの力を取り戻そうとしていたはずだ。邪魔者も排除して舞台は整っていたはずなのに、なぜか彼女を殺すことなく、わざわざ二年という時間差をつけてまで時渡りさせていた。
まるで、逃がそうとしているかのように思う。……いったい、何がしたいんだ。

「……俺は。ひよりに記憶がないなら、俺たちだけでイッシュへ戻ってキュウムを片付けるべきだと思ったんだ。全て終わったあとにまたひよりと会って、どうしたいか聞けばいいと思った」

その言葉を聞いて、彼がなぜひよりちゃんと会っておきながら距離を置いたのか、その理由がようやく分かった。……全て、ひよりちゃんを守るためだ。
グレちゃんらしいといえばらしいが、ひよりちゃんのことを何も分かっていない。彼女との付き合いは俺より長いくせに、これだから困る。

「よく考えなよ。もしもひよりちゃんの記憶が凍らされているだけだとしたら、俺たちだけで戻ったとしても意図的に溶かされる可能性だってある。そうしたらどうなると思う?ひよりちゃんのことだ。何としてでも俺たちを追ってくるだろう。その方が危ないと思わない?」
「…………」
「キュウムは自分の意思で凍らせたり砕けさせたりできるんだよ。ひよりちゃんを誘き寄せるために、記憶は確実に戻すはずだ」

無言のまま俺をじっと見ているグレちゃんから視線を外して考える。が、考えれば考えるほど、キュウムの意図が分からない。一度逃がして泳がせる意味はなんなんだ。

「ロロが俺だったら、どうしていた?」
「俺がグレちゃんだったら?」

なんてことのない質問のように思う。しかしその表情は切実で、まっすぐと俺を見ながらただひたすらに答えを待っている。

「俺に、なんと答えてほしい?」
「……意地が悪いぞ」

グレちゃんの行動は間違っていたと、はっきり言ってもらいたいのか。それとも、間違っていない、仕方のないことだったと励ましてもらいたいのか。

「自分で考えてみなよ。俺は教えない」
「……お前に聞いた俺が馬鹿だったよ」
「その通りだ」

テーブルの上に置いて冷ましていたマグカップを手に取りながらそう答えると、またグレちゃんは曇った窓ガラスに視線を向ける。
何が正しくて何が間違いなのかなんて、誰にも分かるはずがないのに。きっと無駄な自問自答を続けていたんだろうなと思うと、ほんの少しだけ可哀相に思う。
それに、今までひよりちゃんの現状をひとりで抱えていたのだ。……その辛さが、理解できないわけではない。

「今までの自分の行動が間違っていたと思うのなら、これから変えていけばいい」
「…………」
「……と、俺は思うけどね」

パッ!と顔をこちらに向けては驚いたように目を見開いている彼の姿が見える。それに慌てて視線を逸らすと、小さく笑い声が聞こえてきた。
……そういうところ、ほんと嫌い。



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