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「ただいま戻りました」

ウツギ博士の研究所から、また暗い洞窟の中にひっそり佇む家に戻ってきた。玄関の戸を開ける美玖さんに続いて入り、声をかけるも返事は無し。薄々、返事が返ってこないことは予想していたものの声が返ってこないのはなんとも寂しいものだ。

「……あれ?電気が付いてない」

入ってから気付く。家の中は真っ暗な上に物音ひとつしない。殿がいるはずなんだけど……?

「殿なら外出していますよ」
「え?こんな時間にですか?」
「昼に睡眠をとって夜に遊びへ出かけ、そして大抵朝帰り。……お恥ずかしいですが、これが殿の生活です」
「な、なるほど」

つまり、殿は夜遊びが大好きな方ということらしい。失礼だとは思うが、申し分のないところは外見しかないらしい。あんなに良い容姿を持ちながらも中身がこれとは。残念という言葉以外、今の私には見当たらない。

「ひよりさん、すみません。食材があまりないので、夕食は簡単なものでもいいですか?」
「いただけるなら何でも構いません!」
「そうですか」

そういうと面白そうにくすりと笑った美玖さんは、台所へ向かって袖を捲くる。居候させていただいている身、私も何か手伝おうと台所に立つ美玖さんの背中を見る度に思うのだが、いかんせん美玖さんの手際は驚くぐらいに良すぎる。私では足手まといになるだけなのが目に見えて分かっているからこそ、今もまたこうして何もできずにいる訳なのですが。……とりあえず、テーブルの前に静かに座ってこの部屋には不釣り合いな最新型テレビの電源を入れてみる。

「…………」

流れる明るいニュースをぼんやり眺めながら、今日を思い返してみた。ウツギ博士やヒノアラシくんたちと仲良くなったり、殿と美玖さんの今までについて少しだけ知った。とにかく色々あった一日だったと思う。それでも疲れよりも充実感で満たされているのは、きっと今日がとても楽しかったからだろう。
向こうの世界ではできないこと、出会えない人たち。……何もかもが、新鮮だ。

「お待たせしました。出来ましたよ」
「うわあ、美味しそう……!」

あれからどれほども待っていない。スピード料理にしては、立派な夕飯が運ばれてくるのに口の中はすでに涎が湧き出ている。

「余り物で作ったので口に合うか分かりませんが」
「美玖さんの作った料理は絶対美味しいです!絶対!」
「そ、そうでしょうか……」

朝食ですでに私は美玖さんに胃袋を掴まれてしまっている。少し照れたように視線を逸らす姿を見てから、美味しそうな料理を目の前に早速頂こうと両手を合わせた。そして、気づく。ご飯が私の分しか、よそられていない。

「あれ、美玖さんは食べないんですか?」
「ええ、すみません。先に食べていてください。殿が帰ってくるまでにやることがあるので」
「ええっ!?なら私も手伝います!」
「いえ、オレだけで十分です」
「……で、でも……、」

反論する私の前、美玖さんが笑顔で立ち上がった。結局私は、中腰のままその姿を見送ってしまった。それからゆっくり座りなおして静かに箸を握る。湯気が出ている料理に、箸先を向けてそっとつまむ。それから口にそっと運んで誰もいない部屋でぎこちなく口を動かした。

「……美味しい」

ほら、やっぱり美玖さんの料理はすごく美味しい。美味しい……けど。……私はこのまま一人食べていても、いいものなのか。
家族同然だと言ってくれた美玖さんだが、やっぱりまだ距離感を感じる。あの言葉に嘘偽りはないのだろう。でもそうだ、この数日で急には親しくなるなんて誰だってできっこない。それでも私は今日1日を通して美玖さんと仲良くなろうと決めたのだ。

「……よし」

きっと今行動しなければ、美玖さんとの関係はずっとこんな感じのまま進むだろう。出来ることなら、私は美玖さんたちともっと仲良くなりたいのだ。客として、よそよそしくもてなされるのはもう結構。居候のくせに偉そうだとも思うが、いいや、今動かずしていつ動く。

