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これで本当にもうすぐ春が来るのかと疑ってしまうほど、やっぱり外は寒かった。しかも冷え込む今日に限って、例の連続監禁事件の現場であろう場所が特定されたと連絡が入り、先輩と合流し次第至急現場へ向かうことになっている。
冷たい風に思わず一度身震いをしてから、コートに潜らせているマフラーに口元を埋める。早く帰りたい。仕事はこれからだというのにそんな気持ちでいっぱいだ。

「ロロ」

先輩が俺と同じように背中を丸め縮こまるようにしながらこちらへ歩いて来る。少々頼りないけれど、物事を客観的に見れるし仕事第一の人間だ。それが俺の仕事の先輩であり、"今だけ"パートナーとなっている人である。
国際警察は基本的に二人一組で事件解決に向け行動をする。中には単独で行動している者もいると聞くが、よほど優秀でないかぎり単独行動は認められていない。
とまあ、ひとりが良かったものの、規則がそうなっている以上仕方がなく今現在に至る。

「こんばんは、先輩。……どうしたんですか、顔色悪いですよ」
「ああ、……まあ、なに、気にするな」
「はあ、」

寒さが原因で身体を縮めていたわけではないらしい。服の上から必死に両腕を擦って震えを止めようとしているのか、何かを拭い落そうとしているようにも見える。
いつもと様子が違うことと明らかに青ざめている顔に、俺がもう一度「大丈夫ですか」と声をかけると「だ、大丈夫だ!気にするなといっているだろ!」となぜか怒声を浴びせられた。理不尽だ。

「これから現場に行くわけだが。……お前、血生臭いのは大丈夫か。っていう質問もおかしいか……」
「ああ、大丈夫ですよ」
「軽く答えるなよ。本当に大丈夫なのかあ?」
「はい」

けろりと答えると明らかに疑いの目で「まあいい」と先輩が言葉を切る。

「最初に言っておく。今回の現場、新人のお前にはかなりキツイぞ」

──……快楽殺人だ。ぽつりと呟き、懐から写真を取り出したと思うと思い切り握りつぶしてうっすら雪を残したままの道に叩き捨てた。
どうやら先に現場の写真をみたようだ。それなら気分が優れなかった理由が分かる。はあ、また厄介な事件に関わることになってしまった。俺はやらなきゃいけないことがまだ沢山あるというのに。

「先輩。俺のことより自分のことを心配したほうがいいですよ」
「実際何も見たことが無いからそんなこと言っていられるんだ。"百聞は一見にしかず"。現場見てゲロでも吐いてろ」
「あはは、仮にも住人を守る警察がなんて言葉使ってるんだか」

先輩が投げ捨てたぐしゃぐしゃの写真を拾い上げると、俺が見る前にサッと取られてコートへ乱暴にしまい込んでいた。そうして足早で現場へ向かう先輩の後ろ、俺も革手袋をはめ直しながら続く。

──改造された身である俺は思う。あの頃の研究所よりも酷い場所なんてあるわけがない。
どんな現場だって平気だという自信はあったが、もしも研究所と似たような光景だったらどうなるかは自分自身でも分からない。フラッシュバックと一緒にまた瞳が痛んだら、と思うと正直不安だ。手を差し伸べて「大丈夫」と全てを受け止めてくれる彼女はいないのに。

なるべく考えないようにしながら足を進める。そこの角を曲がれば、運命の場所へはもうすぐだ。

「きゃっ!」
「おおっと、すみません」

曲がり角。先を歩いていた先輩が誰かとぶつかり相手を転ばせてしまったようだ。
後ろから少しだけ覗いてみれば、手を差し出す先輩を無視して一人で立ち上がろうとする顔立ちの良い女性がいた。透き通るような水色の髪も美しい。しかしながら長い時間外にいるのか、雪のように白い指先は寒さで真っ赤になっていた。かなり急いでいたようで肩で息をしている。

「心音さん、待ってください!」
「遅い!遅いのよ!もっと早く走れないの!?」
「待って、一旦落ち着いて」
「落ち着け!?落ち着けるわけないでしょう!?」

ものすごい勢いで彼女から怒声を浴びているのは、あとからやってきた真面目そうな青い髪の男。困ったような表情を浮かべている。
……正直、俺はどうでもいいんだけど。

「失礼。私、国際警察ですが、何かあったのならお力になりますよ」

ほら、やっぱり巻き込まれる。この先輩は、いつも余計なことにまで首をつっこんで仕事を増やす。……まあそういうところ、俺は嫌いじゃないけれど。にしても毎度付き合う俺の身にもなってほしい。
どうせ痴話喧嘩だろう。なんにせよ先輩が全て解決してくれそうだから、今回も俺は先輩の後ろで適当に話を聞き流しておく。……つもりだった。

「ひより……っひよりが突然いなくなっちゃったの!」

どくん、と心臓が大きく鳴る。
"ひより"。俺が探している彼女と同じ名前だ。……いや、まさか。そう思いつつも次第に鼓動が速くなる。珍しい名前でもないが、よくある名前でもない。
緊張が、走る。