思い立ったらすぐ行動!テレビを消して、立ち上がる。襖を開けて長い廊下を眺めてから、音のする方へと向かった。





「……ひよりさん?」

丁度掃除が終わったのか、私が殿の部屋に入ったときには美玖さんが掴んでいる掃除機からシュウゥ、と電源を切った直後の音が聞こえた。不思議そうに私を見る美玖さんに近づくと、何故か美玖さんが一歩後ろに下がる。その時は気にも留めなかったものの、私もそこで立ち止まった。

「ど、どうしたんですか?もしかして料理が口に合いませんでしたか?」
「かなり美味しかったです。早く残りも食べたいです」
「……でしたら、なぜここに?」

首を傾げる姿を前に、一瞬悩んでしまった。ここまで来て、何を今更迷うのか。というか、もう迷ったところで戻れない。少しばかり緊張しながら、顔をあげて言葉をつなぐ。

「ご飯、……一緒に食べませんか……?」
「ええと……、」
「そ、その!あんな広いところで、一人で食べていると寂しいんです!」
「──……それは、確かに」

美玖さんは瞬きをしてから驚いたような、しかしどこか納得したような声を返して私を見ていた。それでもやはり掃除機は片手に手放さず、また動く様子もない。

「ごめんなさい、ひよりさん。せっかくですが、やっぱりオレはまだやることがあるので、」
「なら私も手伝います!」
「いえ、ひよりさんがやるようなことではありませ、」
「ありますっ!!あるんですってば!!」

半ば逆切れに近い。突然大声を出す私を、また美玖さんが驚いたように見ている。何度彼を驚かせば気が済むのか。

「私、居候です!客人ではありませんっ!」
「……」
「よそよそしくしないでください!私、……私は、仲良くなりたい、だけなんです……」

美玖さんが困ったように目線を逸らすと、長い人差し指で頬を軽く掻く。
そうだ、これは私の我が儘だ。美玖さんを困らせていることも重々分かってはいる。……けれども。家族同然なんて言われたら。何もできなくても、ずっとここに居てもいいと言われたら。歩み寄りたくなるのは、当たり前のことではないだろうか。いつかは家族のようにお互いどこまでも気を許せる関係になったらそれはとても素敵なことだとは思うけれど、そこまで私は求めていない。
ただ、……せめて、。

「……その、なんと言えばいいのか……」
「……」

俯いていた顔をゆっくり上げてみて、今度は私が驚いた。……なぜか美玖さんが赤くなっている。照れている。あからさまに目が泳いでいるし、言葉の歯切れも悪い。

「あ、あの……?」
「ご、ごめんなさい。オレが家族同然だと言っておきながら、距離を置いていたんです。もちろんオレも仲良くなりたいと思ってます。でも……どう、ひよりさんと接すればいいのか、……分からなくて」

そう、だったのか。意外な一面にきょとんとしながら見ていると、美玖さんがハッとしたように一度咳払いをすると表情をまた引き締める。それが何だか面白くて、思わずフッと笑ってしまった。だって、クールな大人だと思っていた人が居候なんかに気を留めて、さらには悩んでくれていたなんて誰が思うだろうか。

「頼むのは申し訳ないような気がしてしまって」
「何を言っているんですか!私なんて美玖さんに頼みっぱなしなのに!」
「そんなこと……」

片手を差し出すと、少し間を開けてから掃除機が手渡される。それをしっかり握ってから美玖さんを見て。

「これからは私にも色々やらせてください。1人よりも2人の方が早く終わるじゃないですか。それに何をやるにも2人の方が楽しいです!」
「──……はは、そうですね。きっと、そうだ」

いつも殿が座っているであろう、部屋に唯一ある椅子に視線を向けながらそういう美玖さんの横顔を見ていた。それから私に戻ってくる視線に頷いてみせる。

「ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。……それで終わったら、一緒にご飯、食べましょう?」
「オレでよければ、もちろん」

美味しいご飯が待っている。そう思うと、ますますやる気になってきた。スイッチを入れ、いつにも増してルンルン気分で掃除機をかけはじめる。二人で食べるご飯は、きっとさっきよりももっと美味しく感じるだろう。想像しては顔がついニヤけてしまっていた。……そんな私を、美玖さんがそっと見ていたことは露知らず。



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