「その"ひより"さんとは?」
「わたしのマスターよ。大切な、たった一人のマスターなの……」

──……ああ、まるで、俺自身を見ているようだ。同じ名前のマスターを、同じように必死に探す彼女。他人事とは……思えない。

「……俺も国際警察です。もしかしたら力になれるかもしれません。どういった経緯でいなくなったのかお聞かせください」
「…………それが、」

……二人から詳しく聞いているうちに、今回の出来事に暗雲が立ち込める。先輩もそれに気付いているようで、俺に目配せをしながら緊張した面持ちで話を聞いていた。
突然いなくなった"ひより"という、彼女たちのマスター。消えた場所の特徴や、その消え方が……まるっきり今回の連続監禁事件と同じだ。

「……おいロロ、」
「いや、まだ言わないほうがいいですよ」

まだそう確定したわけではない。が、事件に巻き込まれた可能性はかなり高い。いなくなったのは今日だというから、俺たちも探してみるということで連絡先を一応聞いて二人とはその場で別れた。……きっと彼女たちは、これからもこの真冬の中を探し回るのだろう。

「どうした。やたらやる気があるじゃないか」

現場へ向かう途中、先輩から物珍しそうな目で見られる。
それはそうだ。わざわざ国際警察に入ってまで探しているマスターと同じ名前のマスターを探す彼女たちは、本当に俺自身を見ているかのようだった。それに、……彼女たちが探している"ひより"を俺も一目みたい。

「──……現場、ここでしょう」
「流石ポケモンだな。ご名答だよ」

そうこうしているうちに、とうとう現場に到着してしまった。
裏路地を入った薄暗い建物。今はもう倒産してしまった会社の倉庫らしい。先に来ていた他の国際警察と軽い挨拶を交わしてから黄色いバリケードテープを潜り抜け、鉄の扉の前に立つ。

……先輩がごくりと唾を飲む音が聞こえた。再びあの写真が頭を過っているのか、顔を青白くさせながらも扉にそっと手をかける。それを眺めてから俺も反対側の扉に手をかけ、押した。……大丈夫。ここは研究所とは全然違う。ここは、違うんだ。

──ギ、ギギ、と金属の擦れる音が響き渡り、少しずつ扉が開いてゆく。瞬間、鉄の嫌な臭いが鼻腔に突き刺さるように入ってきて思い切り咽かえった。

「鼻が利きすぎるのも、キツイもんだよな」

そういう先輩もすでに臭いを察しているのか、腕で鼻を覆い隠している。俺もコートからマフラーを引っ張り出して鼻から下を覆い隠す。それでもポケモンの嗅覚は臭いを感じ取ってしまう。……酷い臭いだ。

「…………っ!」
「……ほんと、酷いね」

扉を完全に開いてから建物内の灯りをつけると、現場は大方そのままの状態で残されていた。遺体にはビニールシートが被せてあるものの、それがパッとみるだけで数体確認できる。冷たいコンクリートの上には、既に乾いている血だまりが点々と存在している。そのほか、凶器やら器材はそのまま放置された状態だ。

「……わ、悪い。一旦外へ出る……」
「ああ、はい。俺が調べるので、先輩はずっと外にいてもいいですよ」
「なにバカなことを。そもそもお前、これみてよくそんな平気でいられるな。おかしいぜ」
「そうですよ、俺はおかしいんです。だから身元不明でも国際警察になれたんですよ」
「……まあいい。俺もすぐ戻るから、無理して調べを進めなくても良いからな」

口元を押さえながらのろのろと外へ出る先輩の背中を見送って、遺体の隣にしゃがみ込む。俺としては先輩が外へ出て行ってくれてよかったと心底安心している。大口叩いておいて逆に先輩に心配なんかされたくないし。……眼帯の下、瞳が次第に痛むのを感じる。

「……」

さっさと終わらせよう。そう思ってビニールシートを捲って、早速調査を始める。
快楽殺人とは良く言ったものだ。どれもこれもほとんど原型と留めていない。人間の頭とポケモンの胴体をくっつけてリボンを巻いたりと、かなりおかしなことをしている。犯人が人間であれポケモンであれ、精神鑑定が必要だろう。

「おっ、おい!もういいから早く戻ってこい!」
「え?現場検証するために来たのに、もういいんですか?」
「もういい!こっちまでおかしくなりそうだ!」

いつまでも戻ってこないからどうしたのかと思えば。先輩は国際警察に向いていない。扉の向こうで叫ぶ先輩を見てはそう思いつつ、手元のビニールシートの端を手に取った。これで終わりだし少し調べてから戻ろう。
少しだけ捲ると、真っ先に目に入ったのは青白くか細い手。その手首には、血でうす汚れたブレスレットがある。

「……、……、」

どこかで、見覚えのある、それ。
──まさか、……まさか。

"ねえロロ、見て!これ本当にティーの瞳と同じ色だよね、綺麗だなあ"
"ひより、……っひよりが突然いなくなっちゃったの!"

──……まさか、 嘘、 でしょう ?

息を吸うのが辛い。急に酸素がなくなって、目の前がちかちかしてきた。呼吸も乱れて、頭の中が真っ白になる。
……そうしてぱちぱちと闇の中を激しく閃光が飛び交う視界に、俺の方へと走ってくる先輩の姿を半分ぐらい捉えたところで、意識が途絶えた。



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